お金で「消費」しない仕組みって何だろう?

日本人が、戦後に経済成長して来た中で、置き忘れてきたものは何だろう。そんな事を時たま考える。今日ふと思ったのは、「消費」という言葉は戦前にあったのだろうか、という事。

費やして消していく。その先に何があるのだろう?「消費」という言葉に、あまり良いイメージを持たない私。でも、それが偏っていないか、まずは、一般的な「消費」の意味を捉えるためにコトバンクを見てみる。

人間の欲望を満たすために物財を費やす行為。消費は人間生活を維持,向上させるために行われるが,この点からみれば経済活動の基軸をなす生産は最終的には消費を目的としているといえる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
① 物・時間・エネルギーなどを、使ってなくすこと。 「時間を無駄に-する」
② 〘経〙 欲望充足のために、生産された財貨・サービスを使うこと。
(大辞林 第三版)

(https://kotobank.jp/word/消費-79739より引用)

さらに、悪いイメージになってしまった。やっぱり、漢字が表している通り、使って終わりという意味でしかない。でも、信じられないのが、「人間生活の維持、向上」が消費によって達成され、「経済活動の基軸をなす生産は最終的には消費を目的としている」こと。

つまり、使い捨て文化が私たちの社会を潤すと。でも、皆んなそんな事思って買い物してるだろうか?これって、いつの間にか勘違いさせられている?いつの間にか変な仕組みの中に私達が飲み込まれてる?消費者でない人間は、日本に一人もいない。でも、社会が良くなって欲しいと願わない人はいない。大きな矛盾。これが私達の社会の現実というのが、信じられない。

話を最初に戻して、昔は「消費」という価値観はあったのかというところ。昭和61年生まれの私には、全く経験がないから、正直なところわからない。でも、「もったいない」という言葉があったり、何でも直してずっと使って来た日本人の文化を見聞きしているから、エネルギー、資源、食糧、時間に対して、違う価値観を持っていたのでは、と想像している。

物が貴重な時代だったからこそ、「収穫」「頂き物」「恵」という言葉があったのでは。そこから自然に生まれる「有り難い」という言葉から、日本人の考え方が読み取れるような気がする。

何で「消費」という言葉に注目したかというと、「買い物は投票」と言うように、買い物が世界を変えるという事があり得ると発酵旅人は考えている。「消費」が社会の基盤にあって、それが問題を起こしているのなら、「消費」を何かに置き換えないといけない。毎日みんながする事であるから、かなりのパワーがあるのは間違いない。人間の欲が「消費」を生み出すのであれば、人間の欲が社会を良くする方向にも向けられると思う。

買う事が、社会を良くする事に繋がる仕組みづくり。これが今、日本にとって必要だと発酵旅人は妄想中。

大きな事でも、まず目の前の事から。私は何ができるだろう?

例えば、私のワークショップに来てくれると、社会を良くしようとしてる人にお金が行く仕組みを盛り込んじゃう。仕入れ先は、オーガニック材料の作り手であったり、プラスチック以外のパッケージを採用する企業であったり。未来を考えた商品づくりを仕入れ先に提案する事だって出来る。仕入れ先に「プラスチック以外のパッケージ、こんなのがあるのだけれど」と意見を投じてみる。それで、その事をちゃんと皆んなに発信する。


毎日コツコツ、未来を良くする。

そんな社会を見てみたい。

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