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『天晴!な日本人』 第79回 「忠義に殉じた聖将、乃木希典のストイシズム」 (4)


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<希典、人生の大転機>

1885(明治18)年、希典は陸軍少将に昇進します。翌年11月30日、希典にドイツ留学が命じられました。共に留学を命じられたのは、陸軍の作戦の神様、至宝と称された川上操六そうろく少将です。

陸軍では、予算・編成・兵制などの行政一般軍政を桂に、命令・指揮・規制などの軍令を川上に託していました。希典たちへの指示はドイツ兵制の研究と、教育方法の調査でした。希典は随員の楠瀬幸彦くすのせゆきひこ大尉と1887(明治20)年1月、1年半の予定で、ドイツに渡っています。

希典はベルリンの街並に圧倒されました。ベルリンでは、真っ先にヘルムート・カール・モルトケ参謀総長に会いに行きます。モルトケは近代的参謀制度のパイオニアで、権威であり、87歳にして現役でした。
デンマーク出身の貴族で、プロシア軍に入隊。1858年から参謀総長を任じられています。1860年代からの対デンマーク戦、対オーストリア戦、対フランス戦に完勝し、戦略の天才と呼ばれていました。希典は巨大で眼光鋭いモルトケと握手した時の力強さを含め、生涯、心に残る人物としています。

モルトケは、希典らの希望に添うよう助言し、参謀本部のデュフェー大尉を付属教官として同行させてくれました。以後、初等戦術、図上演習、実際の演習、講義、兵舎、学校、各兵科の視察にも参加し、ドイツの軍政、軍令を学んでいます。

当地では、一等軍医の森林太郎(鴎外)とも知己を得ました。希典39歳、森26歳、後に希典自裁に感銘を受けて小説を書くことになります。

希典は熱心にドイツ語を学び、秋にはデュフェー大尉とじかに質疑応答ができるまで上達、その後はドイツ語で日記を書けるまで習熟しました。モルトケの愛弟子のデュフェーと接することで、希典の精神に大変化が起きています。
デュフェーは兵舎では寝る時すら軍服を脱がないと聞かされて瞠目しました。希典は何かが決壊したかのように急激に軍人としての自己を改革していったのです。それはまさに転生、別の人間、人格に生まれ変わったと言っても過言ではないものでした。

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