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ミテモ・インプロWS日記(1日目)ー魔法の箱とイルカの調教とステータスー

 ミテモの堀です。
 先日、3月13日(水)・14日(木)とミテモ・メンバー向けにインプロWSを実施させていただきました。参加していただいたミテモ・メンバーの皆様ありがとうございました。
 さて、本記事ではワークショップの内容をレポートをすると共に、「インプロの視点」でのようにインプロの考え方を、当日の写真を交えてお伝えしていこうと思います。

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【読了時間: 16分】
(文字数: 7,100文字)
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ミテモ・インプロWS 1日目 お品書き

導入
 ・Improvisationという言葉の意味について
 ・がんばらない
ワーク
 ・魔法の箱
 ・イルカの調教ゲーム
 ・ステータス

「Improvisation」とはバックミラーを見ながら運転することである・・・!?

 Improvisationとは日本語で「即興」を意味します。このImprovisationの頭の5文字を取って「Impro(インプロ)」と呼び、ここではその場合「即興演劇」のことを意味します。
 では、そもそもImprovisationとはどういうニュアンスを含んだ言葉なのでしょうか?
 Improvisationは「im」「pro」「vis」「ation」と分けることができます。「pro」は「前」、「vis」は「見る(vision)」、「ation」は「~すること」という意味です。なので、「provisation」とは「前を見ること」という意味になります。
 ですが、問題は「im」という接頭辞がついていることです。「im」という接頭辞は「~しない」つまり否定の意味です。そのため、「improvisation」とは「「前を見ること」をしない」という意味になります。それはまるでバックミラーとサイドミラーしか見えない車に乗って運転をするようなものです。
 どういうことでしょうか?
 すなわち、あらかじめ目標を定め、その目標に向かって一直線に効率よく進むのではなく、どこに行くか分からないけれど、今この場にあるものや人と一緒になんとかして進むというニュアンスが含まれているのです。
(余談ですが、ディズニーの『アラジン』のセリフで「OK, I’ll improvise !」は「わかった、なんとかしてみる!」と訳されています。すなわち、すごく端的に言えば、improvisation=「なんとかすること」って意味合いが強いようです)

 そのため、インプロでは結果の質の良し悪しよりもプロセスの良し悪しの方を重視します。結果の質はコントロールしようとは考えず、そこに至るまでのプロセスを良くしていこうと考えます。そして、長期的に見れば、プロセスの質の向上は結果の質の向上につながると私は思っています。
 いくら質の高い作品をつくることができたとしても携わっている人たちが「もうやりたくない」と思っていればそのチームは続かず、成長していくことができません。反対に、質は高くないけれど携わっている人たちが「またやりたい」と思っているチームは継続して作品をつくり続けていき、確実に成長していくことができます。

なぜ、「もうやりたくない」という空気感がチームに漂ってしまうのでしょうか?どうすれば「またやりたい」と互いに思うことができるチームをつくることができるのでしょうか?

 インプロはこういった問いにヒントを与えてくれると私は思います。

がんばらない方がアイデアが出る!?

 インプロは設定も、物語も、配役も何も決まっていない状況で演劇作品をつくっていきます。短いものは30秒程度、長いものだと2時間もの作品を即興でつくります。そのため、出演者たちは必要な時にアイデアを考え出していき、物語を紡いでいきます。
 この時に、私たちが心掛けていることが「がんばらない」ということです。多くの人は「アイデアを考え出さなきゃいけない」と思えば思うほどアイデアを出すことが難しくなります。さらに「おもしろいアイデア」「クリエイティブなアイデア」など曖昧で批判に晒されやすい性格のお題になるとなおさら難しくなります。
 私たち人間の身体はすこし天邪鬼な性質を持っていて、私たちが望んだこととは違う、むしろ正反対の働きをすることがあります。「がんばろう」とすると使わなくていい筋肉まで使ってしまうので本来の力を出すことができません。むしろ「がんばらない」ようにしていると、必要な時に必要な筋肉だけにエネルギーを集中させることができるので、結果的にベストをつくすことができます。
 それは、私たちの脳であっても同じです。

