長月みそか

漫画家

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  • 表現規制についての雑感

    表現規制について個人的に思うことをつらつらと

最近の記事

クリエイター搾取とマーケター

企業による末端クリエイター搾取問題は、そもそもがパワハラなので立場の弱い末端クリエイターにできることは少ないけれど、容認してきた自分たちにも責任の一端はある。 近年はだいぶ改善されてきたものの、クリエイターに関わるビジネスや企業が昔よりも多様化して増えたことで差し引きゼロともいえなくはない。 いつだったかの忘年会で代理店のお偉いさんに絡まれた。 「世の中に価値を創出してるのは俺等であって、まちがってもお前ら三流クリエイターじゃねえんだ!」 たしかにマーケティングやブラ

    • 絵で食べていこうという思い上がり

      本来自分は自己肯定感がかなり低く、絵を仕事にできるような能力があるとは思ってもいなかった。 しかし、90年代ぐらいまでは「こんなんでいいなら、僕の方がもう少し上手にできるかも?」と思うような、あまり質の高くない広告カットが世の中にあふれていた。 それは間違いなく、絵で食べていく道を選んだ理由のひとつだった。 「絵で食べていけたら幸せだろうな。」 「もしかしたら自分にはギリギリそれができるのかもしれない。」 「たとえずっと三流でもいいから、死ぬまで絵かきとしてしがみつき続

      • ブーメラン

        結論としては同意するものの、無視できない矛盾をはらんだ主張を目にした。 理想や大義の前の小さな矛盾には目を瞑るべきという考え方はできればしたくない。 そうなると同意していた結論も危ういものに感じられてしまう。 0か100でしか考えられず、100を絶対だと考える人にとっては、99でも許せない。 100という無謬性を担保するために無理な主張をくりかえせば、必然的に矛盾も生じる。 その矛盾を指摘して無謬性をひっくり返そうものなら、まちがいなく良識を疑われ、敵とみなされてしまう。

        • 「モノ化」と「性的消費」について

          性的な差別や搾取と表現規制の是非に伴い、近年よく見かけるようになった言葉に「モノ化」や「性的消費」という言葉がありますが、その定義は非常に曖昧で恣意的に使われがちなため、建設的な議論の妨げになっています。 これらの言葉を分析してみると、大きく分けて2つの意味を持っていることがわかります。 (1)実在の女性を「モノ」として性的に搾取すること (2)想像上の女性を性的に表現した「モノ」を消費すること 意味合いが根本的に異なるこれらを、曖昧かつ恣意的に混同した議論が多く見受け

        クリエイター搾取とマーケター

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        • 表現規制についての雑感
          5本

        記事

          オタクは女性の敵か

          オタクは女性の敵なのだろうか。 「女性の敵」を「実在する女性を性的または社会的に搾取・支配する男性」と定義した場合、その多くは非オタク層なのではなかろうか。 女性の敵となる男性の多くは基本的に「こじらせた支配欲を不適切な方法で実行する人物」であるといえる。 「支配欲をこじらせた人物」は「負け組」であると思われがちだけれど、そうともいい切れない。 それは、痴漢常習犯に高学歴が多いことからも伺える。 「支配欲をこじらせた人物」とは基本的に「権力志向の強い人物」である。 いつ

          オタクは女性の敵か

          オタクvsフェミ

          オタクvsフェミといった構図の紛糾がネット上で盛んになって久しい。 ネット上でオタクバッシングに熱心な人たちは、その言い分から察するにミサンドリや性嫌悪に加えてオタクフォビアをともなった先鋭的なラディカル・フェミニストの一派だと思われるため、単純にフェミとしてくくってしまうのは非常に危うく、まっとうなフェミニストへの風評被害になりかねない。 また、その表現規制運動に便乗する男性も少なからず見受けられるため、ここではあえてフェミとは言わずオタクフォビアで統一する。 先に結論

          オタクvsフェミ

          差別について

          差別というものを初めて知ったのは、小学校の道徳の時間だった。 しかし、差別を身近に実感する機会が少なかった当時の自分にとって「ふうん・・・そういうことがあるのか」ぐらい、差別は他人事だった。 そんな自分が最初に差別を実感したのは、それから十数年後のこと。 20代前半の頃、仕事で会った関西出身の中年男性と話をしていた時、突然彼が部落差別発言を口にした。 とにかくギョッとしたし、強烈な気持ち悪さを覚えた。 授業では習ったし、フィクションではたまに見かけたけれど、現実にこ

          差別について

          猥褻とゾーニング

          春画展の開催に際し、「春画は猥褻か芸術か」という議論が起こりましたが、「わいせつ」の定義が曖昧なため議論は平行線をたどりました。 まず「性的である」「裸体である」「性行為を取り扱っている」このどれもが「わいせつ」を成立させる直接的な要素ではありません。 そもそも、「生命の根源である性」に対する表現を禁忌とする考え方自体がキリスト教的な古い偏った価値観であり、物事を論理的に考える上では非常に煩わしい問題です。 しかし、その表現を不快に思う人の権利も考慮すべきです。 となれ

          猥褻とゾーニング

          少女観察論

          WEBコラム「女子中高生に固執する成人男性たち」に端を発したツイッターでの一騒動がありました。 あまりに論点が多すぎて整理しきれませんが、「町中で女子中高生を観察し、それを絵に活かすこと」の倫理的な是非が問われるのであれば、自分としては考えざるをえない問題です 基本的にこのような「観察事案」において、「どういった心情で観察していたか」を考慮することは無意味です。 知り合いに似てると思っただけかもしれませんし、服にプリントされた文字に興味があっただけかもしれませんが、もち

          少女観察論

          パースのあり方

          しばしばパースの話をしているため、自分はパース理論至上主義と誤解されることがあります。 しかし、僕自身は知識や理論・技術などに対して原理的に固執することをよしとしないスタンスなので、パースについても同様で至上主義とは対極の立場です。 パース理論にかなってない絵がダメだとは少しも思いませんし、パースがとれているにも関わらず臨場感のない背景を描くくらいであれば、パース無視の方がはるかに良いと思っています。 パースを習いに来る若い子には、まずイメージ重視のフリーハンドで、パー

          パースのあり方

          解像度のお話

          解像度というと「なんか難しいんじゃない?」と、あえて勉強しないできた絵描きの人も少なくはないようですが、デジタルで絵を描いたり、PCでデジタル画像を取り扱う仕事の人にはどうしても必要な知識です。 「解像度の事はよく分かってないけど、この際覚えておきたい」という方だけ読み進めてください。 できる限り簡単に説明しますが、算数のお話も多くなるので数字が苦手な人はちょっとだけ我慢してついてきてくださいね。 解像度の考え方は小学生の頃に習った時速の計算に似ています。 たとえば、1

          解像度のお話

          誇りをもって

          つまらないプライドを持つよりは、誇りを持ちたいものです。 誇りは誰にでも持つことができます。 なぜなら、それは実績や実力の優劣で担保するものではなく、自らがどう取り組んできたかに対して持つものだからです。 物事と誠実に向き合い、真摯に取り組む人であれば、誰にでも持つことができるのが誇りというものです。 もし実績や実力の証明を必要とし、それに依存しなければならないようなものであれば、それはすでに誇りとは言えません。 誰々より優れているという相対的な証明の必要はなく、むし

          誇りをもって