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『天晴!な日本人』 第73回 「克己勉励、不動の精神の人、東郷平八郎(2)


<『天晴!な日本人』が刊行になりました!>

拙著、『天晴!な日本人』が刊行になりました!こぞって購読下さい。安倍さん、明治の傑物、昭和の軍人たちの魂を感じとってくれたら幸いです!!


<お知らせ>

今週、23日(金)は祝日で休みのため、2月21日(水)に返信を掲載する予定です。『フィスト・ダンス』は22日(木)に掲載します。皆さま、よろしくお願い致します。

<本文>

日本で、ネルソン魂といば、大東亜戦争時の山口多聞たもん海軍少将(死後、中将)がいます。この人が真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の司令長官だったならば、戦況はがらっと変わっていたとされる、智将、勇将、闘将で、海軍の宝と言われた軍人でした。

イギリスでは、ワーテルローの戦いで天才ナポレオンを破ったウェリントン将軍と共に、ネルソンは英雄として尊崇されています。ロンドンにはトラファルガー広場があり、ヴィクトリー号はポーツマス湾に保存、展示されているほどです。

<イギリスでの東郷>

東郷はダートマスの海軍兵学校を志望しましたが、25歳になっていたので資格外でした。そこで「テムズ・ノーティカル・トレーニング・カレッジ・ウースター」に乗り込みます。海員練習船ウースター号という意味です。
ここも年齢がネックでしたが、校長のスミス海軍大佐は16歳ということで許可してくれました。他の生徒は平均15歳です。
ここで生徒らにチャイナマン、中国人と軽視されますが、東郷は怒りを表して、彼らの態度を改めさせています。以後は武士道に則り、礼を以って接したので、彼らから尊敬され、信頼されるようになりました。
成績表が保存されていますが、行儀、品行、言語、態度の全てに「ベリーグッド」と最上級の評価がされています。

日露戦争後、スミス大佐はイギリスの新聞記者に、「優秀な青年だった。鋭敏ではなく刻苦勉励のタイプ、穏やかで順良な人柄だったが、事にのぞんではライオンのように勇猛だった。ウースター号出身者の中で最優秀」と語っていました。
東郷が好んだのは国際法で、後年、数々の成果を見せています。その後、数学の必要性も痛感して学校に通っていました。

1876(明治9)年4月、留学期間が満了となりますが、日本がイギリスに発注した3隻の軍艦ができるまで延長となり、建造の監督を命ぜられます。
2年後、東郷は最新鋭艦の「比叡ひえい」に乗り込んで帰国したのです。「比叡」は全長76.2メートル、幅13.2メートル、2248トン、2500馬力の軍艦で255名が定員でした。

1878(明治11)年5月23日、東郷は横浜に到着しました。前年に西南戦争があり、西郷が自刃、そして、到着の9日前に大久保が暗殺されていました。

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