豊前小倉城crop

近世大名は城下を迷路化なんてしなかった(9) 第3章 3.4.7. 九州編

### 3.4.7. 九州編


■ 小倉城(福岡県)

34701_小倉

図 3.4.7.1: 小倉城


こんなん笑うわ。卑怯! これは卑怯!
「大名が防衛のために城下を複雑化させたって本当?」
と調べてる人間に、小倉城の東半分を突きつけるのは卑怯と言うほかないでしょう。笑うしかないじゃないですか。

一方で西半分、主郭の存在するエリアはどうでしょう?

上級武士の侍屋敷は二の丸にあります。ここは完全に城地であって、方格設計はありません。

三の丸には侍町が出来ています。東側の侍町より1区画が大きいので、同じ侍町でも西側の方が格上の、中級武士エリアといったところでしょうか。このエリアの方格設計は控えめです。そして塁濠と道の交差する地点(つまり郭内側の橋のたもと)には、徹底的に城門が設置されており、防衛を優先したエリアだと考えられます。

居住区としての三の丸は城地と城下の両方の性格を持つことは再三、申し上げてきた通りです。

三の丸の外側、町屋や下級武士の居住区になると、ふたたび方格設計が明確に見られます。

東側エリアほどの徹底性はありませんが、地形に合わせてできるかぎり碁盤目状にしようという意思があります。

以上の点から、小倉城下においては、防衛は城地の仕事、城下の仕事は商業活動と住居……と役割分担が分かれていたとわかります。

城下街路の複雑性をもって防衛しようとしていたとは考えられません。


■ 門司市(福岡県)

比較対象は北九州の玄関口、小倉より北にある門司市大里町約2,000m四方です。九州の外様大名が参勤交代で関門海峡を渡る際に利用した宿場町として栄えました。

34702_福岡門司

図 3.4.7.2: 門司市(福岡県)


しっかりとした方格設計があります。しかし平行する街道は多くなく、方格設計があるにしては、十字路の割合が低い結果になりました。


■ 臼杵城(大分県)

34703_臼杵

図 3.4.7.3: 臼杵城


リアス式海岸に作られた狭い城下です。なにもここに城下を作らんでも……という気がしてなりません(余計なお世話)。

方格設計はわずかで、十字路の割合も1割以下と低い結果となりました。これは防衛のための街区複雑化でしょうか?私には、地形の影響でやむなくという風にしか見えません。


■ 長洲町(現・宇佐市)

比較対象は長洲町約1,500m四方です。

34704_大分長洲

図 3.4.7.4: 長洲町(現・大分県宇佐市)


地形は似ていませんが、地形が似ている豊後高田や杵築などは全部、城下町だったのです。しかたなかったんです。

ごく普通の、方格設計の少ない漁村アンド農村ですかね。駅ができても駅前が発展していないのは、地方にしては珍しい気がします。


■ 府内城(大分県)

34705_府内

図 3.4.7.5: 府内城

わかりやすく言えば大分市のお城。見事な方格設計の都市です。ほとんどの居住区が矩形の郭内にあり、完全な囲郭都市(城郭都市)である点が特徴的です。

しかし、明確な方格設計がありながら、十字路の比率は低くなりました。南側など敷地が狭くて東西方向の道を何本も引けなかったようです。

いずれにせよ迷路的な城下ではありません。


■ 鶴崎町(現・大分市)

比較対象は鶴崎町の約1,500m×1,300mです。

34706_大分鶴崎

図 3.4.7.6: 鶴崎町(現・大分県大分市)


ところどころに方格設計が芽生え、全体としてはまだまだという状況でしょうか。

余談ながら、豊後一国でパッと思い出せるだけでも臼杵城、日出城、府内城、杵築城、佐伯城、豊後岡城が存続し続けたことになり、一国一城令ってなんだったんだ? と思いながら計測作業を続けました(本当に余談)。


■ 唐津城(佐賀県)

34707_唐津

図 3.4.7.7: 唐津城


頑張って方格設計を目指してるようには見えますが、地形に合わせて歪みが避けられなかった感じです。

迷路的かどうかで言えば、城地でもある三の丸にはその可能性が見出せます。一方、郭外の町屋・足軽町の迷路性は低く、城下を迷路化したという判定はできません。

そもそも膳所城や臼杵城と同じく、水域に突き出した水城であるため、海岸線や湖岸線に沿って進めば迷いっこなく到着できてしまう城です。


■ 濱崎町(現・唐津市)

比較対象は唐津城から少し東の濱崎町の約1,500mです。

34708_佐賀浜崎

図 3.4.7.8: 濱崎町(現・佐賀県唐津市)


ここも、方格設計の乏しい普通の集落でした。

こんな小さな町に、1km と離れず鉄道駅がふたつあるのが驚きです(現在は東浜崎駅は存在せず、浜崎駅のみ)。

発展が見込める理由があったのか、それとも川を挟んでの集落ごとの意地の張り合いがあったのか。

■日出城(豊後)
城絵図に描かれた城下町の交差点数が50未満と少ないため、対象として不適当とし調査対象から外しました。


■ 八代城(熊本県)

34709_八代

図 3.4.7.9: 八代城


正保城絵図の城下町ラストです。ゴリゴリに方格設計があって、そのうえ十字路も多い。

十字路の比率は46%で、今回調査した城下町の中ではトップでした。

都市としては小規模な八代城くんが最後の最後に優勝をかっさらっていきました。

小倉城くん(44%)、仙台城くん(42%)、惜しかった!

言うまでもなく、八代城もまた、防衛のための街路屈曲なんて、どこにも、どっこにも! 見つかりゃしません。

え? 東南に丁字路が連続してる? いやこれ、そこに球磨川があるからの地形由来ですよね。

そのうえ、都合よく敵が東南から来た時にしか機能しない防衛機構って、どうなんですかそれ。

距離的には真南から攻めあがる方が城まで近いのですから、仮に防衛目的で丁字路化するとしたら真南が優先されるはずでしょう?


■ 鏡町(現・八代市)

比較対象は八代城の少し北、鏡町の約1,000m四方です。

34710_熊本鏡

図 3.4.7.10: 鏡町(現・熊本県八代市)


非城下町ラストです。商業地区ですら、あまり方格設計があるとは言えない街路となっています。

鏡川は地図上ではでは小河川に見えるのですが、ともかく川の屈曲に沿って街路も曲がり、街区が形成されたようです。


----
※城下町の地図は正保城絵図です:  正保城絵図 - 国立公文書館 デジタルアーカイブ
  https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/category/categoryArchives/0300000000/0305000000_6/00

※非城下町の地図は明治~昭和前期の国土地理院地図(旧参謀本部陸地測量部、内務省地理調査所による地図)です:  国土地理院  http://www.gsi.go.jp/

----

※このnoteはミラーです。初出はこちらになります。

https://www.pixiv.net/fanbox/creator/188950/post/406831

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?