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地球一安心させる「おもてなし」のプロに。フリーランス“女将”の生き方

みなさんは、自分にとっての幸せを考えたことはありますか?

働き方改革や生き方の多様性が注目を集めている今、自分らしい生き方を見つめ直す人も多いのではないでしょうか。


今回取材させていただいたのは、フリーランス女将として働く櫻井智里さん。

旅館やゲストハウスでの接客経験を経て、その場に止まることなく日本全国に「おもてなし」を届けるフリーランスとして働く道を選んだのだそうです。

「ゲストハウスで働いていた頃『女将』という言葉の安心感に惹かれたんです。わたしもそんな安心感のある人を極めたいと考えて、フリーランス女将を名乗ることに決めました!」

そう明るく語る櫻井さんの、生き方の選択に伴う想いや背景についてお話を伺いました。

櫻井 智里1993年生まれ。新卒で入社したネット広告代理店を退社後、湯河原の旅館でマーケター兼接客を経験。その後、ゲストハウスLittle Japanの支配人を務める。2019年からは「旅するフリーランス女将」として日本を旅しながら、誰かのよりどころになる場づくりを目指して活動をはじめる。

「キラキラの理想で固めた就活→「社会人一年目の現実」

ーー本日はよろしくお願いします! さっそくですが、大学生活はどのように過ごされていたのですか? 

櫻井:大学時代はアルバイトをしては、貯めたお金で旅をする生活を送っていました。

旅をする中で、自分とは違うさまざまな価値観や考え方に刺激を受けたり、その土地で生活する方と交流をすることが楽しくて。夢中になって旅をしていました。

人と関わることが好きだと自覚するようになったのもちょうどその頃からです。


ーー大学時代に旅に目覚めたのですね......! その後の就活では、どのようなポイントに注目して企業を見ていたのですか? 

櫻井:「地域活性化」をキーワードに企業を見ていました。さまざまな土地を旅した経験から地域に携わる仕事がしたいと思っていたためです。

でも、当時のわたしはどのように地域活性化したいのかまでは言語化できていなくて。地域活性化といっても、方法はさまざまですよね。イベントを企画したいのか、接客がしたいのか、農業がしたいのか......。

自分がやりたいことが不明確だったので、面接ではキラキラした理想ばかりを語っていたなと思います。

ーー社会に出ていない学生時代に、自分のやりたいことを見つけるのは難しいですよね。 

櫻井:そうですね。漠然と地域活性化をしたいとは言っていたものの、具体的に何がしたいのかわかっていなくて。

原因は、好きなこと、やりたいことを言語化できていなかったからだと思います。

結局、就活終盤まで地域活性化と合わせて、理想とした社会人生活が送れるような企業を手当たり次第探していましたね(笑)。

最終的には、インターネットを通じた地域活性化に興味を持ったので、ネット広告代理店に入社を決めました。


ーーなるほど。ご自身の興味のある分野ではありながらも、理想の社会人生活に思いを馳せて企業を選んでいただのですね。 

櫻井:はい、期待に胸を膨らませて就職しました。でも、入社後すぐに社会の現実を突きつけられましたね。有給取得中に、怒鳴りのメールがきたり、隣のデスクに座っている人から無言で事務連絡のメールが送られてきたり......。

通勤時間が長い上に深夜まで働いていたので、睡眠時間は毎日5時間ぐらいでした。家族と一緒に過ごしたり友達と会ったりプライベートな時間を楽しむこともできなくなりました。

学生時代に思い描いていた理想の社会人生活はかけらもありませんでしたね。


ーーそのギャップはかなり辛いですね......。

櫻井:大切な人を大切にできていない生活を繰り返すうちに、だんだんと「何のために働いているんだろう」「何のために生きているんだろう」と思うようになりました。

ストレスから体調を崩すことも多く、だんだんと屍(しかばね)のようになっていきましたね。


ーー明るくイキイキしている今の櫻井さんからは想像できない姿です......。

櫻井:結局、入社から1年で退職することに決めました。

きっかけは、とある朝のできごとです。その日は人身事故があって、駅のホームは人であふれかえっていました。

もう誰も乗れないだろうという満員電車に無理やり自分の体を押し込んだとき、ぷつんと糸が切れてしまったんです。

毎日必死に会社に行き、疲弊していく生活を繰り返すままに死んでいくなんて嫌だ。もっと生きる目的を持って取り組める仕事がしたいと考え、退職を決断しました。


再スタートは、自分にとっての幸せを可視化することから

ーーそこからどのように立て直していかれたのですか?

