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大人になんてならなくていい

高校を卒業したら、地元で就職して、そこで一生働きつづける。私の育った町では、それがあたりまえのことだった。大学に進むのは、よほど裕福な家庭か、本当に勉強が好きで仕方ない人たちだ。「やりたいことが決まらないから、とりあえず大学に行く」なんて考えはそこにはなくて、「やりたいことが決まらないなら、生活のためにとりあえず就職する」、誰もがそんな風に思っていた。そして、その大半は、結局やりたいことなんて見つからないまま、一生を終える。

私も何の疑いもなく、目の前に並べられた「就職」というカードの中から、なるべく苦労の少なそうな、それでいて少しくらいはやりがいのありそうなものを選びとり、「これが、大人になるということだ」と自分に言い聞かせた。もしも迷いがあるのなら、それは私に勇気が足りないからだ。一人前になりきれていないからだ、と。思えばそれはあきらめに近い気持ちだったのかもしれない。

高校時代の私は、重度の人見知りを発症して、ほとんど人と話せない状態にあった。もともと饒舌なタイプだったはずなのだが、幼稚園から中学校まで、ずっと同じ故郷の仲間と過ごしていたために、新しい友達の作り方を忘れていたのだ。一度自分を「人見知り」だと思うと、人はどんどんそのキャラクターに引っ張られる。高校に入学した瞬間から、私は前に進むことをやめ、三年間という貴い期間で、同級生たちに大きな差をつけられた。彼らがもがきながら大人になろうとする過程で、私だけが季節に置いてけぼりにされたのだ。

とはいえ、目を背けていられるのも、たった三年だけ。それは自分でもわかっていた。本当はどこまでも逃げ続けていたかったけれど、死ぬ勇気はもちろん、少しばかりレールを外れる勇気さえ、私にはない。なんとか付け焼き刃の面接対策で、滑り込むようにして、私は就職を決めることができた。ただ、嘘でも明るい人間のふりをするのは、決して辛いことではなかった。むしろ、「やればできるじゃないか」と、私は少しだけ自信を取り戻したのだ。そうだ、誰も本当の私を、知らなくていい。家から一歩外に出たら、大人のふりをすればいいのだ。それで生きてゆけるのなら、そうしなければ生きてゆけないのなら……。

本当の大人たちの中で、私だけが大人のふりをしている。そんな風に思って生きていくつもりだった。けれど、いざ社会に出てみると、本当の大人なんて、どこにもいないことに気がついた。成人した瞬間、あるいは、就職や結婚をした瞬間、人は大人に変身するわけではない。誰もが自分自身という存在をあらゆる経験とともに変化させながら、実直に生きているだけなのだ。それを、簡潔に「大人になる」という言葉で表しているだけなのだ。私は私だし、両親は両親だし、上司や先輩も、ひとりの人間として、少しずつ変化しながら生きているに過ぎない。そう気がついて、気持ちがすっと楽になった。私は、どこまで行っても私でいていいのである。

あの頃の私に少しだけネタバラシをすると、それから大人のふりは案外板について、どうにか生きていけるようになる。そして、社会人一年目のときに出会った先輩に言われた「今は大した仕事ができないのは当然だ。ただ、その素直さだけは君の武器になる」という言葉は、ずっと忘れてはいけないし、少しだけ歳をとった今、あの言葉の重みがあらためて感じられる。結末の分かりきった物語なんてドキドキしないから、これ以上、行く末を明かすのは控えておくけれど、君は君のまま悩んだり苦しんだりしながら生きてゆけばいい。未来のことは何も心配するな、それは私に任せて、君は今を精一杯生きればいい。

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