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外見と中身のギャップについて。『しごでき』と自分の評価とパートナーを信じるということ

(先にごめんなさいしておきますがいつも以上に話飛び放題です)

「ちやほやされたいです」

なんてこった。
これがわたしの真の願望だったとは。

なんとおそろしいことよあきやあさみと自問自答ファッション教室。
(あえての継承略失礼いたします!)

なんでずっと言えなかったんだろう。
教室での一巡目でも言えなかった。というか、出てこなかった。
でも、ひとりで考えてたときにも確かに、ちやほやされたいって言ってた。

この「ちやほやされたい」は
「わたしがどんなにダメでもゆるしてほしい」の意訳だった。

どんなにダメでも。

とにかくダメだった。
こんなん書いてたけど、未だにわたしはぐずぐず言いながら生きている。
情けない。

37にもなって、仕事ができないなんてぐずぐず言ってんな、そんな暇があるなら何をすべきか考えろ。ポジションに相応しい行動と判断をしろ。それができるための努力をしろ。

わかってらい。

努力不足だって、わかってらい。

でも

役に立てていなかった。
ピントの外れたことを言って混乱させた。
タイムリーに的確な答えができなかった。
部下と他部の上司の板挟みにあい双方と仲を拗らせた。

わたしが関わらない方が物事はスムーズにいくんだと、わかってしまった。
わたしがいなければ拗れないんだ、と。

そしてわたしは孤立した。否、今もしている。

完全アウェーの空気の中それでも自分の意思を貫き自信満々にやれるほど、わたしは強くなかった。そこに加えて去年秋冬の勤怠状況。

すっごい器のちっちゃい甘ったれたこと言いますね。
家の状況もおおよそ伝わっていたはずの、直属よりもっと上の上司に忌引き明けで挨拶に行ったとき、お悔やみも何も言われなかった。
そっか、と思った。
仕事で活躍できていないわたしに、組織に迷惑をかけているわたしに、
労りの言葉はかけられないんだと。

去年の夏から、いやもっと前、その前の冬から今年の夏にかけて、会社に仕事に疲れたわたしの望みが、
ダメなわたしをゆるして甘やかしてほしい = ちやほやされたい
だったのだ。

そう、だから、ひとりで考えたときはねこだった。
どんなにどんくさくても、甘ったれでも、ちっとも懐かなくても、しょーがないなぁ、かわいいなぁって、人から言ってもらえて笑って許されてかわいがられるねこ。

「外見と中身がちぐはぐで、おしゃれしてると居心地が悪い」とわたしは自問自答ファッション教室の事前アンケートに書いた。

ファッションもメイクも好きで、好きなもののセンスもよく褒められる。
それだけに、かっこよく装った外見とかっこ悪い中身のギャップが辛かった。

そして、そのかっこわるいと判断した原因は、「仕事できない」だった。
「仕事できないくせに外見だけはカッコつけてプークスクス」が怖かった。
(仕事できないやつがおしゃれなんかすんなよの空気感ってなんなんだろ)

あ、わたし自分の評価をすべて仕事で決めてるって教室で気が付いた。
「私『しごでき』です」ときっぱり言ったえぞたぬさんのかっこよさよ…

「仕事できない」の中には、「わかってる、やれてる風に見せちゃう」が含まれる。でもこれは仕事だけじゃない。人生ずっとそれでのらりくらりやってきた。仕事に全部押しつけた上で、さらに自分への総合評価を下す理由にしているんだな。
なにごとも理解に時間はかからないが深くはない。なんとなくできるがその上を目指す努力をしないから頭打ち。だから自分のものにならない。その繰り返し。
ぜーんぶ、上っ面をなめてそれっぽく装って、できる人に見せて、素敵な人に見せて、騙し騙しここまで生きてきてる。なんにもできないくせに。
空っぽの中身を隠すためにきれいに装って、ちゃんとした人に見せてる。

ずっと向き合えなくて逃げてしまったのは、わたしはもしかして大事な人も騙してるのかもしれない、それが本当ならわたしはこの先大事な人を失うのかもしれないって怖くなったからだ。

でも。気づいた。
このひと、仕事できないわたしも、キレーな顔かたちに装い着飾って出かけるわたしも寝ぐせの部屋着でめんどくさーいってすべての家事をさぼって部屋を散らかしお菓子を食べ散らかすわたしもお金の管理が適当で散財しまくり、部屋の片付けも模様替えも先延ばしにして早数年、ズボラがすぎるわたしも、全部知ってるじゃん。
毎朝毎朝行きたくないとぐずぐず言うのも甘ったれた泣き言も聞いて、たまに叱って優しく聞いて、なんならわたしの代わりに怒って、をしてくれてるじゃん。

何を今更、だった。
拍子抜けした。
全部わかってそばにいてくれる人のことをわたしは信じてなかったんだ。
ああなんてこった大変だ。
今からでも遅くない、信じないと。あなたを信じてると示さないと。

ところで、わたしは教室で決まった自分のコンセプトを彼に伝えた。
(コンセプトはもうちょい言葉を練り練りしてから書きたいのですが、職業はなんとびっくり、モデルです)

そーゆうことなんでよろしく、ちやほやしてちょうだい。
「そーなん!わかった、めっちゃちやほやする!
 で、ちやほやってどんな感じがいいの」
…😅

今までと同じかそれ以上に、わたしに優しく、機嫌よくかわいがって甘やかしてくださいな。
とりあえず、家でのわたしは大丈夫そうだ。
すべきことは相手をしっかり信じること。

さて、そうなるとわたしが『しごでき』じゃない件についてはどうしたものか。
ダメなわたしが(とりあえず家では)認められていると認知したことで会社でのわたしの何かが変わるのか。
或いは、自分の『NOTしごでき』を以て、またこれまでのもやもやを機に働き方を見直すのか。
自問自答を推し進めたい秋、である。ちょうど今日から下期じゃないの…!