三沢左右

三沢 左右(みさわ そう)です。絵や漫画を描きます。短歌を詠んだりもしますが、ここでは…

三沢左右

三沢 左右(みさわ そう)です。絵や漫画を描きます。短歌を詠んだりもしますが、ここでは主にイラストや漫画を投稿します。

最近の記事

宮柊二晩年の歌境(三沢左右)

 宮柊二には、十二冊の歌集がある。晩年の三歌集(第十歌集『緑金の森』、第十一歌集『純黄』、第十二歌集『白秋陶像』)は、病身の柊二に代わり、宮英子夫人の編集によって出版された。 本論では、晩年の三歌集を軸に、柊二の歌風の変遷を追いつつ、柊二の至った歌境について考察したい。 ・緊密さの喪失  第十一歌集『純黄』巻頭の一首。青年~壮年期の作品に見られる緊密さ、粘り気が影を潜めている。歌人宮柊二を特徴づける「山鳩」を題材としながらも、上の句の描写は接続助詞「ど」で切断され、下の句

    • 夢の中にひと死にやすく-小島なお『展開図』歌集評-

       小島なおの第三歌集が出た。繊細で鋭敏な感性が光る一冊だ。  小島の作品の魅力のひとつは、その表現力だ。一首をとっても連作で読んでも低調なところのないアベレージの高さに驚かされる。一首目、「六月の空」「銀ボウル」「胎児」という飛躍、「きろりきろり」という独特でありながら回転する胎児のビジョンまで見えてくるオノマトペ、「巨大」「銀」「きろり」と頭韻をゆるく生み出す音感、妹の妊娠というテーマで前後の歌と響き合う構成など、実に巧みだ。二首目「こんなにも」には、雪空を読者に幻視させ

      • 対話の変化・書き言葉の新生(三沢左右)

         歌会、読書会、座談会などのイベントが、Zoomなどのwebツールを使用したオンライン実施に置き換わってきた一年だった。当誌「COCOON」の批評会も、昨年以来オンラインで行われている。概要は本誌巻末の批評会記を参照されたい。  イベントがオンライン化して、何が変わったのだろうか。角川「短歌年鑑令和3年度版」収録の特別座談会の議題は「コロナ禍における『座』のあり方を考える」であった。座談会中、吉川宏志氏はZoom歌会の難しさを述べ、「言葉になる以前の、身体的なメッセージって意

        • 多幸感にあふれた一冊-島本ちひろ『あめつち分の一』(六花書林)歌集評-(三沢左右)

           島本ちひろさんの第一歌集。二〇一三年に「コスモス」出詠を開始し、二〇一四年にはO先生賞を受賞した気鋭の作者である。「コスモス」には珍しいファンタジックな作品の多さが印象的だ。しかしその作風はただ読者をおどろかせるだけの奇をてらったものではない。ファンタジーにも日常詠にも、作者ならではの新鮮な視点が冴える。新鮮さの底には「実感」が伏流している。  ファンタジックな一首目と二首目は「星を蒔く」と題された一連から引用した。町中のどこにでもある「カーブミラー」が「ひとつきり」と表

        宮柊二晩年の歌境(三沢左右)

          歌人と世界、歌人の世界(三沢左右)

           短歌に詠まれる外界は単なる世界の断片ではない。浮かび上がるのは作者と世界との関係性そのものである。近年刊行されたいくつかの歌集の都市詠や自然詠を鑑賞してみたい。  飯田は、丁寧な観察の上に過去の経験や感情を重ね合わせ、重層的な歌世界を構築する。世界を肯定的に受け容れる歌風もあいまって、歌集からは非常に豊かな印象を受ける。その豊かさは都市が歌い上げられたときにより際立つように思われるが、飯田の生活実感に即しているからだろう。  小佐野においては、作者自身と世界とが緊密に結び

          歌人と世界、歌人の世界(三沢左右)

          祈りのかたち-林和清『去年マリエンバートで』歌集評-(三沢左右)

          祈りのかたちかへぬ手があり弥勒がくる五十六億七千万年後にも  スケールの大きな一首である。ただ、それゆえに林の歌の特質である手触りのある存在感はやや希薄だ。しかし、私はここに林が深く希求するものが潜むように思われる。本書は林の第四歌集である。この一冊を、「祈り」というテーマから読み解いてみたい。 沈黙のなかに棲みつく黒い犬を見ながら話す、いや話さうとする 善も悪もみんな燃やせば簡単だアメリカの洗濯機はごつつう廻る  林の歌には、常にむき出しの実感がある。一首目、下の句の

          祈りのかたち-林和清『去年マリエンバートで』歌集評-(三沢左右)

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          『しづえ in the depth』⑧-帰還編・エピローグ-

          『しづえ in the depth』⑧-帰還編・エピローグ-

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          『しづえ in the depth』⑦-SF編- 4/4

          『しづえ in the depth』⑦-SF編- 4/4

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          『しづえ in the depth』⑥-SF編- 3/4

          『しづえ in the depth』⑥-SF編- 3/4

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          『しづえ in the depth』⑤-SF編- 2/4

          『しづえ in the depth』⑤-SF編- 2/4

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          『しづえ in the depth』④-SF編- 1/4

          『しづえ in the depth』④-SF編- 1/4

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          『しづえ in the depth』③-脱獄編- 2/2

          『しづえ in the depth』③-脱獄編- 2/2

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          『しづえ in the depth』②-脱獄編- 1/2

          『しづえ in the depth』②-脱獄編- 1/2

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          『しづえ in the depth』①-江戸編-

          『しづえ in the depth』①-江戸編-

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          動詞が開く短歌の可能性(三沢左右)

           以前「名詞萌え」という言葉が歌壇で話題になった。名詞へのこだわりを作歌や鑑賞の起点に置く姿勢のことであろう。こうした志向に対して、私は異を唱えるつもりはない。だがたとえ魅力的な名詞があっても、その名詞が指す題材に向き合っている実感が薄い短歌には、どこか空々しさが漂う。一首を支え、名詞の魅力を生かすのも、私の実感ではやはり動詞なのだ。  では、動詞は一体どのような力を持ち、短歌の中でどのように機能しているのだろうか。 ・動詞の動き・動詞の身振り  動詞はその名の通り、動きや

          動詞が開く短歌の可能性(三沢左右)

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          骨花【短編漫画 全32ページ】

          骨花【短編漫画 全32ページ】

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