Mr.Takashima

愛Wishプロジェクト代表。NPO法人劇団はぐるま、日中友好ミュージカル等、舞台に立ち…

Mr.Takashima

愛Wishプロジェクト代表。NPO法人劇団はぐるま、日中友好ミュージカル等、舞台に立ち、中部学院大学、舞台、特別支援学校、福祉施設、各種イベント等で、振付及びダンス、ウォーキング、ストレッチを実践指導中。 健康運動指導士 健康運動実践指導者  iwish-pj.com

最近の記事

障がい者とおどる。

障がい者も健常者も一緒になって踊るという文化活動を続けています。 愛Wishプロジェクトと名付けたその活動は、資金集めにはじまって、制作、脚本に脚色、振付に演出、舞台監督に衣装制作等々の、地を這うような地道な作業の繰り返しで、投げ出したくなるような気持ちが、常に生きています。 本番舞台の観客の拍手や歓声、出演者や関係者の笑顔で、達成感を感じる時がありますが、一年間の活力を維持するには、それだけでは難しいと感じることも多いです。  それが、世界中がパンデミックとなり、突然、舞

    • いずみ凜 脚本「風の丘を越えて」の再放送

      はじめて聞いたのが20年以上も前。 朝鮮文化の「恨(ハン )」という言葉も、その時初めて知りました。 当時も、ホコリが積もるように恨(ハン )が人の心に巣くっていく。 という一節が胸に残りました。   ちょうど、映画『判決、ふたつの希望』を奥さんと一緒に観たばかりで、 (これ映画館で観たんですが) 小さないざこざが国をあげての大問題になる裁判劇です。 裁かれもしない虐殺や暴力や差別がいくらでもあって、 傷つき禍根を残しても、さして興味を持たない社会(私たち)が存在します。 主

      • 今朝、思ったこと。

        朝、ウォーキングをして自宅近くに帰って来ると、目の前に、何かぶつぶつとひとりで話しながら歩いている女性がいらっしゃいました。何となく苦情を言っているようにみえました。 少し距離をおいて、少しだけ一緒に歩きました。 家に帰って奥さんと、たまに見かける方だよね。と話していました。 昨年の舞台「マカニーとエルド」には、福祉施設、特別支援学校含めて、たくさんの障害がある方々に参加いただきました。 その中の一人、下呂市の特別支援学校の卒業生の女性の方は、ダンスが大好きでノリノリ

        • ダンスイベント参加のみなさん。

          おかげさまで今年は150名を超える参加者となりました。 5歳から70代までの老若男女のみなさんです。 3回の脳の手術による合併症で、半身麻痺がある60代の女性。 「こうして踊って舞台に立っているということを見てもらいたい」 専門学校で同僚に意見を言ったことにより、いじめを受けるようになり不登校。その後退学してしまった、バレエを踊る20代女性。 生まれてはじめて人前で踊る60代のろう者の男性。 特別支援学校の全校生徒。特別支援学校の教諭陣。 孫と一緒に踊る60代の

        障がい者とおどる。

          気を置けない仲間たち。

          こんな暑苦しいタイトルの文章。。 20代~30代の頃、大手の金融会社に勤めていました。10代の頃からダンスや舞台に関わっていて、何度も会社から依頼され、パーティや会合でダンスを踊りました。それを会社の支店長や部長クラスが観ていて、ある飲み会の際に、 「あの一緒に踊っていた仲間がいただろう。ああいう仲間を大事にしないといけない」 と、いきなり部長クラスに言われて驚きました。だって、舞台仲間なんて、酒飲みで、大口叩いて、どれだけ芝居がわかっているかの自慢話ばかりする輩が多か

          気を置けない仲間たち。

          中国のみなさん。

          1999年の日中友好ミュージカルでは、主役の中国の女の子を絞め殺そうとするヘビの役でした。 杭州にあるミュージカル学校の女の子たち数十名と共演した舞台は、今も特別な舞台として胸に生きています。中国に出向いて練習もし、めちゃくちゃ楽しかったけれど、日本での稽古の際は2回も自宅に10代前半の女優たちが泊りに来てくれました。中国の一人っ子政策のせいか、うちの4名の子供たちに感銘を受け、その頃1歳だった末娘を何度も膝に抱いて、かわいがってくれました。 いくつもの移動公演を終えて、

          中国のみなさん。

          BILL EVANSのドキュメンタリー映画

          映画 BILL EVANS TIME REMEMBERDを観ました。 側近者やミュージシャンたちの証言の数々で、不世出な天才の人物像を生々しく伝えるものでした。さやに納まることなどないような研ぎ澄まされた才能と、シャイでデリケートで、恋にも落ちたけれど、麻薬にも取りつかれ、苦しみ、もがく様子がヒリヒリと迫って来ます。 何回も何回も何回も聞いてきたつもりなのに。 あのエレガントに美しく、でもいつ手首を切っちゃうかもという危うい演奏に、こんなに壮絶な人生が一緒だったなんて、もう

          BILL EVANSのドキュメンタリー映画

          むすこの言語障害

          あ。と気がついたのは、ダンスレッスンで、日頃姿勢の悪い女の子に、 「うちの息子は、小学3~4年生まで、サシスセソがシャシシュシェショとしか言えなかったけれど、今は普通に話せる。その気になれば、ちゃんと変われます。」 と伝えた時でした。 一度も自分も奥さんも、彼の言語障害ともいえる話し方を気にしたことがありません。そして、そんな話し方を茶化したこともないし、心配したこともなかった。 当時の小学校の担任の先生が心配してくださり、市内の言語障害を克服する授業がある別の小学校

          むすこの言語障害

          愛Wishプロジェクト

          障がい者含む老若男女が踊るという「愛Wishプロジェクト」が、今年も舞台に立てるということが、とても幸運なことだと思っています。 通常は舞台稽古に向けて、楽しくダンスレッスンしている福祉施設や特別支援学校ですが、いろいろなことがあります。突然走り出してPCを机から落としてしまう利用者さん、いきなりハイになってバク転する男の子、急に怒り出してまわりを巻き込む生徒等々。 事故になったり、ケガでもしたら、こんな活動はお終いだと思っています。今まで事故がなかったのは、福祉施設のス

          愛Wishプロジェクト

          なんちゃってニューヨーカー。

          はじめてNYに行ったのは、20代の時でした。 岐阜の未来博でダンスの舞台を創るにあたり、NYに行くべきだと言われ、連れて行ってもらいました。昨年の秋まで14回訪れています。 はじめて行った頃、厳寒の映画館の外でコートを着て並ぶビジネスマンたちに驚きました。セントラルパークでも一輪車に赤ちゃんを乗せてジョギングしている方にも。 自分を大事にする価値観が生きているし、ダンススタジオに行っても、授業の順番を待ちながらギラギラとしたまなざしでスタジオをのぞきながら、ストレッチをし

          なんちゃってニューヨーカー。

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          愛Wishプロジェクト

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          時をためれば。

          「髙島さん」 と声をかけてくれたのは、4年前に一緒に特別支援学校の体育館で踊ってくれた男子生徒でした。 東日本大震災の時に事実上の職場を失い、途方に暮れていた時に、舞台仲間から声がかかり、ふたたび舞台の振付に携わることになりました。所属していた劇団の振付を手掛け、引き続き、岐阜ろう劇団いぶきの30周年記念ミュージカルの振付とダンス指導を担当しました。(1985年に聴覚障がい者の全国大会で振付とダンス指導をした経緯があります) その時に立ち上げたのが、福島の子供たちを励ま

          時をためれば。