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右と左の書き順は違うべき――と言う間違い

 日本において右と左の書き順は異なる

  • 右 ノ ー 口

  • 左 ー ノ エ

 これは、1958年に「筆順指導の手びき」で、旧文部相(文科省)文部省がそう決めただけ。右と左の漢字の筆順を決める上で、字源説を取り右と左の書き順が逆になったらしい。

 字源説は歴史的に正しいとされる書き順を採用していると標榜している。字源説をとると書き順は小篆がベースになるので、小篆の書き順を現代漢字に適用すべきだと言うルールになる。

小篆の左と右

 小篆に於いて、左と右の囲いの部分は左右が逆になっている。そのため書き順が逆になると言う論理になる。しかして過去にどのような書き順を採用していたかはかこの漢書の行書や草書を参照するしかない。王羲之の崩し方を見ると、確かに左と右で書き順を逆にしていると思われる。

 有の字も右と同じ書き方をする。これも字源説的には正しいらしい。

 ところが現代中国では筆順原則をルールとして採用している。これは、同じ字体の漢字なら例外なく同じ書き順になる。つまり右も左も有も全てーノの順で書く。しかも、この原則は中華人民共和国(簡体字)でも台湾(繁体字)でも同じなので、清朝には、このようなコンセンサスがあった可能性が高い。

 要するに右と左の書き順が逆になると言うのは日本の文科省のローカルルールに過ぎない。つまり書き順通り書かないと行けないと言うのが完全に大嘘。

 簡単な字で日本と中国で書き順が大きくことなる例をもう一つあげると王の書き方で

  • 日本 ー|ーー

  • 中国ーー|ー

 になる。

いろんな王の字

 ところが小篆を見ると王は、天+ーなので中国の書き順の方が字源説的には正しい。しかし行書で書く場合は、丁+二の描き方が伝統的に使われて居るため日本の書き順が-|ーーになったと考えられる。草書だと丁+二以外に工+土みたいな感じにもなる。つまり王に関しては字源説は破綻している。

 さらに「上」の書き順は多数意見すら無視して決まったとか。こんなのが正しい書き順になるはずもなく、正しい漢字の書き順と呼んでいるものは、書き順の目安に過ぎない。結局の所、学校で教えている漢字の書き順は習字道具を売りつけるための代物ではないかと思われる。なぜなら行書ではなく草書を参考にすると崩し方が複数あり、同じ漢字でも複数の書き順が存在していたことを示唆している。結局のところ日本の書き順は王羲之の行書の筆順がベースになっているのだろう

 ところで中国の書き順が日本と異なる理由を考えると明朝体(宋體)の影響が大きいと思われる。明朝体は宋代の楷書をベースとして、明の時代の活字本に使われた書体になる。ここで考えられるのは、明の時代には官僚が使う標準字体が楷書が標準になり行書や草書は使わなくなったため、行書の書き順より現代中国の書き順の方が綺麗に書けるため。特に明朝体は縦を太く書く必要があるので、右と左を違う書き順にすると逆に書きにくくなる。そして使う漢字の種類も非常に多い。沢山の漢字を覚える手間を考えれば書き順の例外は少ない方が良い。そのため楷書を綺麗に書くための書き順が定着し、行書の書き順が捨てられたのではないだろうか?(無論、これは筆者の妄想にすぎない)

 しかし明代の殿試(科挙の最終試験)の書面を見ると見事な楷書で書かれており、草書や行書が一切使われて居ないのだ。科挙を導入した唐の李世民の大好きな草書・行書・楷書がごちゃ混ぜになっている王羲之の書の面影などなくただ綺麗で機械的な文字が並んでいる。つまり中国や台湾で採用された書き順は書道の為ではなく科挙の為の楷書に特化した漢字の書き順なのだろう。

 そもそも漢字の書き順はどの流派を採用するかで変化するものでそこに絶対は存在しない。これに関して絶対を言うものは嘘つきなので注意しよう。

 ちなみに必の書き順は、戦前の日本は「心にノ」だったようである。

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