櫻井:心身ともにボロボロになった自分を見て、学生時代の自分は「憧れ」=「やりたいこと」だと勘違いしていたことに気づきました。

当時のわたしは、会社説明会をおいしいものが選び放題なバイキングのようなものと捉えていたんです。「こんな未来があるよ! こんな世界もあるよ! 夢は無限大だよ! 」と言われているようで。

でも、実際に社会人になってみると必ずしも憧れが自分にとっての幸せにつながるとは限らないと気がつきました。それなら、これから生きていく上で自分が大切にしたいものを見つめ直す必要があると考えるようになりました。


ーーなるほど。ご自身を振り返るところから始められたのですね。ちなみに、どのような方法で……?

櫻井:具体的には、自分にとっての幸せを紙に書きだして「自分的幸福論」と名付け、どんな自分になりたいのか、自分にとって何があれば幸せなのかを見直しました。

幸せの定義は人それぞれです。自分がなにを幸せと感じるのかわからなければ、選択するときの判断軸がぶれてしまいます。

それに、誰かの期待や自分の憧れに振り回されていたら、いつまでたっても本当の意味でやりたいことは実現できませんから。

実際に自分にとっての幸せを紙に書き出すうちに、人と関わることが好きな自分を思い出したんです。

学生時代は、自分のやりたいことは地域活性化だと一言で括ってしまっていました。でも、わたしがやりたかったことは「人と人がつながる空間づくりと観光をかけ合わせたおもてなし」だと気がついたんです。

今でも「地域」はキーワードになっていますが、「地域活性化」という言い方はではなく、結果的に地域が盛り上がるような仕事の仕方ができればと思っています。あくまでわたしのありたい姿は、全国各地に赴き、空間のおもてなしをすること。

自分にとっての幸せや実現させたいことが明確になったあと、知り合いの紹介で湯河原の旅館に転職を決めました。


ーーWebのお仕事から接客に職種を変えられたのですね。

櫻井:学生時代、多くの人と接する仕事は大変そうというイメージが先行して、就職先からは避けていました。でも実際に経験してみると、いろいろな人と関わることが好きな自分にとっては、得意なことを活かせる天職だったんです。

転職後はもちろん大変なこともありましたがやりがいがありましたね。その経験を通じて、お客様をおもてなしをすることが自分の幸せにつながっていると確信できたことも嬉しかったです。

その後はご縁があって転職をして、空間のおもてなしという軸は変えないままにゲストハウスの支配人も務めました。

ーー憧れやイメージではなく「自分が幸せに感じること」から働き方の選択をされたのですね。

櫻井:そうですね。選択の基準を「自分の幸せ」に絞ったことで、シンプルに感情が揺さぶられることを大切にできるようになりました。

また、自分にとっての幸せを紙に書いて可視化したことで、後から見直したり修正ができるんですよね。

転職後も、自分にとっての幸せを見失わずに物事の選択ができるようになりました。


ーー新卒で入社した会社での思い通りにいかなかった経験がプラスに活きたのでしょうか?

櫻井:心身ともにボロボロになり、家族や友達を大切にできなかった経験から「自分が幸せでないと周りを幸せにすることはできない」と気がつけました。だからこそ、自分にとっての幸せを真剣に考えられたのだと思います。

社会人1年目での経験は本当に辛かったですが、おかげで自分の身を自分自身で守ることを学べました。今となっては良い経験です。


大切な人を守れる自分になるために

ーー現在はどのような働き方をされているのですか?

櫻井:2019年からフリーランス女将として働いています。旅が好きなこともあり、日本各地に赴いて「空間のおもてなしするプロとして誰かの拠り所なる場所をつくる人」を目指していきたいと思っています。


ーーだんだんと、実現させたかった夢が具体的に落とし込まれて、現実になってきたのですね......!

櫻井:今改めて自分にとっての幸せを考えたとき、地球一安心させる存在になるためにおもてなしのプロになりたいと思いました。

実際に、旅館やゲストハウスでの勤務を経て、それが自分と周りを幸せにする道だと確信も持てましたから。

自分の夢を叶えるため、おもてなしを必要としている場に赴いて、自由な女将のあり方を模索したいです。

自分がプロデュースした空間が、誰かにとってのヨリドコロになってくれたら良いなと思っています。「なんとなくまた帰ってきたい」「この空間があるから大丈夫」と思ってもらえたらこんなに嬉しいことはありません。

就活生の頃は気がつけず苦い経験もしましたが、紆余曲折あったからこそ自分で切り拓けた揺るぎない道だと思っています。

ーーフリーランスという働き方を選ぶことに不安はありませんでしたか?

