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インプロの視点ーSpontaneity②ー

ミテモの堀です。
本日はスポンタナエティ(Spontaneity)について、より詳しく考えていきます。前回の記事ではインプロにおける非常に重要な概念である「スポンタナエティ」をご紹介しました。
 キース・ジョンストンがインプロを教え始めた時代、すなわち1960年代において、「スポンタナエティ」すなわち衝動的であることは悪いものだと考えられていました。「理性」は良いもので、「スポンタナエティ」は悪いものという二項対立で語られていました(現代はどうでしょうか?)。
 しかし、物事はそう単純ではありません。「理性的」であることは場合によっては私たちの創造性やコミュニケーション能力を押さえつけることもあります。「理性的」であり続けようとするあまり、私たちは「挑戦しようとしないこと」「人との関りを回避すること」「表現を怖いと思うこと」「誰かの言う事にただ従うこと」を学習したとも考えられるのではないでしょうか?
 こうした「理性的」であることへのカウンターパートとして、インプロはその理論を発展させていきました。私たちはスポンタナエティから学べることがあるのではないでしょうか。単純に「理性的でない」という理由だけで切り捨てるのではなく、少し立ち止まって私たちのスポンタナエティが持つ可能性を検討してみましょう。

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【読了時間: 10分】
(文字数: 4,500文字)
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スポンタナエティって結局何?

 「スポンタナエティが○○」、「スポンタナエティは××」などと書いていますが、スポンタナエティは非常につかみにくい概念です。それは私たちの日常生活に根差しながらも、私たちが普段意識しないようにしていることだからです。
 さらに、スポンタナエティについて考えることが学びにおいてなんの役に立つのか。この議論はまだ答えの出ていないテーマです。例えば、「新人社員のやる気が日に日になくなっている気がする」、「あれほど手取り足取り教えたことがちっとも身になっていない」、「同じ仕事でも没頭できる人とできない人がいる」のような場面を経験したことがある人にとって、スポンタナエティはなんらかの補助線となってくれると私は思っています。
 上のような「~な気がする」などの言葉で表現されるような曖昧な感情がなぜ生じるのかをインプロではいろんな概念を用いて説明します。スポンタナエティとはその1つであり、インプロにおける最大の到達目標の1つでもあります。
 前置きが長くなりましたが、本日は皆様にこの曖昧模糊なスポンタナエティについてなんとなくでもその感触をたしかめてほしいと考えていますので、あの手この手を使って説明していこうと思います。

1.スポンタナエティは脳の自動運転のこと

 前回、ワークを交えてご説明したのは、スポンタナエティとは私たちの脳が頼んでもないのに勝手に行う自動運転機能のことを指すということです。現実の自動運転機能と異なる点は、到着地点が分からないという事です。さらに、その到着地点は私たちが望んだところではない場合があります。
 すなわち、スポンタナエティがくれるアイデアは私たちからすればありがた迷惑であることが多いので、ありとあらゆる方法を用いてこの自動運転を抑制・無視しています。それは「インプロの視点ーがんばらないこと②」でお話した「検閲」の働きです。つまり、スポンタナエティに任せてアイデアを表現していると、自分が欲しい評価とは違う評価をされる危険性が生じるので、なるべくスポンタナエティに対して拒否と否定を繰り返します。
 こうしてスポンタナエティを抑えることが習慣化されているために、人によっては自分が自分でアイデアを否定していることに気づいていないという場合もあります。すなわち、私たちの脳は、以下の2つの機能を同時に持っているということです。

①スポンタナエティによってアイデアを自動的に生み出す機能
②そのアイデアを色んな理由をつけて否定したり、なかったことにする機能

それぞれの機能が持つ特性について、子どもの例と大人の例を挙げながら説明していきます。

2.子どもの頃はスポンタナエティを発揮しながら生きている・・!?

  多くの子どもはスポンタナエティを発揮しながら生きています。それはアイデアはもちろんですが、それを身体に還元するのもスポンタナエティに任されています。例えば、「森にはたくさんのどうぶつたちがいました」と言えば、すぐに「熊」というアイデアが浮かびそれと同時に「熊になって」います。
 すなわち、自分の興味のあることには「興味がある」と思った瞬間に、子どもの身体はその対象に向かっています。アイデアが浮かぶことと表現することの間が0距離なのです。そして、その際には使用しうるすべての知覚を通して環境から多くの情報を受け取ろうとします。
 こうして得られた情報をもとにして、子どもはトライ&エラーを繰り返し、「ものを投げる」とか「言葉を話す」とか「人と関わる」という生きるために必要な能力を習得していきます。
 このことを考慮に入れると、子どもはそうやって学んでいくことを継続し続けていれば、大人になるころにはあらゆる分野で、とんでもないプロフェッショナルになっているのではないか!?とも思えます。ですが、大人になるにつれて先ほどの②の機能が発達して、この学びの過程を妨げます。
 では、何が②の機能を発達させるのでしょうか?

