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第20回 カウンセラーのTシャツと言葉のサラダ 太母殺しとメイドインアビス

カウンセラーとスタッフの日常会話の記録です。

Mi代表:深層心理学が専門のカウンセラー。Mitoce代表。
すたっふ:カウンセラー見習いのスタッフ。少々オタクらしい。



Mi代:ここではオタクの定義とは何かという話をよくしますが、研究者というのはオタクに近いのではと思いました。私はカウンセラーという仕事をしていますけれども研究者という側面もあるので。あくまでオタクではなく、研究者ですね。

すた:自分がオタクではないということに、とらわれすぎだと思いますが。好きなことに特化しているのは似ているかもしれませんね。

Mi代:そして自分の関心領域がいわゆる研究者としてのアイデンティティになります。そう考えていくと私はオタクではなくて、いろいろなことに関心を持つ、研究者としての側面が出ているだけなのかなと。
私は精神障害の心理的側面からの支援が専門で、とくに深層心理学と統合失調症の関連について研究しています。つまりアイデンティティとして、オタクといわれると違和感がありますが、統合失調症研究が推しですね、といわれると「そうなんです!」といえるかなと。

すた:その言い方自体に私は違和感がありますが。

Mi代:そして関心領域の中心に何を置くかと考えたとき、人間のこころの本質とは?という問いがあります。

すた:統合失調症の人と、こころの本質は関連しているのですか?

Mi代:私の考えではそうなりますね。こころの本質とは何か、という定義は難しいのですが。統合失調症を抱える人たちと話していると、ほかの人なら気付かないような人間のこころの本質に気付いてしまったのだろうな、という印象を受けることがあります。
急性期の状態は特にそうですが、いわゆる「神様」と出会って交流している人もいます。妄想や病的体験と片づけてしまえば簡単なのですが、その人にとってその体験がどのように意味付けられているかが大切だと、カウンセラーの立場からは思います。統合失調症を抱える人たちの体験を理解するために、私は深層心理学を学んでいるのだなと。
だから基本にはクライエントのこころがあって、それを理解するための方法論の一つとして深層心理学を勉強しているのです。

すた:でも神様と出会ってしまうと、現実に戻ってくるのが大変でしょうね。

Mi代:そうですね。私の体験的な理解なのですが、統合失調症を抱える方は、こころの本質を体験してしまったために世界の見方が変わった。そのために現実に戻ってこれなくなって、現実との間で迷っている状態だといえるかもしれません。
私の敬愛する精神科医の加藤清先生※は、その状態を仏教用語を使って「無明」※といっています。こころの本質について迷っている状態ですね。

すた:そういう方の場合、どうすればいいのですか。

Mi代:深層心理学の立場ですが、自分の体験をストーリーとしてまとめることが大切だとします。C.G.Jung※は自分だけの神話を創造していく作業だと説明しますが。
つまり、神様と出会ってしまうような大変な体験をしてしまった。でもそのままでは体験に圧倒されたままになってしまう。現実感もなくなる。それでは病的な世界から抜け出せなくなる。なので、そういった病的な世界と現実世界をつなぐ方法として、神話的なストーリーとしてまとめるのです。神様と対話するけれども、リアリティもしっかりとするために物語としてまとめる。

すた:そういうのって、アニメやマンガによく出てくるストーリーですよね。

Mi代:はい、そうですね。すぐれた物語り作品には、こころの世界の本質が表れていると深層心理学としては考えます。
たとえば最近観た作品でいえば、『メイドインアビス』※なんかすごい作品ですね。かわいらしい絵柄で描かれていますが、内容としてはかなり面白いです。いわゆるこころの深層に潜っていく話だと、私は考えます。
こころの深層は、意識からみるとグロテスクで残酷なものが含まれています。だから意識はみたくないものを、無意識の層に押し込んで直面しようにする。
メイドインアビスの物語りは、大きな穴があって、その穴に潜っていって探索するという話です。そして深層に潜るほど危険が増していきます。しかも穴に潜ると、上に戻ろうとするとき「呪い」がかかってしまいます。始めは身体症状が出る程度の呪いですが、深く潜るほど「死ぬ」という強い呪いがかかるようになる。ある意味で飽和潜水士みたいな話ですね。深く潜ると浮上するのが大変という。
こころの深層に潜ってみつかるのは、いわゆる原始的な世界、つまり生物としての人間であったり、本能といわれるものが前面に出てくる世界ですね。生理的欲求や、身体反応など、いわゆる人間的精神とは真逆の生物的な世界。メイドインアビスではそのあたりが丁寧に表現されています。ひらたくいえば動物に食うか食われるかの世界、身体や精神が傷つき蝕まれる厳しい自然環境です。
現在、メイドインアビスは物語として、まだ生の営みが中心の層に主人公たちはいますが、今後は死が中心の世界に入っていきます。作者としては描くのがさらに大変になるのではと思います。深い話を描くにはエネルギーが要りますから。

