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サッカーで解き明かす、オーストラリア移民の歴史

 こんにちわ。オーストラリアに移住して7年、知れば知るほど、奥の深さ世界の広さに気づかされる他民族・多文化国家オーストラリア。今なお、多くの人が自国の文化や伝統を少なからず引き継いで生活しています。今回から数回にわたり、オーストラリア移民の歴史について、自分がこれまで見聞きした事、今回新たに調べた事を織り混ぜながら考えてみます。第一弾、今回はグローバルスポーツ”サッカー”を通して、オーストラリア移民の歴史を振り返ります。

プロリーグの設立

 日本では1993年、プロサッカー”Jリーグ”が開幕しました。私自身、地元愛知県の名古屋グランパスエイトを当時は応援したものです。チームは地元の”トヨタ自動車工業サッカー部”が母体になっており、Jリーグが始まったばかりの頃は、実質的にトヨタ自動車サッカー部の元選手と外国人助っ人で構成されており、企業スポーツから地域密着型プロスポーツへと進化しました。

 一方のオーストラリア、日本に遅れる事10年、2004年プロリーグ(以後、Aリーグ)を立ち上げ、”ひとつの都市に1チーム”という理念により8チーム構成で始まりました。その時に出来たメルボルンのチームがMelbourne Victory(2018/19は、本田圭佑選手がプレー)です。このチームは母体を持たずゼロベースで立ち上がったようなのですが、敢えてヨーロッパ系移民が支援する地元サッカーチームを母体チームとせず、独立した新規チームで地域密着プロスポーツを目指したのでした。

 既に存在していた有力チームから、距離を取らざる負えなかった。そこには、オーストラリア特有の事情があったのです。

ヨーロッパ移民によるサッカークラブの設立

 Aリーグ設立構想が立ち上がった際、オーストラリアには既にNational Soccer League (NSL)というセミプロの全国リーグが存在していました。

 そして、そのリーグを構成していたチームは、ほぼヨーロッパの民族コミュニティを基盤にしたチームでした。主な国は、東ヨーロッパ、南ヨーロッパでギリシャ、マルタ、セルビア、イタリア、クロアチア、ハンガリー、北マセドニア、オランダ そして、ユダヤ人等々。
(セルビア、クロアチア、北マセドニアは当時まだユーゴスラビア内の共和国)

 私の娘たち、冬になると地元サッカークラブで地域リーグの試合に参加します。そのリーグに参加しているチームも、元はどこかの民族コミュニティだったわけです。もちろん今では、どんな国籍でも自由に参加できるオープンな雰囲気なので心配はいりません。

 ただ今でも、民族の雰囲気が残っていたり醸し出しているチームもあり、例えば隣町のNorth Geelong Warriors(エンブレムは下写真)。赤と白の柄、どこかで見たことのあるデザインじゃないですか?

 1994年までチームは、”North Geelong Croatia”と呼ばれていました。そうなんです、クロアチア移民のチームなんです。チームHPを参照すると、この年に民族を象徴するようなチーム名が禁止されたため、Croatiaを取り Warriorsに変更したとあります。

 これは特別に珍しいことではなく、メルボルンで強豪、規模の大きいチームを挙げると(下、地図あり)
①”South Melbourne FC” は、旧名 ”South melbourne Hellas”。HELLASというのはギリシャ語でギリシャ自身の事です。
②”Preston Lions”は、旧名Preston makedonia。北部マセドニア出身の移住者
③”Brunswick Zebras Football club”は、 旧名 ”Brunswick Juventus”。ユベントス(Juventus)は本家イタリアの強豪チームの名前と同じ。
④”Heidelberg United FC”は、旧名”Alexander the great soccer club” アレクサンダー大王は古代ギリシャ。
⑤”Green Gully soccer club”は、 旧名”Ajax Soccer Club”。 AJAX(アヤックス)というオランダのサッカーチームが有名ですが、このチームはマルタ出身者です。
⑥”Melbourne Knights FC”は、旧名”SC Croatia”。クロアチアそのまま。
⑦”Fitzroy City SC"は、旧名”Carlton Serbia". セルビアそのまま。