3.自意識が目覚めるとスポンタナエティは抑制されていく・・!?

  スポンタナエティを抑制するシステムの1つ目は「自意識」が挙げられます。近代以降、「私」というものが発明され、「意志」というのも強固になります。すると、「私」がしたこと/言ったことは「意志」によってなされたと解釈されるようになります。そして、「これはあなたが自分の意志でやったんですね?」「これはあなたが自分の意志で言ったんですね?」というように「責任」が生まれます。すなわち、自分がしたこと/言ったことで自分が評価されることになります。
 このシステムの発明によって、芸術家はもちろんのこと、芸術家ではない人たちにとっても表現することは恐怖の対象となりました。表現したことによっては自分が「おかしい」とか「変な人」だと思われ、社会から排除されるリスクが常につきまとうからです。こうなると、たとえスポンタナエティがアイデアをくれても、それを表現することにブレーキが強くかかることになります。
 たとえスポンタナエティによってアイデアが浮かんだりや行動に移したりして、それが悪い結果を生んでないにもかかわらず、瞬時に自意識が「なんて馬鹿なことを言うんだ/するんだ!」とか「本当の自分はこんなことできる人間じゃない、まぐれに過ぎない」とか「自分はもっとできるはずだ!もっとがんばれ・・・!!!」などと考えはじめ、スポンタナエティを否定し始めます。

4.教育がスポンタナエティを抑制する・・!?

 スポンタナエティを抑制する機能を発達させるシステムの2つ目は「教育」です。ここで言う「教育」とは学校に限った話ではなく、私たちの日常生活に存在する「少し極端な教育的営み」のことを意味しています。しかし、現代であっても以下のような教育観に基づいて行われる「少し極端な教育的営み」について共感を覚える人も少なくないのではないかと思います。
 まず、「教育」は「正しい/正しくない」を教えます。それまでは思いつくままに歌ったり、踊ったり、詩を詠んだりしていた子どもが「教育」を受けると「どうやら歌にも正しい歌と正しくない歌があるらしい」「美しい踊りと美しくない踊りがあるらしい「絵にも下手な絵と上手い絵があるらしい」ということに気づき始めます。すると、自分がこれから言おう/やろうとしていることが正しいのか、正しくないのかということが気になり、表現するまでにタイムラグが生まれたり、表現しないようにしたりします。
 次に、「教育」は失敗をネガティブに評価します。多くの人が学校などで問題を間違えて周りから笑われたり、先生から怒られたり、場合によっては「落ちこぼれ」などと評価された経験があるのではないでしょうか。反対に、いつもミスなくこなすあまり失敗することに過剰な恐怖を感じるようになるというケースもあるかもしれません。
 一度でも失敗しようものなら、「失敗したこと自体」に対して罰を与えたり過度にネガティブなフィードバックを与えます。すると、人は挑戦して失敗するくらいなら何もしないほうがよいことを身をもって、あるいは誰かの事例を見ながら学びます。「よく教育された人材」がこうして生まれていきます。表情は暗く、いつも批判的で、失敗をしても自分に責任が及ばないようにして、自分から挑戦しようとはしません。
 これら、「正しい/正しくない」という二分法、ネガティブな失敗経験を与えることによって、「教育」はスポンタナエティを抑制する機能を発達させます。

5.スポンタナエティが発揮されている状態は学びやすい状態である・・!?

 しかし、スポンタナエティとは自動運転機能なので、車線からはみ出した車体の位置を修正する機能を持っています。これはつまり、到達目標と現在地のズレを修正しようとする恒常性(=ホメオスタシス)の機能が搭載されているということです。自分がしたこと/言ったことによる結果を認識することで、スポンタナエティは自動修正を繰り返して、より適切なアイデアを自動的に生み出すのです。このアクション→フィードバック→軌道修正を繰り返すことで着実に上達していきます。すなわち、重要なのは失敗しないようにすることではなく、自分がしたこと/言ったことのフィードバックを本人が正確に認識することです。
 このプロセスを人間に備わる自動運転機能(=スポンタナエティ)に任せることで、人間はあらゆるスキルを自然に習得していきます。しかし、このプロセスの中で、「あぁまた失敗してしまった」とか「なんて出来ない人間なんだ」と落ち込みや逃避が起きたり、適切な支援がなされなかったりすると、スポンタナエティによる学習システムは誤作動が生じます。それはまるで自動運転によって車線の中に収まろうとしていた車体を、自分でハンドルを操作し、車線の外に行くように操縦する状態です。

インプロは反転した思考法を持っている・・・?

 ここまでで、スポンタナエティと学びがどうやら関りがあるらしいということがぼんやりと分かり始めていただいた(?)でしょうか・・・・?。
 インプロは私たちが普段している思考方法とは別の、むしろ正反対な思考方法を持っています。「あーでもない」「こーでもない」と皆さんと対話を繰り返していくことが重要だと私は考えています。
 では次回は、スポンタナエティを駆動させるにはどうしたらよいのか、その方法について考えていきましょう。


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