1988年のARG体験。黄色舞伎團2の迷路劇場『架空の花』について

 1980年代の終わり。現在OM-2として活動している劇団は、「黄色舞伎團2(おうしょくまいぎだんつーと読む)」と名乗っていた。あれはまさにARGとしか言いようのない演劇だった。
 今僕がリアル脱出ゲームをはじめとする体験型謎解き公演に興味を持ち、多少なりとも仕事に絡めたりもしているのは、このときの体験が大きい。リアル脱出ゲームは『夜の遊園地からの脱出』が初参加だったが、スタートして最初に思い出したのがこの黄色舞伎團2だった。
 それ以来、事あるごとに人に黄色舞伎團2の記憶を話していたのだけれど、ネット上に全くと言っていいほど情報がないのが歯がゆいので、ここに記録しておきたいと思う。
 とりあえず、僕が黄色舞伎團2を最初に体験した『架空の花』という公演の話。

↑公演チラシ。ちなみに音楽担当は後に『鉄男』を手がける石川忠さん。

 80年代は小劇場ブームで、僕もいろいろな演劇が好きで観に行っていて、常に新しいものを求めていた。ネットもなかった時代、どんな演劇かは行ってみるまで分からなかったのだ(だから外れも多かった)。

 そんな中で目に飛び込んできたのが、「観客を檻に入れて閉じこめ、役者が周りから凝視する演劇をしている劇団がある」という何かの雑誌記事。東京グランギニョル(これも大好きだった)と同じくらい刺激的な演劇かもしれないと思い、新宿三丁目のタイニイアリスで開催されていた『架空の花』(1988年9月〜10月)を1人で観に行くことにした。僕は浪人生だった。

 期待半分、不安半分でタイニイアリスの入口に着くと、既に客の行列ができていた。狭い階段に並んでいる最中、壁に目をやると、注意書きの紙が貼られていた。

■劇の構造上終了時刻や内容に関してのお応えはできません。
■劇の終了時刻は決まっていません。
■劇が終了するまで基本的に退場することはできません。
■過去に精神的な治療などを受けた方は、受付に申し出てください。
■故意に暴力を振るうことはありません。
■劇の最中に気分が悪くなったりした場合には〈黒子〉に申し出てください。
■劇場内には、狭いところや天井の低いところ、階段の急なところなどがありますので、注意してください。もし、ケガなどなされた場合でも責任は負いかねます。

 これを見るだけで特殊な演劇であろうということが想像できる(これらは、後で戯曲を買ったから詳しく引用できている)。客に誓約書を書かせ、ブルドーザーを持ち込んで会場を破壊したという伝説のハナタラシの都立家政ライブを思い出した。

 そしてアルファベットと数字の書かれた札、それと1枚の紙を渡された。紙にはこんなことが書かれていた。

あなたは○-△番です。自分の番号を呼ばれたら次の台詞を言ってください。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××

 何と、観客は劇の途中で台詞を言わされるという。噛んでしまったら恥ずかしいと少し緊張してしまった。

 何十分か待たされた後、番号を呼ばれ、1人ずつ会場内へ誘導される。僕の番がきて、会場に入ると……

 そこは真っ暗闇だった。女性が叫んでいる声が聞こえる。動いている光がある。大音量のメタルパーカッションが流れている。もう劇は始まっているらしい。
 目が慣れてくると、壁の注意書きに書かれていた通り、通路が狭い。客席を探して進むが、曲がっていたり、行き止まりがあったり、段差があったりもして、なかなか席に辿り着けない。それどころか、通路の途中で大声で踊っている男がいたり、遠くの方では独り言のような言葉を発している人がいたりする。暗闇の中で各所にスポットが当たり、役者が浮かんでは消えていく。

↑『漫画アクション』の記事ページ「ACTION JOURNAL」より。

 しばらく通路を歩き回ってようやく分かった。これは迷路だ。普段の舞台と客席の区切りがなく、全体が衝立や紗幕で仕切られて迷路になっている。紗幕のせいで、遠くで灯が付くとぼんやりと見えるだけ。

