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私のサンタはもういないけど、私はサンタになれた【世界は贈与でできている感想文】

ふと夜中に目覚めたら、驚いた顔の父と目が合った。小学二年生のクリスマスイブ。傍らには大きな箱があって。
そのままぼんやり寝てしまい、朝起きたらその大きな箱には一輪車が入っていた。サンタさんからのプレゼント!
「夜中に父さんが・・・」と言うと、父はしれっとこう言った。
「ちゃんとサンタさんがプレゼントくれたか、確かめてたんだよ。よかったな、サンタさん来てくれて。」
ああ、そうか!私はすっかり納得し、一輪車は私の宝物になった。

次の年、小学三年生女子の中で派閥ができた。サンタはいるか、いないか。
いないと言っているのは上に兄弟のいる大人びた子が多くて、私は少し憧れた。去年のことを思い返し、今頃サンタに疑惑をもった。
帰宅して母にさりげなく言った。
「サンタって父さんと母さんなんでしょ?」
「ああ・・・」と母は歯切れ悪く肯定した。

私のサンタさんはこの時、いなくなった。自分から追いやった。
クリスマスプレゼントは相変わらずもらっていたけど、親の懐事情を気にしてしまう。4歳離れた弟にはサンタがいると思わせたくて、親と一緒に演技した。
まあ、いたって普通のサンタさん離れだろう。

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一人目の出産をし、予想以上に過酷な育児の日々で、頭の中にぐるぐる回っていた単語がある。

「二巡目」

もう自分が主人公の時代は終わった。生まれた子を生かすことを最優先にしなくては。今度は伴走者として二巡目の人生を繰り返さねば。

もちろん、子育てしながら自分の人生を輝かせている人はいっぱいいる。でも自分と子供を生かすのに精一杯でその考えはまぶしすぎた。ただ、繰り返そうと思っていた。薄暗い気持ちで。

が、二巡目を歩き出して、幸せなことがいっぱいあらわれた。

自分が小さい頃、親にやってもらって楽しかったことをたくさん思い出した。
カーテンでぐるぐる巻きになったり、ひざの上でぱっかぱっかお馬ごっこをしたり、他愛もないこと。でもそれが幸せだったことが蘇ってくる。そして今度はそれを子供にしてやれる。けらけら夢中になって笑う子供。それを見て、また幸せをもらう。

去年のクリスマスも楽しかった。
三歳の長男のために、私はサンタになった。
まだ持っていないノンタン、欲しがっていたハサミ、粘土の最新の道具、好きなお菓子、ちょっと難しいけど一緒に味わいたい名作絵本。
12月に入ってプレゼントの袋はどんどん重くなっていった。

クリスマス当日、プレゼントひとつひとつに歓声をあげる息子を見て、サンタはなるほうがずっと幸せだと知った。

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「世界は贈与でできている」を読んで、この気持ちがなんなのかすっきり説明がついた。

サンタクロースは「親からの贈与」というメッセージを消し、見返りを求めない存在。そしていつか、サンタの正体が親だと知ったとき、子供は子供であることをやめて気づく。「私は親からずっと贈与を受け取っていた」と。

このくだりを読んで、青い鳥のお話のようだな、と思った。幸せの青い鳥は気づいたら前から家にいたのだ、と。

そして親はサンタであると名乗るのを禁じられているがゆえに、「これが私たちからのプレゼントだといつか気づいてくれるといいな」と節度のある距離から思うことができる。
私からお前に贈与するから受け取れ、見返りに言うことを聞けという「贈与の呪い」をこれで断ち切ることができる。

そして「与えることによってこちらが与えられている」という文に大変納得した。

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四歳の息子が「かーちゃん!うんちでた!ふいて!」とトイレから叫び、「まんま!まんま!」と一歳息子が足にすがりついて泣く中、この本を読んだ。
とても面白かったが、まだまだ深く理解できていないことだらけだ。これからもう一度じっくり読もうと思う。なので間違った理解をしていたらご容赦ください。

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「この世界を出会いなおす」ことで、まだ気づいていなかった贈与に気づける、というメッセージに希望をもらった。
二巡目、悪くないな。

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