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始まりは小学校の図書室。スペインでの旅がもたらした、イースターやセマナ・サンタに対する思い

イースターシリーズ、あと2回で終わりにします。

イースターは、十字架にかけられたイエスが復活したことを祝う宗教行事だとお話しました。この復活がキリスト教信者においてとても重要な意味があるということも。

さて、それではなぜイエスは、十字架にかけられなければならなかったのでしょう?!

その前に、ちょっと昔話を。忘れもしない小学1年生の頃、国語の時間に図書室に行きました。児童たちはそれぞれ、あれでもないこれでもない、と色々な本を手に取って最終的に借りる本を選んでいました。

私は世界の偉人のセクションが好きで(これも親の影響。親から幼児の頃から、キュリー夫人だの野口英世だの偉人伝を与えられてきました。)その中でも「イエス・キリスト」を選び、本を開くと、十字架にかけられ苦痛な表情を浮かべているイエスのイラストでした。それに強烈に惹かれたのです。恐ろしさと、子どもながらに厳粛な気持ちにもなった不思議な体験でした。(今思えば、これが初めての「畏怖の念」だったのでしょう。)これが私が初めてイエス・キリストに「出会った」時でした。

(※私が幼い頃に偉人伝を読んで影響を受けたことについての記事はこちら:https://note.com/missmiki/n/n35005488aab8
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そのような時を経て、高校で通った英会話教室はクリスチャン系列で、英会話のおけいこの合間にバイブルスタディや牧師先生からのお話があったりしました。そして高校でアメリカの深南部のミシシッピー州に留学した時も、ホストファミリーが熱心なクリスチャンで、水曜日の夜と日曜日は私も一緒に教会に通い、あらゆるクリスチャンのアクティビティに参加しました。

ということで、やはり私は宗教、この場合特にキリストに興味とご縁があったように思います。(ちなみに私は太陽星座が射手座なのですが、射手座には外国や宗教といったキーワードがあります。)

教会や聖書そしてクリスチャンの方から学んだことがたくさんありました。だけど、情報のひとつひとつが点という感じで、全体像がぼんやりとしたり、これなのか!という決め手に欠けたりしていました。

アメリカに移り住み、義母が熱心なクリスチャンではあったものの、私は同時に多様性のある環境にいたため、イスラム教の人やヒンドゥー教、そしてユダヤ教、そして自分のルーツでもある日本の神道、また仏教などのあらゆる宗教や信仰に触れ、それぞれを尊重していました。

そしてやはり去年スペインに行ったことが、今年の、イースターやセマナ・サンタについて思うところがあることにつながるわけです。
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(つづく)




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