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子どもの頃より、子ども化しているけれど

昨日考えたスケジュール改善案で1日過ごしてみた。
15分単位ではなくYoutubeのポモドーロタイマーを使って、ポモドーロ単位で。
一部スケジュールがずれ込んだけれど、おおよそうまく行った気がする。
気が、する。

また火曜日もやってみよう!
書く習慣も5日続いてる。これは、1ヶ月いけるか?
で、今日のお題は

昔はどんな子どもだったのか

一言で言い表すのは難しいけれど…

本が好きだった

最初に思い浮かぶのは、本が好きだったこと。
長くつ下のピッピ、大草原の小さな家シリーズ、そして赤毛のアンシリーズ…
いわゆるアメリカンカントリーな世界の本をよく読んでいた気がする。

本の世界に浸かっているのか好きだった。

幼稚園、小学校をしょっちゅうサボってた

サボってた。いや、今思えばサボってたんだけど、当時は一応お腹痛いとか頭痛いとかで休んでたつもり。
でも、行くのやだなー、お腹痛い気がするー→あ、なんか痛くなってきた
「お腹痛いからお休みする」
みたいな流れで休んでたから、完全にサボりだよね。

幼稚園や小学校が嫌いだったわけではなくて、
行ってしまえば普通に楽しんでたんだけど。
朝起きて、準備して、朝ごはん食べて、家を出る
毎日同じこの流れが好きではなかった。
いわゆるルーティンが苦手だったんだと思う。

で、最終的に、幼稚園は中退。
「毎日行くのめんどくさいからやめたい」とは言えなくて
母を喜ばせる理由をでっちあげた。母は喜んでやめさせてくれた。
というわけで、幼稚園中退児です。

人の顔色伺ってた

幼稚園やめるときの話もそうだけど、
結構、親の顔色見てるとこ、あったな。
「これ言ったら喜ぶな」「これしといたら褒められるな」とか。
兄弟が多いから、その中で親に自分を見てもらうための計算だったのかもしれないし、仲の悪い両親に挟まれる役割だったので、できるだけ機嫌を損ねないよう気を使っていたのかもしれない。
この辺の話はいつか書くかもだけど、書かないかも。重くなりすぎるし、もはやどうでもいいことなので。

そんな子どもだった自分を今振り返ると、
今の自分より、しっかりしてるかも。とか思う。

歳を重ねて、自分に素直になったら楽になった

子どもの頃は「しっかりしなきゃ」って常に思っていた気がする。
周りの大人たちが期待している「しっかりした」子でいなきゃって。
で、周りから「しっかりしてるね」って褒められて、それを自分の拠り所にしていた。


怖いこととか、わかんないこととか、苦手なこととか、誤魔化して、虚勢はって、周りの目を意識して、顔色伺って「しっかりもの」のフリをしていた。

でも、実際の私は無知でビビリのチキンで、めんどくさがり。

大人になって、本当に「しっかりした」尊敬できる先輩たちを知って、一方で自分と同じように虚勢張ってるだけの人を見て。

私は「しっかりもの」の虚勢を捨てた。少しずつ、無知でビビリのチキンな弱い自分を周りに見せられるようになった。そしたら、毎日がぐっと楽になった。

今は怖いもわかんないも苦手も取り繕わずに、周りの目も気にせずに子どもみたいに自分をさらけ出してる。自分で言うのも何だけど、人間的にも角が取れた気がする。
なにかに怒ったり、傷ついたりすることも減って(もちろんゼロじゃないけど)、マイペースに楽しく暮らしているし、良い人との出会いも増えた気がする。

から、これでいいのかなー。
子どもの頃の自分から見たら、もっとしっかりしてよ!って言われそうだけど。

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