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ポエム帳

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酔っぱらったときに書きます。
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記事一覧

枝折りをはさんで

私はいつだってはじまりが怖いんです。
ランドセルに背負われて歩いた桜の路も、いつか夕暮れの帰り路に変わってしまうし、暗闇に咲いた線香花火も、いつか淋しい静寂に戻ってしまう。それに、出逢ったはずの人たちも、みんな、いつか、思い出に……。

空っぽだった私の心を、あたたかく埋めていった優しいものたちが、時に流されて失われてしまう。それがあまりに自然で、だからこそ抗えず、残酷で、めまいがする。朝陽は当た

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忘れられた部屋で

 誰にも会わないまま、人々の生活を窓から見守るばかりの夕暮れに、私は友人と電話の約束をした。陽が沈んでからも、しばらく窓辺のベッドに腰掛けていると、何も聞こえない夜のはじまりが頬につめたかった。
 質素な夕餉をこしらえて、熱い風呂に入り、それでも少し時間があまったので、文庫本を開いてみたが、活字の群れは目の上を滑り、そうしているうちに約束の時間がきた。
 小さな丸いグラスに氷を落として、安い酒を注

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恋こがれて

 窓の向こうの、雲ひとつない水色の景色を見ていると、いてもたってもいられなかった。おろしたてのシャツと、一年ぶりに履く黒いスニーカー。外へ出ると、街はすっかり夏だった。
 少し歩けば汗がにじむような、ひりつく太陽が懐かしくて嬉しくなる。白く照りつけられた、コントラストの強い真昼の風景。道端のフェンスに絡まった植物の葉陰で、一匹の蜂が羽を休めている。

 夏という舞台の上では、普段歩いている近所の道

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夏がくるぞ

 また夏がくる。そんな当たり前のことが私にはどうしようもないくらい嬉しくて、むやみに窓をあけて、風の匂いをかいだりして、今日も一日が過ぎてゆく。

 だけど、夏がきたからって、何をしたいわけでもない。もちろん海へ行ったり、花火をしたり、お祭りの熱気につつまれたりするような、ありきたりな煌めきに未練がないわけではないし、久しぶりに帰った田舎の空港の静けさに驚いたり、通りのない海沿いの道で車を飛ばした

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夕涼み

夕涼み

はめ殺しの窓には、甘いカクテル色の空が広がっている。庭のニームの木が揺れている。蝉の声は少し遠くなった。私はベッドに寝そべって、眼鏡を外す。風鈴の音が聴こえる。一昨年の夏祭りで買ったものだ。か細くて低い音が、まるであの娘の声みたいで心地よい。

いつのまにか夏がきた。夏がきたっていうのに、私はこの部屋に籠ったまま。誰とも会わずに、誰とも話さずに、時折街に出ても、幽霊のようにさまよい歩くだけ。あの頃

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永訣の午後

いつか誰かのものになると知りながら、私たちが見守ってきた白い花は、いま、誰かの手に摘まれて、遠くへ行ってしまおうとしている。せめてその人が、誰より優しい人であったなら。せめてその人が、誰より誠実な人であったなら……。

君の心は、君のものだ。私たちはこれからも、そっと見守っていてあげることしかできやしない。カラスや野良猫に咥え去られる鳥の雛に、人間が決して手を出してはならないように。

大切だから

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卒業

卒業

小さくわかれたぼくのふるさとが、いよいよこの街の片隅で灯りをともす。冷たかったこの街がなつかしいろに染め上げられて、いつか本当にぼくのふるさとみたいになるかもしれないのだ。

君はいま、もやもやとした不安の中にいるだろう。その先には、幽かに期待も見えるだろう。けれどやっぱり、不安の方が大きいはずだ。それもそのはず、トンネルの向こうがどんなに晴れわたった景色だとわかっていても、トンネルを抜けて、自分

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39.5℃のカナリア

歌うことが好きだった。次の言葉を探さなくてよいからだ。あの頃の私はいつも言葉に迷っていて、おはようの一言にさえ逡巡して、ぐずぐずと夕暮れを迎えていた。お酒が飲みたいのではなくて、酔わなくちゃ目を合わせられなかったんだ。夜が好きなのではなくて、逃げ込める場所がそこしかなかったんだ。

誰も聴いてはくれないけれど、色の変わる大きなフォントに一人で想いを託して、今日と明日との境界線上でなんとか生きていた

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公園通り

二度と戻れない夜が終わって、二人は朝焼けのレストラン。テーブルの新聞に目を落とすと、今日も世情は暗い。ウェイトレスが去ったあとには、美しい沈黙だけが残る。フォークの先でつついた目玉焼きがやぶれ、涙のように黄身がこぼれる。僕もこんな風に泣いてやろうか迷ったけれど、泣かなかった。どうしたって君は振り返らないから、せめて思い出を飾ることに決めたのだ。

初雪が舞い始めた。国道を走る車の流れは途切れること

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つめたい土曜日の部屋で

裏切る方は、いつだって気分がいい。罪の匂いのするコートを羽織って、優しい怒りの声も遠いこだまに変えながら、気丈なふりで、前を向いて歩けばいいのだから。

裏切られる方は、いつだって暗闇。許す、許さないのかけられた天秤を、心の中で何度も揺らしながら、それでも愛する人の靴音を待ち侘びる。

どんなに疲れて眠りかけた夜も、裏切りの予感が漂えば、身体じゅうに紫色の火が灯る。昨日のことも、明日のこともどうで

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emotional

ぼくたちの背がすっかり伸びきって、あたたかな昼下がりより、夜をえらんで生きるようになったころ、部屋にはビールの空き缶が増え、夏もカーテンに包まれた青い部屋で四角い光に照らされる日がつづいた。過去と未来、夢と現実とが乖離してゆく道すじの中に立っていると、よけいにあの頃がまぶしくなる。

青春が今でも胸をときめかせているのではない。もうそこにぼくがいないこと、二度と戻れないこと、忘れかけていること、何

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センチメンタル・ジャーニー

いつか生み出した言葉の連なりの数々に絡めとられて、私は身動きとれなくなっていく。夜が明けて、年が明けて、いま、私は大人になったのだろうか? 夕暮れのたびに涙して、いつかの日を思い返して、窓越しに紫色の空を見る。取り込んだ洗濯物から、冬のにおい。木枯らしをまとった、かわいた都会のにおい。

たぶん、もうすぐ春が来るんです。それがわかっているから、たまらなく淋しいんです。桜の花びらひとつ、ベランダに舞

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金曜日の旅人

金曜日。わたしのもっとも好きな曜日だ。なぜならあの金色の光に包まれていると、明日のことなど考えなくて済むからだ。仕事を終えた私は錆びれた自転車に跨り、夜の風を切った。冬はなぜこんなに寒いのだ。凍りついてゆく指先が、うらめしそうに嘆いている。
高架をくぐり、電車を追いかける。久しぶりに晴れた夜だ。街の灯りが生き生きとうるんでいる。くぐりたかった暖簾の先は、すでに人でいっぱい。私は引き返した。また少し

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前夜

季節がとたんに逆さに走り出した。大切な菓子箱をひっくり返して宝石が散らばった。このせわしい街に吹く木枯らしが私たちのコートを揺らして、電車は行きつ戻りつ頭上を駆けてゆく。故郷がわだかまって暖炉のように燃え上がり、都会は少しばかり淋しさという言葉を忘れかけていた。
鼻をくすぐるスパイスの香り。笑い話の交わされる広いテーブル。あっというまに回った時計の針が、私たちをせき立てた。やがて狭い部屋はハミング

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