目隠しをされバスに乗せられる!? 黄色舞伎團2『ゴドーを待ちつかれて』について

引き続き1980年代末~90年代半ばに活躍していた前衛劇団、黄色舞伎團2の話。
あれからさらに僕は主宰(現OM-2)の真壁茂夫さんに話を伺う機会をいただいた。その際、僕のリクエストに応じるかたちで、当時を知るスタッフである小田善久さん、内海力王さんにも同席していただき、記憶を掘り起こしてもらった。当時の一介のファンにもかかわらず、とても親切にしてくれる皆さんに恐縮しきりである。

さて、今回は『ゴドーを待ちつかれて』という公演について。
前回までに紹介した『架空の花』『B-DAMAGE』で、観客動員数を増やしてきた黄色舞伎團2は、法政大学大ホールにてさらにキャパを広げた『Q←→千億の月』(1989年12月8日~12日)を上演する。100人規模の出演者がいた大仕掛けのこの公演についてはまた後日触れるとして、その次回公演が翌年の『ゴドーを待ちつかれて』だった。

黄色舞伎團2は1990年8月~10月にかけて、自身の劇場である田端ディー・プラッツにて、前衛的な劇団やダンスカンパニーを集めた「MENTALLY SHOCKING ARTS COLLECTION ’90」というフェスティバルを開催。『ゴドーを待ちつかれて』はその中の一演目で、公演日程は1990年9月9日~16日というロングランだった。

いきなり結論から言ってしまえば、僕はこの公演を観ることができなかった。

当時アンケートで劇団に住所を知らせていた僕の元へ、『ゴドーを待ちつかれて』の案内ハガキが郵送されてきた。そこには、「劇の構造上、人数に制限があります。電話予約のない方および指定時刻にお越しになれない方は、御入場をお断りすることがあります」と注意書きが小さく書かれていた。また、「前回の公演の際、御入場できなかった御客様に深くお詫び申し上げます」という記述もあった。

↑送られてきた案内ハガキ。「追加決定」のスタンプも押してある。

観客が増えてきたことは実感していたので、これは売り切れてしまうかもしれないと焦った僕は、ハガキを見てすぐ、記されていた予約番号に電話をかけた。
しかし電話の相手は、「申し訳ありません。少人数制のため、すぐに予約が埋まってしまいました」と言う。また、「あとは当日来ていただいて、キャンセルがあった場合に入場いただけます」とも。
売り切れたと聞いて余計観たくなるのは人情。キャンセル待ちをして見ようと思った。

僕は公演初日、友達を誘って、開演時間の2時間ほど前に会場に行った。受付でキャンセル待ちをしたい旨を伝え、イスに座って待っていた。待っている間、どんな公演なのか想像を膨らませていた。
僕ら以外、他に客はいない。なのに開演時間直前、スタッフの方に「申し訳ありません。キャンセルはありませんでした」と言われ、帰されてしまう。

あきらめきれない僕は、次の日も友達と会場に行った。だが、キャンセルは発生しなかった。
僕は2日続けて無駄足を踏んでしまったのだ(まあ、それだけ暇だったとも言えるが)。
もう無理だろう。会場の田端は、僕の家から1時間もかかる。友達とともに、もうこの公演を観ることをあきらめる決断をし、それ以降の日程は、会場には向かわなかった。

ほどなくして、雑誌『演劇ぶっく』にて、『ゴドーを待ちつかれて』のレビュー記事を見かけた。以下に引用する。

「チケットを求める段階で、電話で日時の予約以外に集合場所などのこと細かな約束がなされる。それに従い会場に出向くと観客たちは目隠しをされバスに乗せられる。途中、記念撮影をされ、錠剤を飲まされる。そして見知らぬ倉庫に降ろされ、放し飼いにされた鳥の中に置かれノイズを聴かされたり、パフォーマンスやビデオを観せられる」(本文より/中川亜弓)
「観客は目隠しのまま手をつないで、あやしい倉庫のなかへと導かれていく」(写真キャプション/同)

↑雑誌『演劇ぶっく』1990年12月号より。公演写真も掲載されている。

これは体験したかった……と痛切に思った。迷路劇場、集団催眠劇、檻など、いろんな仕掛けをしてくる彼らが、次に向かったのは劇場の外だったのだ。なんて刺激的な公演だったんだろう。まるでミステリーツアーだ。
バスの中では何が行われていたのか? 錠剤にはどんな作用があったのか? 想像すればするほど悔しくなる。どうしてもっと早くこの公演のことを知っていなかったんだ!と相当悔やんだ。
これ以降の黄色舞伎團2の公演には必ず足を運んでいたのだが、『演劇ぶっく』のレビューを読んで、『ゴドーを待ちつかれて』は、どうしても観たかったけど観れなかった演劇として、しばらく僕の心に引っ掛かっていた。もちろん、一緒にキャンセル待ちした友達にもこの話をして、一緒に悔しがった。