 つまり迷路そのものが舞台であり、客は迷路をうろうろしながら、役者を見ることになる。決して広くはないタイニイアリス全体を迷路にしてしまっている。それまで数ある演劇を観てきたけど、構造的には間違いなく一番特異な公演だと思った(それは今でも思っている)。

 そして、他の客もいて混雑している上に、暗いので隣にいる人物が客だか役者だかが分からない。これは怖い。各所に黒子がいて、それはかろうじてスタッフだと判断できるのが少しだけ安心できるぐらいだ。
 せっかくなので端から端まで迷路を辿ってみると、小さな部屋があって占いをしていたり、飲み物を出すバーがある。占い師やバーテンが、劇の進行とは関係なく普通に話しかけてくる。高校の文化祭で流行った「立体迷路」や「お化け屋敷」をもっともっと猥雑にした雰囲気だ。
 普通の迷路と違うのは、出口を目指さないこと。いや、あるんだろうけど、いつ劇が終わるのかわからないので、出口から出てしまうわけにはいかない。

↑黄色舞伎團2発行の新聞「NEWSPAPER」より。

 ほどなくして音楽が止まり、アナウンスが流れた。番号を呼ばれたら、観客各自に割り当てられた台詞(最初に渡された紙)を言えという。指示に従い、客は素直に台詞を言っている。それどころか役者が客に対して「もっと大きく」などと指示するものだから、みな頑張って声を発している。僕もほんの少し大きめの声で言った。一番緊張した瞬間だった。

 その後も劇は続く。正直、内容は難解だった。病気っぽい衣装を着た人たちが、病気っぽい台詞を発している。歌のシーンもあったりしたが、徹底して人間の孤独を強調していて、何もかもが暗い。
 それよりも、この構造自体が刺激的だった。最初は恐怖を感じた迷路だが、慣れてくると次第に楽しくなってくる。「次に何が起こるのだろう?」「次に何をされるのか?」「どんな部屋があるのか?」と期待さえするようになってしまった。
 ようやく迷路に慣れてきたころ、黒子に肩を叩かれ、出口へと誘導された。まだ台詞を言っている役者がいて、劇は続いているというのに。

 ちょっぴり寂しさを感じながら通路へ出ると、1枚の紙を渡された。そこには、第二会場への道順が書かれている。劇の続きに期待が膨らむ。

↑当時配られた紙。よく取っておいたものだ。

 早速その紙を片手に、「当会場を出て右へ」「1本目の道を左へ」「公衆電話を左へ」なの指示通りに進む。

 新宿二丁目のより怪しい路地に入りさらなる指示に従って歩を進めると、ポルノショップの前に、紙の最後に記された「胸ポケットに赤いハンカチをしている人」がいた。その人に合言葉を言うと、第二会場へ案内される……と紙には書いてあるのだが、ポルノショップの中へは入れられず、さらに紙を渡された。「第三会場御案内」という、さっきと同じような紙だ。

 不思議に思いながら、紙に書かれた道順に沿って進もうとすると、何かがおかしい。さっきの紙では具体的な指示だったのに、今度は「髭をはやした人に出会ったら左へ」「ストライプのシャツを着た人に出会ったら右へ」などと、あいまいな指示になっているのだ。紙の最後に書かれた「Gパンをはいた女性」はたまにいるが、その人がスタッフだという確証が持てない。うーむ。困った。

 途方に暮れていると、近くに同じように、道順の紙を持ってうろうろしている女の人がいたので、思い切って話しかけてみた。
 「第三会場分かりました?」
 「いえ、私もずっと探しているんですけど……」
 というわけで2人で第三会場を探すが、依然見つからない。さらに迷っていたら、別の人にも話しかけられ、総勢5人の見ず知らずの人間で探索することにした。
 「あっ、髭の人!」
 「あの人Gパンはいてる……けど男だ」
などと言い合うのは楽しいが、書かれている道順とはどうも合わず、いくらたっても第三会場には到着しない。そのとき、さっき知り合った中の1人が言った。
 「第三会場って、ないんじゃないかな」

