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「バカやれない!」カップヌードルCM

日本を覆う「不寛容の空気」は、想像以上に重い。

ビートたけし、小林幸子、矢口真里、新垣隆出演のカップヌードルのCMが、放送中止になったようだ。日清製粉による公式ウェブサイトには「カップヌードルのCMに関するお詫び」と題して、謝罪文が掲載されている。

(以下引用)

この度、3月30日より開始いたしましたカップヌードルの新CMに関しまして、お客様からたくさんのご意見をいただきました。

皆様に、ご不快な思いを感じさせる表現がありましたことを、深くお詫び申し上げます。
皆様のご意見を真摯に受け止め、当CM、「OBAKA's UNIVERSITY」シリーズの第一弾の放送を取り止めることに致しました。

今回のCMのテーマであります、「CRAZY MAKES the FUTURE.」のメッセージを伝える「OBAKA's UNIVERSITY」シリーズは、若い世代の方々にエールを贈ることが主旨であり、今後も、そのテーマに沿って、このシリーズをよりよい広告表現で、引き続き展開してまいります。この度は、誠に申し訳ございませんでした。

まさかと思い CMの Youtube リンクに飛んでみたら、たしかに非公開に切り替わってしまっている。これには心底ショックを受けた。近年稀にみるエッジと機転を利かせたスマートなCMを、一部のクレームのせいで放送中止にしてしまっては、とてもではないが日本で幅広い視聴者層に向けてのコンテンツをつくることなど無理だろうと、絶望すら感じる。

まだ再生数数百程度のタイミングで Youtube で初めて本作を観て、欄外の説明文にもいたく共感し、コピペをして自分のメモに貼り付けていた。

(以下引用)

現代のSNS時代は、非寛容な時代と言えます。

挑戦すれば、揶揄される。失敗すれば、叩かれる。このままでは、みんながちぢこまり、­だれも挑戦しなくなってしまう。でもそこで大切なのは「自分の声」を聞く勇気。そして­、私たちに必要なのは、相手の失敗を許容するという態度、寛容の精神だと思います。

人間は誰だって、一度や二度の失敗はする。「何かに夢中になって、バカになる力」「た­とえ失敗をしても、這い上がる力」いま求められるこの2つの力を、説教くさくなく、カ­ップヌードルらしいユーモアでメッセージしたい、と考えました。

コマーシャルはこの精神を髄まで表現している。失敗のせいで萎縮するのではなく、また這い上がろうという「救い」を感じさせ、またそれを許容しようという視聴者への呼びかけである。

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本作では "OBAKA'S UNIVERSITY" という架空の大学のキャンパスを舞台に、一見するとバカに思えてしまうような講義をキャスト陣が行っている。

「人の心は、一瞬で掴まなきゃダメなの!」と熱弁を振るう、「機械工学部」の小林幸子教授。もちろん、元ネタは紅白歌合戦における小林さんのトリの衣装で、年々ハデになっていくことをユーモラスに表現している。

「噛まれてはじめてわかることがあるんです」と学生の前で語るのは、「生物学部」のムツゴロウ教授。動物好きが高じて、ライオンに指を噛みちぎられた(?)逸話がベースとなっているのだろう。視聴者としては「ムツゴロウさんも動物バカだよなぁ」と思わせる。

「バカなことを教える大学」程度のアイデアであれば、何も新しい要素はない。ここからが、本作品のエッジの利かせどころである。

続いての場面。「二兎を追うものは、一兎をも得ず」と語るのは、「危機管理の権威・心理学部」の矢口真里。ここが本作最大のキモである。

矢口さんというと、昨年、不倫現場を夫に目撃され、離婚スキャンダルになったことが記憶に新しく、芸能活動を自粛(?)していたわけであるが、その彼女が語る「二兎」とは当然このスキャンダルのことを示している(それを裏付けるように、60秒ver. では「ねぇ、これ実体験だよね」とやりとりする学生のショットが入っている)。

久しぶりに見る矢口真里が、自らの失敗をネタに昇華し、吹っ切れたかのように熱弁を振るっている姿に、もやが晴れるような気持ちになった。出演を決めた彼女の勇気、再起への願いなど、さまざまな感情が想像され、感動すら覚えた。

そして最後に登場するのは、「肩のちからを抜いて」と耳元のピアニストに語る「芸術協力学部」の新垣隆教授。矢口真里の場面をうけてのこの場面では、容易に佐村河内氏がらみのスキャンダルが想起される。

なお、このCMのミソは、ビートたけしを「学長」に起用した点だと筆者は考える。キャッチコピーの「バカやろう」を言わせたい意図は明確だが、たけしさんご自身も、やんちゃをされていた時期があったわけで、それを踏まえていることも本作に深みと説得力を増している。(詳しくはグーグルで)

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本コマーシャルの最大の意義は、まさにスキャンダルなどで「やらかしてしまった」と印象づけられた方々に対して希望と救済を与える点にあり、そこに本作の魅力とクリエイティビティへの感銘があった。

シリーズものとして第二弾第三弾と、キャスティングを考えたくなるような展開性もあり、媒体問わずこれまで散々に叩かれてきた方々にも「しくじり先生」のごとく登場してもらってもいいかもしれない。

過去の失敗を反省したうえで、コメディに昇華できれば最高ではないか。救われるのは、やらかしてしまった当人たちにかぎらず、それを見て希望をおぼえる名も無き私たちでもあるのだから。

しかし、そんな傑作コマーシャルも、視聴者からのクレームによって、お蔵入りとなってしまったわけである。

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あえて言うならば「やっちゃえ、みなさん!」と最後に学生に声高に叫ぶ矢口真里のショットに「不倫を助長する表現だ」とでも言いそうな人が出てくることが想像される。しかし、文脈を確認すればそのようなクレームは見当違い甚だしいことは明らかであり、問題なのは視聴者のリテラシーのほうかもしれないとすら思えてくる。

それでも「お客様は神様」であり、クレームが入れば放送を見なおしてしまうのは企業としての落とし所のつけ方であり、正しい/正しくないは差し置いて致し方ないと考えるのが一般的のようだ。

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視聴者による広告表現へのクレームが爆発し、それが実際に放送自粛につながってしまう流れは、いつからここまで強くなってしまったのだろう。筆者の皮膚感覚的には2011年以降のACのコマーシャルの音を消すようになった頃と感じているが、個人差はあるだろう。

「不適切な表現」のハードルはますます下がるばかりで、あれも自粛、これも自粛。このままでは、自由なクリエイティビティの表現、世に問題提起する表現は、視聴者の一声で潰されてしまいかねない。偏向報道も問題といえば問題であるが、視聴者レベルで行われる「検閲」にメスを入れる必要があるのかもしれない。

不寛容の空気が、クリエイティビティを押しつぶさないようにと、切に願う。

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