 こういった民族コミュニティチームが、1950年代にたくさん設立されました。

 ちなみに、私の会社同僚イタリア系移民二世のトニーは、若いころはギリシャ系の友達と上述のSouth Melbourne Hellasのゲームを観戦に行き、終わった足でメルボルンのイタリアンレストラン街RYGONストリートに”若者たちの社交”に毎週末通っていたと、思い出話を聞かせてくれました。

オーストラリア版”金の卵”たちとサッカー

 ヨーロッパ系移民の歴史をもうちょっと理解してみます。

 第二次世界大戦前、オーストラリアに移住して来たのはほとんどがイギリス、アイルランド、ニュージーランドなどの旧大英帝国の人達。彼ら以外は、ほんとうに少数派でした。

 第二次世界大戦後、オーストラリアは日本より一足早く高度経済成長(だいたい1945-1970)を迎え、このあたりから状況が変わりました。国内で製造業が栄え、たくさんの工場労働者が必要になり、経済が成長し国の人口も一気に伸びました。

 十分な移民受け入れ人数を確保するために、旧大英帝国以外の国からの受け入れを緩和する以外に、手はありません。そんな背景もあり、東ヨーロッパ、南ヨーロッパ各国、多くの人達が海を渡りました。オーストラリア版”金の卵”たちは、田舎の農村から都会への”集団就職”ではなく、海外から呼んだ移民だったのです。

 遠くの国から来た彼らには、オーストラリアで所属できるコミュニティーが必要なのは当然です。仕事を紹介してもらったり、困った時は助け合ったり、子供達を一緒に育てたり、英語を習う場所でもあったかもしれません。同じ祖国、母語も持つ事で生まれる信頼関係。サッカークラブは、おそらくコミュニティのみんなが集まる”場”の役割だったのでしょう。

 現代はインターネットがあって何て便利なんだろうと感じます。私が移住した時(2012年)は、最初オーストラリアに誰一人知り合いはいませんでした。それでも移住前から、日本から永住権を取る方法、現地就職するための準備など、たくさんの情報に既にアクセスできました(2007年ごろから情報集めてました)。現地についた後でも、インターネットさえあれば、すぐに仮住まいを見つけ、1週間もすれば就職活動開始できる、現地に住む日本人家族ともすぐ知り合いになれる。そして祖国の家族、友人ともいつでも連絡が取れる。そんな便利な時代、恵まれた環境に生まれて幸運でした。

サッカーリーグの苦境、そして新リーグ構想

 さて、そんな民族色たっぷり、多様性に溢れたチームがプレーしていたAリーグ発足前のNational Soccer League (NSL)ですが、90年代には色々な課題が噴出してしまいました。その一つが、サッカーがオーストラリア人のスポーツと言うよりは、”Sports for ethinic(民族)"と見られすぎてしまい、多くの国民が支持するスポーツになりきれなかった事があげられます。当時、社会の上位階層、イギリス系住民が好きなクリケット、ラグビー、オージーフットボールに対して、サッカーは移民のスポーツであるという考えが強かったのです。

 また、サッカーチーム同士、民族間の代理戦争ともいえるサポーター同士の喧嘩が起こるなど、とても多くの一般国民から支持を得られる状態ではなかったようです。多くの人が気軽にサッカーに親しめなければ、広告スポンサーも離れ、結果的に財政的にも厳しくなるのは当然でしょう。

 考えてもみれば、90年代はセルビア、クロアチア、北マケドニアなどを巻き込んだユーゴスラビア紛争の真っただ中。ギリシャと北マケドニアはごく最近まで、マケドニアという名前の使用を巡って争ってきました。これは一例に過ぎませんが、祖国の争いを新しく移住してきた第三国に持ち込み、確執を続ける、残念ながら実際に世界中で起こっています。

 私の職場の同じチームで働く Chrisクリスは、クロアチア系両親のもと移住先のドイツで生まれ、彼が中学生ぐらいの時に今度はオーストラリアに移住してきました。彼いわく、多くの人が政情不安のため、祖国を離れたそうです。個人的に思い出されるのが、元名古屋グランパスのストイコビッチ(セルビア、旧ユーゴスラビア出身)。ゴール後にNATOのユーゴスラビア空爆に反対したパフォーマンスをしました(1999年)。当時、高校生だった自分にはその意味がほとんど分かっていませんでしたが。