唐突だが、それから20年後の2010年。
黄色舞伎團2が劇団名をOM-2に変えたころから、公演数が極端に減ったために、僕はほとんど観に行ってはいなかったのだけれど、ふとしたきっかけで主宰・真壁茂夫さんの著書『「核」からの視点』が発売されていることに気付いた。
早速購入してみると、カラーグラビアで黄色舞伎團2の当時の公演の様子が紹介されていたし、本文にも、随所に黄色舞伎團2の話が出てきた。
今の真壁さんの考えにも興味をそそられ一気に読んだのだが、本の最後に真壁さんの「公演歴」がリストになっていた。『架空の花』や『B-DAMAGE』のことも載っている。読み進めると、件の『ゴドーを待ちつかれて』についても記述もあった。下記がそれだ。僕は目玉が飛び出る。

一九九〇年 ◆架空の公演『ゴドーを待ちつかれて』(田端die pratze)
*実際の公演は行わずに、噂だけが広がるという情報を操ろうと考えたもの。雑誌などの編集者や批評家なども参加し、年間ベスト10などに選出されるが、誰も見ていない。実際には公演を行っていないことを参加者以外、誰も知らない。

↑『真壁茂夫演劇論集「核」からの視点』(れんが書房新社)

『ゴドーを待ちつかれて』は何と「架空の公演」だったのだ! 騙された。何と20年越しで。
メディアを巻き込んで、実際には行われていない演劇なのに、雑誌にレビューだけ載っていた。どおりで、会場では他の観客を見なかったし、キャンセル待ちもなかったわけだ。
20年越しで騙されるとは、例えるなら、父親に隠された愛人の子がいて、大人になってから「実はおまえに兄弟がいる」とカミングアウトされるようなものである。これには本当にやられた。


最近、真壁さんと初めて話をして、僕が『ゴドーを待ちつかれて』の予約を取ろうとしたこと、無駄なキャンセル待ちをしたこと、そして見事に騙されたことを20年以上経ってから伝えると、真壁さんはとてもうれしそうな顔をしていた。「してやったり」といった感じだろう。ツイッターに「何十年経って、公演が完結した」とまで書いてくれた。
その通りなのかもしれない。僕は当時、出るはずのないキャンセルを待っていた。再演されるのも待っていた。そして、待ちつかれた……ということが今になって分かったのだから。

ほかにも『ゴドーを待ちつかれて』に関して、真壁さんたちはこんな裏話をしてくれた。

*公演前に各雑誌の編集者や評論家を呼び、架空の公演内容についてのディスカッションが行われた。その後、実際に会場で、「難癖をつける客がいたらどうするか」などのシミュレーションもした。
*誰も見ることができない演劇なのに、5,000枚の案内ハガキを一気に配った。
*内海力王さんは、当時この公演で電話予約やキャンセル待ちを断る役目をしていたという。キャンセル待ちのリピーターもいて、「かわいそうに」と思っていたとのこと(!)。
*当日、キャンセル待ちをしている人に架空だと怪しまれないよう、あたかも公演をやっているかのように受付の奥で音を出したり、会場から見える離れた場所に劇団員を立たせたりしていた(僕は全く記憶にないが)。
*協力者である編集者や評論家は、いろんな媒体で勝手に想像した公演内容をレビューした。「マイクロバスで運ばれた」だけでなく、「トイレでずっと待たされた」「最後に鉄パイプが振ってくる」といったレビューがあったという。
*協力者たちは面白がって、『ゴドーを待ちつかれて』を『ぴあ』や『演劇ブック』など雑誌の演劇年間ランキングに投票。第1位に選ばれるほどの得票数を得ていたはずだが、中途半端な順位だった。これは雑誌の年間ランキングが編集者によって操作されていることの証明にもなった。

真壁さんは著書でネタバレをするまで、この公演が架空だったことは墓場まで持っていくつもりだったという。知らなければ知らないで、伝説の演劇として僕の記憶に残っていたかもしれないが、知ってしまった今は「悔しい」というより、「お見事でした」と言うしかない。
いや、伝説であることには変わりはない。僕はこの公演を観ることはできなかったが、架空であることを前提にすれば、実は十分に体験したとも言えるのだ。
この公演は、「インターネットがなかった時代だからこそ成立した参加型演劇」ということになるだろうか。

『ゴドーを待ちつかれて』で記録したいことはこれで全部。
どうか、僕が受けた衝撃が少しでも伝わりますように。

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