私と真剣に向き合ってくれた大人。


私が大人になるまでのあいだ、
私と真剣に向き合ってくれた大人って
一体どれくらい居たのかな。

子育て真っ最中の今、ふとそんなことを考えた。


たぶん、たぶん、それなりに居たのだとは、思う。
(そう思いたい)

こんなこと言うなんて
親や家族、その他、
今まで関わってきてくれた人達に対して
すごく失礼なんだとも重々承知している。

人それぞれのやり方で
その場その場で向き合ってくれたことは
わかっているし、愛も感じてた。感謝もしてる。


でもどこか、
“自分は周りから 腫れ物扱いされている”
そんなことを、子どもながらには感じていた。

幼稚園のときには既に
シングルマザーの子供だったので
一番はそのせいかな、と思う。
いろいろ知っている大人達からしたら
“可哀想な子”だったんだろう。

体も心も弱くてすぐに保健室に行くし
大人しくて、すぐ泣くことがあったりして
情緒も不安定だったのかもしれない。

なんとなく大人たち皆が、
私に対してはうやむやに優しかった気がする。

核心には触れないようにしながら。



母もまた、私に対してほとんど怒ったことがない。
性格もあるだろうけど、
やっぱり他の家庭よりはかなり自由だった。
母自身、厳しくされたので
子供には自由にさせてあげると決めていたらしい。

それに、どこか私に対する申し訳無さ
みたいなものも少なからずあったように思う。

自由にさせてもらって感謝している一方、
無いものだりだけど
あれは怒ってほしかったな、
ということも正直あったりする。

当時の私と母は、腹を割って話す
ということはほとんど無かったと思う。


そして何より、一番向き合ってほしかったなぁと
今でも思ってしまうのは
「私が学びたいこと」を流されちゃったこと。

まだ子供のときは、貧乏な自覚はあれど
習い事にお金がかかる、とか
送り迎えしてもらわなきゃ、とか
そこまで考える頭が無くて。

年齢を重ねるうちに
そのことが少しずつわかってきて
高校受験のときは
本当は私立の高校に行きたかったけれど
高くて通えないから県立にしたり、
高校卒業後は専門学校に行きたかったけど
諦めて進路希望を就職にかえたり。

それにお金の問題だけでは無かった。
働きたい職種があっても
「あんたには無理じゃない?」
と言われて諦めたりもした。

今ならわかる。
それはうちの家じゃ、私じゃ、
不可能だったんだって。
でも、ちゃんと聞いてほしかったの。

まぁ、恥ずかしくて
冗談ぽく「やってみたいな〜、へへ〜ん」と
へらへらしてた私も悪いんだけど(笑)

あのときの何か一つでも挑戦できてたら、って
そう思うと少し悔しい。
母を恨んでるわけではない、
ただ挑戦できなかった環境も自分も悔しい。

だって、絶対に出来なかったわけじゃないから。
何年かバイトしてお金貯めて、とか
違う方法で挑戦することができた筈のことも、
勝手に自分で諦めちゃってた。

そんなときに、真剣に向き合って
アドバイスをくれた大人がいたなら、と
他力本願な私は思ってしまうのだ。

でも、そんなのいるはずが無かった。

だって、私も大人の誰かに何かを
真剣に相談したことなんて無かったから。

自分の気持ちを話すのが苦手だったし、
自分の気持ちに自信がもてなかった。

正直、信頼もしてなかった。
疑ってたわけじゃないけど、
頼れるような大人はいなかった。

大人と話すときは適当に愛想笑いで
なんとなくで過ごしていた。






でも、たった一人だけ、一瞬だけど、
確かに私と真剣に
向き合ってくれたような気がする、
そんな人の顔が、そのシーンが、
今でもたまにチラつくときがある。

それは、中学三年のときの担任の先生だった。
少し風変わりで、見た目も話し方も
個性的なその先生。
ユニークで生徒からも人気があって
優しくて、不思議な先生。

私は自ら先生に絡みに行くような
タイプではなかったので
ほとんど話したこともないし、
先生も私のことを
地味で目立たないクラスの中のモブの一人、
くらいにしか思っていないだろう
と思っていたのだけど。

高校受験のときだった。
県立高校の前期選抜を受けることになり
「かれんさんなら絶対に大丈夫。」と
その先生は太鼓判を押してくれた。
勇気づけるために皆に言っていたんだろうけど
なんだかとても嬉しかった。

結果、私は落ちてしまった。
そりゃ、そうだ。
消去法で決めた高校だったから
志望理由なんか揺らぎまくっていて
面接官の先生にはバレバレだっただろうから。

でも、当時の私は不安になる一方で
「行けるかも」とも思っていた。
だってずっと今まで
“いい子”ではいたつもりだったから、
そこを評価してくれるんじゃないかって。
…もちろんそんなに甘いわけは無く。

