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"水戸藩の学問"を学ぶ‼︎ 〜水戸の学問は斉昭の予言⁉︎

令和4年10月8日、茨城県立図書館で開催された偕楽園開園180年記念「水戸藩の学問と弘道館・偕楽園」と題する講演+対談に行ってきました。

茨城県立図書館

1.水戸藩の学問は「水戸学」だけではない!

水戸藩の学問といえば、すぐに思い浮かぶのは会沢正志斎の「新論」藤田東湖の「弘道館記述義」などの「水戸学」ですが、実際に水戸藩で行われていた「学問」はもっと幅広いものだったようです。

軍学、兵学、殖産興業のほか郷土史や地誌も熱心に研究されていました。

弘道館には「医学館」や「天文台」まであり、文系から理系まで兼ね備えた、今でいう"総合大学"のような所だったようです。

水戸藩主徳川斉昭は、大工などの職人の技術を書いたり、自分で考えた図を入れた陶器の作り方の書や養蜂や揚水機の解説書まで書いており、その著述は102点にもなるそうです。

また、斉昭は御三家であるにもかかわらず、外様大名である薩摩藩の島津斉彬から蘭書を借りていたそうです。そこまでして学問を習得しようとする姿勢に頭が下がります。

2.斉昭の"予言"⁉︎

外国からの脅威が迫る中で、わが国の独立を維持するためには

外国に頼らず何でも自前でできるようにしなければいけない!


という斉昭の考えによって、水戸藩の学問は多角的になっていったようです。

現在の世界情勢によって、化石燃料や農作物を海外からの輸入に依存している日本は大きな影響を受けています。

エネルギーや農産物の自給率の重要性が再認識されている現状において、斉昭の考えは、"先見"というよりも、今の日本を取り巻く状況を"予言"していたかのようです。

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