魔法の箱

 2人1組で行うゲームです。Aさんが架空の箱を用意して、Bさんはその箱のフタを取り、中から物を次々と取り出していくというゲームです。その箱は魔法の箱なので、世界中のありとあらゆる物がなんでも入っています。AさんはBさんが物を取り出す度にその物を指さして「それなんですか?」と聞きます。Bさんはそう聞かれたらその物の名前を言います。
 Aさんの役割が非常に重要です。Aさんが批判的な態度を取っていたり、ネガティブな反応をするとBさんは箱から物を取り出すのに時間がかかったり、怖くなったりします。そのため、AさんはBさんをノせてあげるためにリズミカルに、ポジティブにBさんと関わります。
 このゲームを「クリエイティブな物しか出しちゃダメ」とか「オリジナリティーのある物しか出しちゃダメ」というように条件を課してみます。そうすると途端に私たちの脳は「クリエイティブになろう」「オリジナリティーを出そう」と思うので、それまでスムーズに出ていたアイデアが急にストップします。例えば、「りんご」とか出せなくなります。
 このアイデアにストップをかける働きのことをインプロでは「検閲」と呼びます。「検閲」についてはすでに「インプロの視点ーがんばらないこと②ー」で書いていますので、詳細が気になる方はそちらをご覧ください。
 このゲームでは最初に述べたようにAさんに当たる役割が非常に重要な機能を果たしています。Aさんの態度次第でもBさんに検閲をかけたり、緩めたりすることができるのです。

 インプロの舞台では自分一人で物語をつくろうと思ってもうまく行きません。一緒にやっている共演者の中にあるアイデアと自分の中にあるアイデアを組み合わせたりすることで2時間の物語をつくることが可能になっていきます。そのため、インプロバイザー(インプロ俳優)たちは自分の中からアイデアを出そうとするのではなく、相手の中からアイデアを引き出そうとします。
 しかし、一方でそのようなコミュニケーションをするためには共演者同士の関係が築けていないと難しいものがあります。具体的に言うなら、相手が何をされると検閲がかかり、何をされると検閲が緩むのかという情報が欲しいわけです。
 どのようにしてそういった情報を蓄積していけばよいのでしょうか?

イルカの調教ゲーム

 イルカの調教師になる人が疑似的にイルカの調教の過程を体験するためのワークです。そのため元々はインプロのゲームではないのですが、非常にインプロをする人にとっても示唆のあるゲームとして紹介されます。
 イルカ役の人にしてほしい動作を言葉を介さずに達成してもらうゲームです。イルカ役を一人決め、その方には一度退出してもらい、残った人たち(調教師)でイルカにして欲しいことを決めます。例えば「壁に触る」とか「その場に座る」とかです。
 課題が設定できたらイルカ役の人を呼び戻します。そしてイルカ役の人は設定された課題を探り探りで達成しようとします。その時、調教師たちは言葉を使って「〇〇をしてほしい」とは言えません。人間とイルカでは言葉によるコミュニケーションは難しいからです。代わりに、笛の音として「リンッ!」という合図を送ることで「してほしいことに近い!」というメッセージを伝えます。イルカはその笛の音を手掛かりにして見事、課題を達成で来たら成功です。
 このゲームは最初に述べたように実際の調教師の人が調教について学ぶために使われるゲームです。なので、イルカ役の人ではなく、調教師役の人たちのトレーニングをしていることになります。
 調教師の人はイルカの動きをよく観察して、適切なタイミングですかさず「リンッ!」と鳴らさなくてはなりません。タイミングがズレていたり、なんにでも「リンッ!」と鳴らしてしまっては設定した課題を達成するどころか、別の行動を調教してしまいます。
 イルカがしてほしいことをしてくれた時に、何らかの方法で「してほしい!」と伝えることを「正の強化」、してほしくないことを何らかの方法で「してほしくない!」と伝えることを「負の強化」といいます。「強化」とはある特定の行動の出現頻度が増すことを言います。例えば、挨拶しなかった新人が挨拶するようになった!とかです。
 まだ覚えていない新しいことを覚えさせるには圧倒的に正の強化が効率が良いので、動物の調教は8割は正の強化で行われます。もうすでに身に着けてしまった習慣(吠え癖など)をやめさせるために負の強化をします。
 ゲームの中ではある程度ルールが決まっているのですぐに上達しますが、日常生活の中で実践しようとするとまた少し難しいものとなります。
 調教の大前提は、「人間はイルカを直接変えることはできない」です。イルカにジャンプを教えさせたいと思って、無理やりイルカを担いでジャンプさせてもイルカはジャンプをしてくれるようにはなりません。イルカがたまたまジャンプしてくれた時を狙って「してほしい!」というメッセージを伝えます。その繰り返しによって、ジャンプをしてくれるようにイルカが「自分で変わっていただけた」と考えます。こちらのエゴの通りに変わってくれないかもしれませんが、「してほしいこと」を伝える間接的な支援によって、イルカに変わっていただける可能性が増します。

