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国家や社会は道具に過ぎない

台風19号が連邦共和国北部を流れる千曲川の決壊をはじめ、各地で甚大な被害を及ぼしている。一方、日本の群馬県では、完成したばかりの八ッ場ダムが、その治水機能を発揮させている。しかし、ホームレスを避難所から追い出す動きもあり、これを理由に「人よりもコンクリート」というような言説が流布されているのは非常に憂慮すべき事態である。人のためには福祉もコンクリートも大切であるからだ。

国家や社会は人間が幸福に生存するための道具に過ぎない。経済が元々、政治全般を表した經世濟民の意味であるように、国家とは、人間を救うために個人や企業では、どうしようもないぐらいに巨大な社会という現象を治めるために、権力という名の人を動かす能力を付与された道具なのである。

国家や社会が道具であるという事実は、治水から始まった記録の残る歴史が証明している。まず、人類が定住し農業を始めた時、真っ先に直面した困難が、我々を育む大自然がもたらす自然災害である。人類は農業を始めた時、本格的に自然をコントロールし始め、制御できない上に人間に対して害を及ぼす現象を災害だと認識した。そこで人類は、自分たちの身を守るために、自然を制御できる知恵のある人間の言うことを聞いて、その人の指示に従って自然を制御する作業を行うようになった。権力者と権力の誕生である。

人間が権力に従って、効率的に農業を始めた時、大規模な貯蓄が可能になった。貯蓄が可能になった事により、これを持つ者と持たざる者の間で生存能力の格差が生まれ、この格差を解消するために、富の交換と奪い合いを始めた。富の交換は経済、奪い合いは小規模なもので窃盗や強盗、大きなものは戦争と呼ばれるようになった。

奪い合いと経済の発生により、人類は貯蓄の管理を行う必要が出てきた。管理のためには記録が必要である。そこで人類は文字を開発し、様々な現象を一元的に記録、管理できるようになった。さらに文字は知識や技術を持つ権力者が知識を大勢に与え、自分の道具として効率よくより多くの人間を管理できるようになった。そこで奪い合いを防ぐために、法律を作り、1つの権力の支配下にある奪い合いを防ぐと共に、外部からの略奪に対しては動員によりこれを跳ね除け、時には略奪にも出かけた。経済の発達により、人間だけでなく富も一元的に管理する必要も出てきたため、権力の支配下にある貯蓄に対しては税を課すことも可能になった。国家の形が作られた。

しかし、人類が身を守るために、知識や技術力のある人間の言うことを聞いて形作られた国家であったが、文字が生まれる以前は知識や技術の継承が親から子へと伝聞する形式であったため、文字が普及してからも権力の継承は親から子へと引き継がれる状態のままであった。なので長らく権力を一部の人間が独占している状況が続くようになり、その歴史の長さが権威として権力の根拠になった。更に権力を一部の人間が独占する状況により、権力者は、その支配下にある人間を自分のものだと錯覚するようになり、自分のためだけに権力を振るうようになった。権力者自身のための権力の利用は、国家による抑圧や搾取、執拗な戦争や徴用として現れ、やがて支配される人間は、国家自体の抑圧を脅威と感じるようになった。抑圧に対する人間の自己決定権は自由だ。一方、文字によって権力者の知識や技術を手に入れた人類は、人類を守るための道具として機能しなくなった権力者を倒して、自分たちが預けていた権力を取り戻す方法、革命を開発した。

しかし圧政に対する革命によって取り戻した権力は、再び新しい権力者によって自分のために用いられるようになり、革命は何度となく繰り返された。革命もやはり武力衝突である以上は人が死ぬ。人が死なないようにするためにはどうするか考えた人類は、権力を常に国民一人一人が管理して改善する民主主義を開発した。そのために国民一人一人が対等である必要があり、平等が開発された。民主主義を維持するのためには、権力者によらない意思決定体系も必要であり、人類は今まで国家が人間に課していた法律を、国家に対して適用し、法の支配が生まれた。国民一人一人が主権者ということは、それぞれが権力者の知識を必要とするため、公教育も生まれた。

自由、平等、民主主義を手に入れた人類はこれらによる新たな危機に直面した。人間は国家により平等に扱われる存在となったが、自由でもあるため、富める者も貧しき者も、平等に扱われた。特に富める者はその財力により、貧しき者を利用するようになり、新たな権力者の様相を呈するようになった。また、民主主義による意思決定方法は、多数決によっていたので、国民の大多数が敵と考える対象に対しては、権力を行使し、これを抑圧する行動をとるようになってしまった。自由、平等、民主主義がもたらすものも、やはり抑圧であった。そこで人類は、一人一人が抑圧されないようにする防衛ライン、人権を開発した。人権を開発した人類は、人権を守るために国家や社会の資本を投入する行動、福祉を開発した。

今後、人間一人一人が情報として扱われていく時代、国家が果たすべき役割とは何であろうか。もちろん、未来に渡ってもやはり、個人レベルではどうしようもない、大規模な世界において、人間一人一人の権利と自由を保護する事にある。従来の方法で人権を防衛する事は当然で、更に人間一人一人が主権者として、川の流れや金の流れを支配したように、情報の流れを個人の権利を保護するために常に民主主義の支配下に置くことである。

治水に始まり、権力や文字や経済、国家、法律、民主主義、自由、平等、人権、福祉に至るまで、人類が開発してきた概念は、一貫して人間一人一人の幸福のために利用され続けてきた。そして国家や社会は、人間の幸福という目的を忘れた時に暴走を繰り返してきた。我々はこうした暴走を防ぐために、国家や社会は人間のための道具である、という認識を、今後も常に維持していきたい。道具としての信濃バーチャル連邦共和国をよろしく。

ストラテ・ランチャ!

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