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それが希望でなくて、なんなのだろう。

「この人の文章が好きだ。」
そう思ったのは、いつだっただろう。

自意識がこれでもかと膨れ上がり、揺れに揺れていた高校2年生のある日。友達と休日に地元の映画館へ行くことになった。いつもは制服でどこへでも行くわたしたちも、この日ばかりはもちろん私服。待ち合わせた映画館の入り口で見慣れない友達の私服姿がなぜか気恥ずかしくて、はにかんだ笑顔とぎこちない視線が空を漂った。それと同時に思ったこと。

みんな、可愛いな。

一人ひとり自分に似合った服を着ていた。その子の性格そのものの色遣いや生地、着こなし方で。本人たちは何も意識していなかったかもしれないけれど、わたしの目にはありのままの等身大を身に纏っている姿が輝いて見えた。

比べてわたしはどうだろう。

誰にも気づかれないように自分の胸からお腹、膝に靴までをすべるように眺めた。居心地がだんだんと悪くなってくる。

気づいてしまったのだ。自分が好きな服や着たい服を選ぶ前に、友達に可愛いと思われる服を選んでここへ来たことに。

同級生と自分を比べては、揺れに揺れていた高校2年生のある日に観た映画。それが初めての出会いだった。


西加奈子『きいろいゾウ』


暗く広い映画館に宙ぶらりんのわたし。記憶の限りでは、ふぅーっと息を吐いたあと涙が伝った。そのシーンは後の人生において事あるごとに大事に握りしめることになる。失恋をした後、大切な人が亡くなった後。惹かれるように手を伸ばすのはきいろいゾウで。

原作の小説には、ピンク色の色鉛筆で思いのままに線を引いた。映画の中では描ききれなかった空気や音や体温が、強烈に滲み出る。それを受け止める術を持っていないわたしは、ほとんど泣き出しそうにピンク色の色鉛筆を手に取った。


こんなに愛のある文章を、書く人がいるんだ。


それから何冊も読んだ。
表紙に『西加奈子』の名前があれば迷わず手に取った。形のない感情をそのままに、やりきれない想いを突き放し、ありのままのただそこにある「生きる」という混沌とした呼吸に言葉で形をつけてくれる彼女の文章。読むほどに感じる、「愛」。

不思議だ。
いくつもの自己啓発本を読んでも、何人もの人に相談しても見つからなかった答えがページをめくった先、飛び込んでくることもある。そんな一行に出会ったときは、決まって息をふぅーっと吐き、涙が伝ったあと、じわり身体が温かくなる。

サラバを読んだ。

「あなたが信じるものを、他の誰かに決めさせてはいけないわ。 」


社会に出てからも揺れに揺れていたわたしは、この一行に出会った瞬間、ぴたりと、誰にも気づかれず、音も立てず、静かに止まった。


「私が、私を連れてきたのよ。今まで私が信じてきたものは、私がいたから信じたの。分かる?歩。」

「私が信じるものは、私が決めるわ。」

「だからね、歩。」

「あなたも、信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。他の誰かと比べてはだめ。もちろん私とも、家族とも、友達ともよ。あなたはあなたなの。あなたは、あなたでしかないのよ。」

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。」


姉の貴子が弟の歩へ送った言葉。

出会う先、見える景色が変わるたびに、何かを信じ、裏切られ傷つき壊れてしまう貴子。それでも「信じる生き方」を選んできた彼女が、信じるものを見つけた先の言葉だからこそ。そしてそれが正義や悪で片付けられない「生きる」ことそのものだったからこそ。わたしはこの小説の中に、自分の信じるものを見つけることができた。

何度も何度も、なぞるように読み返した。何度も何度も貴子の言葉を心で呟いた。涙を流しながら真っ白や紙に、貴子の言葉を綴った。わたしが信じるものを、太く鮮やかにそしてしなやかに、するために。


「あなたが信じるものを、他の誰かに決めさせてはいけないわ。 」


信じた自分がいたから、その先に「今」わたしが「ここに」立っている。

それが希望でなくて、なんなのだろう。

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