偲ぶ時。誓う時。

突然の訃報

複数の卒業生たちがミッシングピースに所属している、ある演技研修所の学生担当の方が亡くなったと訃報のメールが3日前の早朝に届きました。ほんの数日前までメールをいただいていたし、私よりは年下で、元気溌剌な方だったので、本当にショックでした。

ミッシングピースにいる、その方の教え子たちにこの訃報をいつ届けるべきかどうか迷いました。関係者に相談し、その日のうちに彼らにこの悲しいニュースを伝えました。

知ってる人も知らなかった人も皆、大変お世話になったことと、ご冥福をお祈りしていますと返事がありました。

「研修所時代からとてもお世話になり、というより情熱と仕事とお世話やきのような方だったので、今はその事を思い出しながら、お会いしてまたお話しておけばよかったなと、人が亡くなるといつもそう思ってしまいます。

最近もメールのやり取りをなさっていたのですね。それを聞いて、なんだか嬉しいです。

とにかく今日は受け入れて、自分の身の周りなど掃除したり、整理したりして過ごそうと思います。」


「偲ぶ」こと。

人偏に思うと書いて「偲ぶ」です。「とにかく今日は受け入れて、自分の身の周りなどを掃除したり、整理したりして過ご」しながら、きっと彼はその方を偲んでいたんだろうと思います。

身の周りを掃除したり、整理してみたくなったのは、今、生きていることを実感しながら、当たり前にしている小さなことに感謝したくなったんだろうと想像します。

私もその方のことを偲んでいます。その方と出会えたことや、その方が紡いでくださった沢山のご縁に感謝しています。いつも早口でメールは長文で字は癖のある悪字だったことを思い出したら、ちょっと笑っちゃいました。


「誓う」こと。

いつもいつも卒業生たちのことを気にしていたことを忘れないようにして、バトンを渡されたと受け止めています。俳優事務所の代表としての、マネージャーとしての職責に真摯に向き合うとその方の面影に誓います。

今は私の元にいる、卒業生たちは何を誓うんだろう。折に触れ、あの方を思い出してほしい。忘れないでほしい。何かを誓ってほしい。あなたたちはあの方の生きた証なのだから。