 プロリーグAリーグ構想とは、こういった時代背景もあり、社会階層の分断、民族間の対立を乗り越え、多くの国民に支持してもらうスポーツに生まれ変わろうとした、革命でもあったのです。

 ちなみに、私の隣町サッカーチームの名前が使用禁止になったのもちょうどこの時期で、サッカー協会はなんとか民族色を取り除こうと努力していたのです。

21世紀における移民とサッカー

 時代は流れ、オーストラリアに移住する人の出身国は、半世紀の間にずいぶん変わりました

 オーストラリア在住者で海外で生まれた人の出身国ランキングを見てみます。(ref. Australia CENSUS in 1966; Top 10 countries of birth for the overseas-born population)
 1966年、イギリス出身者が40.1%と圧倒的に多い。イタリア、ギリシャ、ドイツ、オランダ、ユーゴスラビアが後に続き、トップ10か国で全体の82.8%を占めています。ほぼヨーロッパ系移民。

 そして、50年が経った2016年がこちら。
 イギリスが1位なのは変わっていませんが、上位10か国に、中国、インドの二大移民輸出国を含め、アジアが6か国入っています。また上位十か国の割合が41.3%に下がっています。つまり、移民はアジアの国を始め、世界中色々な国、地域から人が集まる様になったんです。新しいグローバル化が一気に進みました。

 そんな新しいオーストラリア移民の愛するスポーツは何か?について考えます。伝統的にオーストラリアで愛されてきたオージーフットボール、クリケット、ラグビー、テニスは、イギリスを旧宗主国に持つインドなどを除けば、多くの人にとって馴染みのあるスポーツではないでしょう(一般的にはそうで、個人的にはラグビーはスタジアムに足を運ぶほど好きです)。私自身、実を言うとオーストラリアにいながらも、オージーフットボールやクリケットは、ほとんど見ません。

 そこで今、サッカーが再び見直されているんです。アジア系含め世界中の地域からくる人にとって、一番馴染みがあり、一番多くの人に接点があるのが、グローバルスポーツ”サッカー”なのです。

 今年行われた女子W杯、オーストラリア女子代表(通称、マチルダズ)は、残念ながらベスト16で敗退したものの、ここ数年快進撃を続けて来たチームの人気はもの凄く高いです。そして、次回2023年女子Wカップ招致にオーストラリアは本気で臨んでいるというニュースも耳にします。”マチルダズ”を象徴とする、国民みんなで応援できるスポーツをオーストラリアに普及させる。そんな大義であれば、私はぜひ応援したいです。

 昨年は本田圭佑選手、永里優季選手、近賀ゆかり選手といった実績ある選手がオーストラリアの一部リーグでプレーしました。少しづつ、日本人はじめ多国籍なバックグラウンドを持った選手のプレゼンスも上がってきましたが、まだまだこれからでしょう。私の日本人友達の子供たち、近所で仲の良い韓国人家族の子供達など、サッカーに熱中する子供たちは私の周りでも増えています。彼ら彼女らが成長する10、20年後には、オーストラリアサッカーと移民社会、今とはまた違った景色になっているのは間違いありません

最後に


 オーストラリアで色んな人と話して面白いなと感じた逸話を、なんとか上手くまとめようと思っていました。そのためにサッカーはピッタリのテーマではないでしょうか。今回は戦後多くの移民を輩出した、ヨーロッパ諸国の歴史が中心になりましたが、次回テーマでは、新しい切り口で違った国にスポットライトを当てていきます。お楽しみに!

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Masashi Ishikawa

エンジニアとしてオーストラリア永住権を取得し、2012年メルボルン郊外ジローング(Geelong)へ移住。ピックアップトラックRangerの開発に従事。三姉妹の父。現地の暮らし、永住権、就職、不動産ネタを記事に。よろしくお願いします。Twitter @mishik2019
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