櫻井:ありましたよ。フリーランスといっても、まだ仕事が形になっていないので実質無職のようなものですから。もしかしたら、いずれアルバイトをすることになるかもしれません。

それに、フリーランスで日本各地に赴いて、おもてなしを提供しながら生きる人の前例はないため、実績づくりから始めていくことが必要ですよね。種まきの期間は長くなるだろうなと思っています。


ーーそれでもフリーランスという働き方に踏み切れたのには何かきっかけがあったのでしょうか?

櫻井:大切な人を守れるように生きていく力をつけたい、と思ったからでしょうか。地球一安心させる存在になるために、なにもないところから自己実現を進めて、人生経験の豊富な人になりたいと思っています。

自分を幸せにできる生きていく力があれば、友人が思いがけず転んでしまったときに「大丈夫だよ。一緒に歩こう。」と手を差し伸べられると思っています。

社会人1年目の頃のわたしのように自分で自分を幸せにする力が無ければそのまま共倒れですけれどね。大切な人を守るために、まずは自分で自分を幸せにする必要がある。

フリーランスは、なりたい自分になるための挑戦だと思っているので、不安もありますが今は楽しみのほうが大きいです。


わたしの失敗談は、誰かの酒の肴になればいい

ーー挑戦と失敗を繰り返す中で後悔されたことはないですか?

櫻井:後悔はないですね。 思い通りにいかずに転んでいる自分もおもしろいなと、どこか客観視をしているからかもしれません。

「これ、あとからネタになるなぁ」みたいな(笑)。旅先でのトラブルだって、パニックにはなるものの、帰国後の笑い話になるじゃないですか。

それと同じで、自分の失敗談なんて誰かの酒の肴かネタにでもなればいいなって思っているんです。だから、失敗することはそれほど怖くないですね。


ーーすごい......! 踏み出す一歩が軽やかな理由はそこにあったのですね。なぜ、そのように考えるようになったのですか?

櫻井:自分自身が出会ってきた人の中で「素敵だな。また会いたいな」と思う人はみんな、人生経験が豊富でした。成功も失敗も経験に変えて、自分らしく生きている人が人を安心させられるのだと、彼らに出会えたことで気が付いたんです。

わたし自身、4年間で3社を経験していますし、履歴書だけ見れば、転職回数も多い。でも、自分にとっての幸せがわかっているので、人と比べる必要もなく笑顔で生きていますし、夢も少しづつ形になってきています。

何かに踏み出すことが怖い人や、失敗して自信を無くしている人がいたらわたしを見てほしい。「こんな人間もいるなら大丈夫だよ!」と言いたいですね(笑)。

ーーご自身の経験から滲み出る安心感のある言葉は、読者のみなさんにも勇気を与えると思います......! 最後に、生き方の選択をする上で大事にしていることを教えてください。

櫻井:なにかを選ぶときは、自分の幸せを考えるのと同時に「明日死んでも後悔のない道」を選ぶようにしています。というのも、わたしは5年後10年後を見据えた計画的な生き方がどうしてもできなくて。

今、この瞬間を大事に生きたいんです。実際、明日何が起こるかなんて誰にもわかりませんよね。災害や事故に遭う可能性だって十分にあり得ますし、突然病気が見つかって入院することになるかもしれない。

わたし自身、新しい挑戦を始めるときは怖いです。不安に押しつぶされそうなときもあります。それでも足を動かし続けることを止めないのは、挑戦せずに死ぬ方がよっぽど怖いから。

死ぬ間際になって「やっておけばよかったな」と後悔しながら目を閉じるなんて格好悪いじゃないですか。

すごく刹那的な生き方ですが、計画性のないわたしは何事もやってみなければわからないので良い意味で計画的であることを意識していないんです。失敗をして学ぶ。これがモットーです(笑)。

こんなわたしを応援してくださる周りの人を大切に、これからも明日死んでも後悔のない日々を積み重ねていきたい。これがわたしの、生き方を選択する上で大事にしていることです。


*編集後記*

挫折や思い通りにいかない経験があるからこそ「自分にとっての幸せ」が見えてくる。女将という言葉の響きが持つ安心感と、櫻井さんご自身の柔らかな人柄。
しっかりと一致するふたつの言葉の背景には、櫻井さんがこれまでに培ったさまざまな経験が反映されているのだと強く感じました。
接客のプロとして「地球一安心させるおもてなし」を日本全国に広げていく櫻井さんの活躍が楽しみです!

編集:鈴木 しの(@shino74_811)
執筆:みさとん(@misaxx222)

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