すた:私もメイドインアビスを友だちに勧められたのですが。でもかわいい子どもたちが傷つく姿が描かれていると聞いたので。それが嫌でみれていなくて。

Mi代:かわいらしい絵柄であり、子どもが主人公でなければ描けない世界だと思います。かわいらしい絵柄でなければ、ひたすら残酷な描写になりますので、読むのに耐えられないだろうなと。また子どもというのは、大人と比べていわゆる原始的な世界と近い存在なので、子どもじゃないと無邪気に深層に進むという行動がとれないと思います。

すた:神話的なことに触れていくマンガは面白いですね。神話的な話って、大抵は怪物をやっつけるとか、そういう作品が多いのかなと思ってたのですが。日本ってそういう作品って少なくないですか。怪物をやっつけて宝物を手に入れるみたいな。

Mi代:いわゆる父親殺しのテーマと言われるものですね。日本ではそういう父親殺しのテーマは出てこなくて母親との関係性のテーマが出るといわれます。

すた:母親は殺さない?

Mi代:そのあたりについて興味深い作品があります。数年前に人気のあった作品で、花沢健吾さんの『アイアムアヒーロー』※という作品があります。その作品はいわゆるゾンビ系マンガで、現代日本で人間がゾンビ化して、そのなかでどうやって生き抜くかというストーリーです。
物語の後半ではラスボスとしていわゆる、全てを飲み込む太母的な怪物が出てきて、主人公がどう闘うのかという話になります。私は日本の現代人がどのように太母と闘うのかというテーマが気になっていたので、作品の成り行きを見守っていたのですが。
結論からいうと、ネタばれになりますが闘わないんですね。それをみて「やっぱり闘えないのか」と落ち込む気持ちと、納得する気持ちになりました。これは深層心理学とくに分析心理学では大事なテーマですね。
日本は太母殺しをしていない文化だといわれます。たとえば日本の神話である古事記では、イザナギが黄泉の国に降りて行って、国や神々を生んだ太母であるイザナミと出会いました。いわゆる太母の隠されていた側面をみたといえるかもしれません。そしてイザナギはそこから逃げるんですね。退治するわけでも、その姿をみとめるわけでもなくて。そして結局はイザナミから「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と呪いをかけられます。イザナギはそれに対して「1日1500人生む」といって呪いに対抗します。太母の「1000人殺す」呪いは実現されるので、呪いは消えていません。太母の退治は出来ていない。
でもこのあたりは、深層心理学の実践として興味深いテーマです。はたして太母を倒すべきなのかと。
西洋文化では母親殺しをして、そのあと父親殺しのテーマが出てくるようになったと説明されることがあります。この西洋というのが具体的にどの文化圏を指すのか、単純には分類できないと思うのですが、一応、ヨーロッパのルーツを中心とした文化とします。
そこでは、たとえば昔話に出てくる悪い魔女は殺されたりします。でもイザナミの呪いについて考えるとわかるのは、太母は殺すのではなくて、呪いを解くのが大切なのではないかということです。イザナギはイザナミという太母の否定的な側面をみた。だからそのイザナミを西洋的に殺してしまえば良いのかというと、そうではないかもしれない。太母の否定的な側面を見ても、そこから逃げることなく、そういった否定的な面を含んだ存在であるということを認めなければならないんですね。
美しかった妻も死を迎えて、身体が腐敗し、醜い姿になる。それも人間として真実だと思います。それを真実としてこころの中で受け容れていれば、イザナギも呪われなかったかもしれません。
そう考えると、太母との闘いとは呪いを解くこと、いわゆる母性的なものに含まれる否定的な側面を受け入れて、その正体を認めることといえるかもしれません。もし殺してしまうと、大変な事態になってしまうかもしれないですし。

すた:どういうことですか?

Mi代:すべてを飲み込む太母的な存在を殺してしまうと、その死へと飲み込む力がかえって強まってしまう。私は新世紀エヴァンゲリオン劇場版の『Air/まごころを、君に』※を思い出します。
クライエントから、あの作品のような否定的な太母像がインフレーションを起こして世界を死へと飲み込むようなイメージが出てきた場合、私はかなり警戒します。精神状態としては、ひどい落ち込み状態になると予想できるので。何年も動けなくなるかもしれない。実際、庵野監督も大変だったようです。

すた:エヴァンゲリオンでは結局、碇ゲンドウさんも太母に飲み込まれている子どもみたいな存在ですよね。

Mi代:そうですね。息子と父親で母を取り合いしているという。息子が父親を殺したら、それで父親殺害のテーマ、いわゆるフロイトのエディプスコンプレックスの状態になりますね。父を殺して、代わりに母親を手に入れるという神話的なテーマですが。エヴァンゲリオン旧劇場版ではそうはならなかった。
『アイアムアヒーロー』の作者の花沢さんは、その次に描いた作品※が、「女性だけがいる世界。そのなかにひとりだけ現れた男子」という設定の話です。