今まで、ろくに挑戦や挫折を
経験してこなかった私は
“不合格の自分”をイメージできないでいた。


前期選抜の合格発表は
教室で担任と二人きりの空間で
合否を告げられるというシステムだった。

もう、どういう言葉だったかは
忘れてしまったけど
「不合格」と聞いたときに、
私の頭にはいろいろな思いが一瞬でよぎった。

落ちた、うそでしょ、なんで。
いや、そりゃそうか。そうだよな。
これって現実なのか?
母に言うの嫌だな、またお金かけてしまうな。
やっと受験から解放されると思ったのに
まだ続くのか。後期選抜まで勉強しなきゃ。
逃げたい、この場からすぐに逃げたい。
誰にも会わずに帰りたい。
でも家に帰って家族に「落ちた」というのも辛い。誰にも合わせる顔がない。

「絶対大丈夫」と言ってくれた
目の前にいる先生に申し訳ないし恥ずかしい。


そんな私に対して先生は
「どうしてなのか、本当にわからない。」
と言ってくれた。どこまでも優しいと思った。

その優しさを裏切らないように
私は「うわぁー。落ちたかぁ〜!」みたいに
笑いながら答えた。
先生にも笑ってほしかった。
自分の気持ちを誤魔化したかった、
いつもそうしているように。


でも先生は笑わなかった。
一瞬の沈黙の後に、
優しくも真っ直ぐな眼差しで
「泣いても良いんだよ。」と一言だけ呟いた。


その一言で、
全てを見透かされてたんだ、とハッとした。
それと同時に、
私をわかってもらえているような、
全てを許してもらえたような、
安心感みたいなものに包まれた気がして
気づいたら涙はもう出てた。
なんの言葉も発することができなくなって
もう記憶が曖昧だけど多分逃げるように帰った。

わからないけれど、自惚れかもしれないけど、
その「泣いても良いんだよ。」は
不合格だったことに対してだけではなく
そのときの私、そのものに対して
言ってくれているような気がして、
何故だかわからないけれど
それはものすごく確信に近くて、
そのときのことを思うと
私のこともクラスの一人として、
先生は真剣に向き合ってくれていたんだな、と
本当に不思議な先生だなぁと思いながらも
今でもすごく感謝している。




これを書きながら、読者の方に対して
この出来事のこと、私の想いは
伝わっているのだろうか、と不安になる。

もしかしたら、他の人からしたら
「たったそれだけ?」な事なのかもしれないし、
ただの偶然の一言かもしれないし。

でも私にとっては
良い意味で心をえぐってくれた大人は、言葉は、
後にも先にもその先生のその一言だけだった。


いつかこの出来事のこと、
文字という形に残したかった。
もし他の誰かにわかってもらえないとしても
私の心に深く刻まれたこの出来事を。

でも書くタイミングがわからなくて、
熱量を上手く伝えられる気がしなくて。

でもでも、
今回このnoteの創作大賞というものに
本気で挑戦したいな、本気で書きたいな、と
思ったときに浮かんできたのが
このエピソードだった。
何故だか最近このことをよく思い出していて、
それはこの為だったのでは無いかと思う程。

たった一瞬のことだけど
私にしか書けないエピソード、
どこかの誰かに響くと良いな。
私があのとき心を貫かれたように。



そして今思うのは、
この先の息子に対して
真剣に向き合ってくれる大人が
側にいてくれると良いなと思うこと。

もちろん親として私も向き合っていくつもり。
それでも、親には出来ない寄り添い方が
必ずあると思う。
それは先生であったり、コーチであったり、
近所の人かもしれない。親戚のお兄ちゃんかも。
たくさんの人に助けられながら、頼りながら、
人の優しさを知って生きていって欲しい。
たくさんの目で見守ってあげて欲しい。


今だって、そう。

先生達には悪いことはしっかり叱って欲しいし
何か不安そうなことがあれば聞いてあげてほしいし

子供がスーパーや道路で危ないことをしていたら
知らない人であっても「危ないよ!」と
声をかけて欲しいと思う。
(母の「あかんでぇ!」は届きません笑)

知らない人=関係のない他人
子供を叱る=問題になってしまうからしない

そんな寂しい社会の構図を書換えたい。

遠慮なんかせずに、気にしてあげて欲しい。
寄り添ってあげて欲しい。
親には言えないような本音を聞いてあげてほしい。

一児の母である私から
周りの大人の方たちへ、どうかお願いします。
同時に、私もそんな大人でありたいと思う。



そして今関わってくれている
保育園の先生方には本当に感謝しています。

先生達が多忙の中で
本当によく子供たちを見ていてくれて
私達に事細かに様子を伝えてもらえるお陰で
知れること、新しい発見がたくさんあります。

先生に褒めてもらえることも
注意してもらったことも
子供には深く響いているのがわかります。

これからもそんな素敵な大人の方達や
私が救われた
あの担任の先生のような人に
子供が出会えることを祈って。

そして、子供が心の声を
口に出すことができるように
日々伝えていきたいと思います。



最後に、

先生、あのときは本当にありがとうございました!







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