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電子決済時代の

 今週末も帰省のため、縮小noteですみません。

 化石のようなiphone5を6年くらい大事に使っているのだけれども、最近ビミョウに調子が悪い。今朝も友人にコールバックしようとして通知をタップしたら、ブラックアウト・・・ぎゃー!息を吹き返しておくれ~!と念じたら戻ってきてはくれたんだけど、きっと息も絶え絶えなんだろうなぁと気が気でない。最近発売された(される?)新型iphoneが12万円と聞いて(あってる?)震える。12万て!そんなもの気楽に持ち歩ける気がしない。padもパソコンもあるので(というかそっちのほうがメインだし)化石iphoneになんの不満もないから、このまま添い遂げたいよー。

 と言いながら「pay」関係(電子決済)を使ってみたくなっていて、「iphone5じゃ・・・無理なんじゃ・・・」というオットの呟きに落胆もしていた。(いやまだよく調べられていないので分からないのだけれども。)先月「魔法のプロジェクト」の実践発表会を聞きに行ったときに、「~pay使っていますか?これから子どもたちがどんな時代を生きていくのか、先生がたはそこを考えていかないといけない。まずは自分が使ってみないと。」と煽られて、すなおに「そやな。」と思ったのだ。いい・悪いは別として、というよりその判断をするんだったらなおさら、「まずは何でもやってみる」がいいよね。とりわけスマホを持ってたった6年しか経っていないのに、冷蔵庫・洗濯機ばりになくてはならないものとなってしまったという状況を考えると、キャッシュレスの流れには(完全にキャッシュレスになるかどうかは別として。程度の差こそあれ)逆らえないと思うのだ。SNSなんかも私にとってはそうだったんだけれども、そこに参入してみて初めてそれは単なるツールなんかじゃなく、「情報」とか「コミュニケーション」の前提そのものが質的に変化する場として経験されることになって大きな衝撃を受けた。「お金」ということにもそれと同様のことは起こっていくと思われるので、「キャッシュレス」の世界に足を踏み入れたら自分がどんな経験をするのか、興味津々なのである。便利だとかお得だとかいう先の、本質的な変化は一体なんなのか?好奇心いっぱいである。

 ただまぁこの先キャッシュレスが待っている時代に、子どもたちに従来通り
のお金のやりとり(お店やさんごっこなど)を教えることの意味を問うべきだという指摘も(魔法のプロジェクトで)あったのだが、「確かに」と思う反面、「手段」としてスマホで決済できる(お買い物ができる)ことと、「お買い物をする=商品とお金を等価交換する」ことを理解することとは別のことなんじゃないか、とも思うのである。逆に商品とお金(貨幣)が目の前で交換されることなくして、「お金で物を買う(交換する)」ということを理解できるんだろうか?といささか心許なく思う。とりわけ知的な発達がゆっくりな子どもたちはそこがブラックボックス化してしまい、「スマホをかざせば自分の欲しいものが手に入る」という理解になってしまわないだろうかと不安である。計算が苦手だったら計算機を使えばいいし、リアルな
お金のやりとりが難しかったらスマホ決済でもいいと全然思っているんだけど、やはり私は時間はかかってもゆっくりでもいいから「等価交換」の意味を伝えられるなら伝えたい、と思っている。だってそれは、自分の手元にあるお金で何ができるか、何ができないか、そこにある選択肢は何なのか、という自己決定に深く関わる根っこをなしているからだ。

 だから私は学習支援でも「いずれキャッシュレスになるだろうからいいや」と諦めずに、「お金」について地道に教えている。正直それが正解なのかどうかは今の段階では分からないのだけれども、今為していることが目の前の人の「可能性を広げる」方向を向いているといいなと願っている。


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