パースのあり方

しばしばパースの話をしているため、自分はパース理論至上主義と誤解されることがあります。

しかし、僕自身は知識や理論・技術などに対して原理的に固執することをよしとしないスタンスなので、パースについても同様で至上主義とは対極の立場です。

パース理論にかなってない絵がダメだとは少しも思いませんし、パースがとれているにも関わらず臨場感のない背景を描くくらいであれば、パース無視の方がはるかに良いと思っています。

パースを習いに来る若い子には、まずイメージ重視のフリーハンドで、パースを使わずに下書きするよう教えます。
この時点でパースがあっている必要はなく、むしろパースが大きく狂っていても、臨場感がでているならそのままペンを入れるように薦めます。

そうすると、「感覚だけでそんなことができるならパースなんて習わないですよ」と、決まって言われるのですが、極論をいえば、感性で臨場感のある背景が書けるならパースを習う必要なんてこれっぽっちもないのです。

じゃあ、なぜパース理論を語るのか?
その理由は主に2つ。

ひとつは、フリーハンドで描いた背景に違和感がある場合の検証道具として、知っておくと便利な知識だから。

そしてもうひとつは、どうしても感性で背景を描けない人にとって有用な方法論だから。

基本的にはイマジネーションと感性重視で描き、前者の「検証道具としてのパース理論」を用いるのが理想です。

想像力、デッサン力、空間認識力、平面構成センス、これらのいずれかがある程度以上あれば、感覚だけでほとんどをカバーできるため、パース理論を知る必要性は本来ありません。

それは、骨格や筋肉を詳細に熟知していなくても人体が書けるのと同じ理屈で、パース理論による検証は、両手が右手になってしまわないための検証であったり、等身バランスのチェックと同じ話なのです。

なんにしても、一番大事なのはイマジネーションで、その説得力がなまじのパースを凌駕してしまうくらいが理想だと思っています。

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長月みそか

漫画家
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