 それに同意する人もいたが、でもひょっとしたらという思いもあり、あきらめがつかず全員で探索を続ける。会場に戻りスタッフに聞いても、はぐらかされるばかり。埒が明かない。ヒントさえ見つからない。ゴールがあるか確証がない中での探索がつらくなってきた。
 「第三会場御案内」を渡されてから1時間ほど経っただろうか。もう全員諦めることを選択することにした。「これはもともとゴールがないんだということにしよう」「そういう演劇なんだ」と。
 そして、見ず知らずの即席探索チームは、みんなで感想を語り合いながら、とぼとぼ新宿駅まで歩き、解散した。

 当時からあった雑誌『演劇ぶっく』のレビューで、『架空の花』には第三会場が本当になかったことを知る。それを見て、少し安心した。
 その2年後に出された戯曲を買い、第一会場(最初の迷路)に関する説明を読むと、『架空の花』は80分の劇がループしていて、観客は番号札によって入退場が管理され、そのうち60分しか体験できないということが書いてあった。これは、観た時間によって、異なる感想を持つことを始めから意図していた演劇なのである。

 現在ニューヨークで開催されているという『スリープ・ノーモア』は、観客が自由に動き回って役者を追いかけるミュージカルらしいが、それと同じ仕掛けを日本の黄色舞伎團2は25年以上も前に実現していたのだ。

 最近、久々にOM-2の公演『作品No.9』を観た。統合失調症の父親とその家族という変わらず暗い設定で、ほとんど台詞のないリズムパフォーマンス主体の演劇だったが、前半しばらくして幕が途切れ、観客がもう1つの客席に誘導される部分があり、そこに昔の黄色舞伎團2の影を見た。ただ、そこから幕が下りるまで、僕は「観客席」という安全地帯から外れることはなかったのが寂しかった。
 当時に比べて図々しくなっている僕は、公演終わりにOM-2主催の真壁茂夫さんに初めて声をかけ、いかに自分が黄色舞伎團2に影響を受けているかを一方的に話した。それから後日改めて、昔の話をいろいろと聞かせていただいた。『架空の花』に関して、覚えている限りの真壁さんの言葉をメモしておく。

●『架空の花』以前の公演で、役者が観客を見つめる「視線のシーン」を作ったが、実際にやってみると客が逃げてしまうので、それを成立させるために檻に閉じ込めた。『架空の花』の迷路は、その檻を発展させたもの。
●タイニイアリスのフェスティバル参加作品のため、会場側と事前打ち合わせをした。その際、迷路の設計図だけ持っていったら驚かれた。でも自分ではその時点で公演の80%はできていると思っていた。
●舞台が迷路なので、場所と時間によってはだれにも見られない役者がいる場合もあった。その点で、役者は不満だったかもしれない。
●暗くて狭いところで、女優が身体を触られるトラブルがあった。スタッフが気付いて対処しようとしたが、迷路なのでその場所に行くまでに時間がかかった。
●最後に客を街で迷わせたのは、部屋の中の迷路から、街の中の迷路に続くという意図。「第二会場があるから、第三会場もある」と思わせる演出だった。
●「第三会場はないのか」と苦情を言う客がいた。また、別の日の公演が終わる時間に合わせて、案内の紙だけ持って探索している客もいた。

 公演の詳細については、記憶違いも多々あるかもしれない。また、相当部分は、戯曲『架空の花』(而立書房)と、保管していた『漫画アクション』内「ACTION JOURNAL」の『架空の花』体験記事を参考にした。わかりづらい記述もあるかもしれないが、僕の興奮度が少しでも伝わったらうれしい。

 また時間ができたら、これに続く逆ピラミッド型の会場で行われた集団催眠演劇『B-DAMAGE』(ここで僕は女優にディープキスされた)や、メディアと評論家を巻き込んでアナウンスされた架空の公演『ゴドーを待ちつかれて』(僕は何日もキャンセル待ちをし断られた)などの記憶も残してきたいと思う。

 僕はまだ、黄色舞伎團2の呪縛から解き放たれていない。

↑『架空の花』真壁茂夫著・1991年初版


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