私たちは自分が相手にしてほしいことを正確に伝えられているでしょうか?自分がしてほしくないことなのに、相手に誤ったメッセージを伝えていないでしょうか?

 この「自分がしてほしいこと」と「自分がしてほしくない」ことを互いに正確にフィードバックし合うようにすることで、インプロでは共演者同士の関係を良くしていき、パフォーマンスの向上につなげていきます。
 私たちは普段の生活で言葉以外にも様々な方法でこの「リンッ!」に該当するような非言語的なメッセージを交換し合っています。では、具体的に言葉以外のどのような方法でメッセージを送り合い、受け合っているのでしょうか。

ステータス

 私たちは言葉によるメッセージからも情報を仕入れていますが、その他にもかなりの情報を身体からも受信しています。その身体的に送受信されるメッセージに関するのが、「ステータス」という概念になります。
 インプロは即興で演劇をつくっていきますので、即興で演技・演出もしなくてはなりません。たとえば、「新婚ホヤホヤのカップルが次第に険悪になっていく」というようなシーンであれば、その微妙な変化を演技や演出によって表現していくわけです。
 舞台上にいる2人の人間の親密度をいかに調整するかは、脚の組み方や手の組み方によって表現できます。たとえば、互いに足を相手側に組みあえば、親密な感じに見えます。反対に、互いに足を外側に組めば、少し距離ができます。この現象は、脚が相手との壁のメタファーになっていて、内側に組めば相手との壁が無いように見えて、外側に組めば相手との間に壁を築いて距離を取りたいというように見えるのです。
 脚を外側に組んだ状態で互いに「君のことを本当に心から信用している」などの言葉を交わすとどこかよそよそしく、ウソっぽく見えます。反対に脚を内側に組んだ状態で「君は本当にダメな奴だ」などの言葉を交わすとじゃれ合っているように見えます。
 上のように言葉のメッセージと身体のメッセージとの間にズレをつくると、私たちは比較的身体のメッセージの方が「信頼できる」と感じます。そのため、「何を言うか(what)」よりも「どのように言うか(how)」の方にインプロは注意をむけます。