すた:それは恐ろしいですね。女子だけの社会って結構大変なので。理想と現実はかなり違いますよ。

Mi代:大変な世界です。いわゆる可愛らしくて、美しい女性ってある意味で女性のペルソナの部分なのですね。でも実際は女性だけの社会だと、そういうペルソナをかぶらないので。
太母的で何でも受け容れてくれる肯定的な母親像というのを女性に求めて、その社会を理想社会として過ごそうとすると大変ですね。花沢さんが描けなかったのは当然かなと思いました。

すた:女性だったら生理とかもありますし。出血というのは女性には普通のことですが。そういうのを見たくない男性にはきついかなと。

Mi代:ペルソナをかぶった女性だけを求める人にとっては、生理の出血はリアリティがないでしょうね。どちらかというと、遠ざけるべき見たくないもの。特定の宗教や文化では、生理はケガレとして扱われるので。遠ざけているうちは女性的なものに触れるのは難しい。

すた:Mi代表も自分のなかにあるオタク気質を遠ざけているうちは、自分の本質に触れるのは難しい。

Mi代:今日の冒頭で話したように、私は研究者気質であり、オタクとは異なった状態であると認識しています!

すた:それもMi代表の神話ということですね。



加藤清(かとう きよし)
1921年、神戸生まれ。京都大学医学部卒業。72年、国立京都病院に精神科を設立、医長となる。86年、同病院退官、京都博愛会病院精神科顧問を経て、隈病院顧問医師。精神病理・精神療法学会、芸術療法学会などの設立に貢献し、精神医学界の指導者ならびにセラピストを数多く育てた。のちに三島由紀夫が『金閣寺』を書くモチーフとなった、金閣寺放火事件の犯人を鑑定したとして有名。2013年没。
この世とあの世の風通し 精神科医加藤清は語る : 加藤清(精神科医) | HMV&BOOKS online - 9784393364444


無明(むみょう、梵: avidyā)
仏教用語で、無知のこと。真理に暗いことをいう。法性(ほっしょう)に対する言葉である。この概念は、形而上学的な世界の性質、とりわけ世界が無常および無我であることの教義についての無知を指す 。無明は苦の根源であり、最初の因縁の輪に結びつき、繰り返す転生の始まりとなる。無明は仏教の教えの中で、様々な文脈での無知・誤解として取り上げられている。
無明 - Wikipedia


C.G.Jung(カール・グスタフ・ユング、Carl Gustav Jung)
スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始。コンプレックス(感情複合)の現象を研究したユングは、言語連想実験等を通じて深層心理の解明を志向し、当時、精神分析を提唱していたウィーンのジークムント・フロイトから大きな影響を受けた。「集合的無意識」の存在を提唱。元型の概念で神話学、民俗学、文化人類学等の研究に通底する深層心理理論を構成した。
カール・グスタフ・ユング - Wikipedia
分析心理学 - Wikipedia


メイドインアビス
つくしあきひとによる日本のファンタジー漫画。人類最後の秘境と呼ばれる、未だ底知れぬ巨大な縦穴「アビス」。その大穴の縁に作られた街には、アビスの探検を担う「探窟家」たちが暮らしていた。彼らは命がけの危険と引き換えに、日々の糧や超常の「遺物」、そして未知へのロマンを求め、今日も奈落に挑み続けている、という物語である。
メイドインアビス - Wikipedia


アイアムアヒーロー
花沢健吾による日本の漫画。謎の感染症による平凡な日常の崩壊を描いたSFホラー漫画。当作品は「生ける死体」を題材とした作品ジャンルの一つではあるが、プロローグ部分として単行本ほぼ一巻分を主人公の日常を描く。第一巻の半分を過ぎたあたりから、徐々に日常が崩壊していく様が描かれ始め、パンデミック後も「日常性の崩壊」と「災害」が仔細かつ淡々と描かれる。さらに主人公を始め、様々な形で「これまでの社会に劣等感を抱いていた者」を中心に、不条理に対する人々の行動にスポットを当てている。
アイアムアヒーロー - Wikipedia


新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
1997年7月19日に全国東映・東急系で公開されたアニメーション映画。1995年秋から1996年春まで放送された同テレビアニメシリーズ、碇シンジを中心に主要登場人物の心の中を描いた『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾伍話と最終話をリメイクし、そのとき作品世界で実際には何が起きていたのかを描いて上映されたものである。本作品をもって『新世紀エヴァンゲリオン』は完結を迎えた。
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に - Wikipedia


たかが黄昏
花沢健吾が、男性が滅び女性だけになってから17年後の日本を描いた作品。2019年2月に1巻が発売されたがその後は休載が続いている。「この社会は女尊男卑だと言ってたんですが、いろいろと本を読んで、男性に優位な社会構造だと考えを改め、それならいっそ『男が存在しない世界で女性はどのように生きるのか』をテーマに描きはじめました」と前置きし、上記のテーマが今の自分には難易度が高く挫折してしまいました。読んでくれた皆さんには大変申し訳ありませんが、再開の目処が立ってません。ホントすみません」と今のところ再開予定はないと謝罪した。
川島明が連載再開を熱望する『たかが黄昏』 作者が衝撃事実を明かす – Page 2 – Sirabee

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