 このようにステータスのワークでは身体のある部分を変化させることで、その人と、その人に関わる人との間の力関係がどのように変化するかを体験してもらいます。
 力関係という言葉が出たので、もう少しステータスとは何かというお話をしたいと思います。
 ステータスとは人間に限らず社会的生物には必ず存在しています。人間、サル、オオカミ、ワラジムシに至るまでステータスのやりとりによって序列関係を築いています。分かりやすく表現すれば「エサを食べる順番」を決定している要素です
 ステータスが高ければエサを早く、多く食べることができます。ステータスが低ければエサは中々回って来ず、そんなにたくさん食べることはできませんが、エサにありつける確率はある程度保証されています。この序列関係から追い出されてしまうということはエサにありつける可能性が極端に低くなり、生存が脅かされます。なので、タイミングも遅く、量も少ないかもしないけれど、序列の中に入れてもらえないよりはマシなのです。
 このように「ステータス」は「高い/低い」という尺度で表します。人間同士の関係の間で相対的に力を持っている方が高く、持っていない方が低いということになります。
 「相対的に」と表現したわけは、自分のステータスの高低は相手のステータスの高低に依存しているからです。つまり、自分がいくらステータスを高くしよう/低くしようと思っても、相手のステータスが上がれば/下がれば自分の思い通りのステータスを演じることが叶わないのです。
 高いステータス、低いステータス両者に価値的に優劣はありません。高いから良い、低いから悪いというわけではなく、どちらも後天的に学習された生存戦略なのです。ステータスが高い個体は「なるべく自分のテリトリーを広く持ち、強力な力で他を支配する」ことで生き延びてきた、一方でステータスが低い個体は「なるべく自分のテリトリーは狭く、なるべく注目されないようにする」ことで生き延びてきたのです。
 そのため革命が起きたり、より強い個体が現れればそれまでステータスが高かった個体は排除され生存が危ぶまれるし、ひとたび注目を集めてしまいステータスが高い個体に目をつけられてしまった個体は社会的に排除され、生存が危ぶまれます。すなわち、どちらも生存するために学習されたふるまい方にすぎないのです。
 人間の方に話の主軸を戻してみましょう。一般的に「ステータス」という言葉で連想されるのは「社会的ステータス」だと思います。「年収が高額」だとか「大企業の取締役」だとかというものです。しかし、インプロでいう「ステータス」と「社会的ステータス」は同一のものではありません。いつも物腰柔らかでステータスが低い社長もいれば、いつも横柄で上から目線なステータスが高い新人社員もいます。
 例えば足の組み方から親密度がどのように変化させることができるかみてみましょう。

このように足を外側に組むよりも、

足を内側に組み合うと、仲がよさそうに見えます。このように身体的なメッセージから私たちは多くの情報を受け取っています。


 また、ステータスは業種・職種にも関連しています。ステータスが高くないとできない仕事、低くないとできない仕事、両方絶妙にコントロールしないとできない仕事もあります。警察やガードマンなどは高いステータスが演じられないといけません、犯人を捕まえられませんし、次々と怪しい人物を寄せ付けることになります。編集者さんなどは低いステータスが必要かもしれません。作家の先生に少しでも記事を書いてもらう必要があるからです。教師はステータスのスペシャリストであると言えます。授業中は話を聞いてもらうようにステータスを高くし、個別に悩みなどを受ける際にはステータスを低くする必要があります(みなさんのお仕事はいかがでしょうか?)。
 このようにステータスという概念を手掛かりにすると、「なぜあの人はいつもリーダーシップを発揮できるのだろう」や「なんでこの人に悩みを相談したくなるのだろう」といった非常に抽象的で感覚的な「なんでだろう?」に対するヒントを得られるかもしれません。

皆さんは、普段どのようなステータスを演じられているでしょうか?
また、皆さんが「接しにくい人」、「接しやすい人」はそれぞれどんなステータスを演じているのでしょうか?


おわりに

 長々と書いてしまいましたが、以上が「一日目」の内容になります(笑)
インプロの理論における”コア”の部分を体験してもらえたのではないかと思います。2日目の内容は重複した部分もありますが、少し異なった角度からアプローチした内容もあるので、そちらをメインに書いていこうと思います。
 参加していただいた皆様どうもありがとうございました。

参考文献

 ジョンストン,K.(三輪えり花(訳))『インプロ―自由自在な行動表現』而立書房,2012年
 高尾隆・中原淳『インプロする組織―予定調和を超え、日常をゆさぶる』三省堂,2012年
 プライア,K.(河嶋孝・杉山尚子(訳))『うまくやるための強化の原理―飼いネコから配偶者まで』二瓶社,1998年
 Johnstone, K. Impro:Improvisation and the Theatre. Theatre Art Books, 1979.
 Johntone, K. Impro for Storytellers:Theatresports and the Art of Making Things Happen. Faber & Faber, 1999.


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