見出し画像

第60回 カウンセラーのTシャツと言葉のサラダ マンガ原作者の死と生き続けるものについて。

カウンセラーとスタッフの日常会話の記録です。

Mi代表:深層心理学が専門のカウンセラー。Mitoce代表。
すたっふ:カウンセラー見習いのスタッフ。少々オタクらしい。


Mi代:マンガ原作者が亡くなられたというニュースが入ってきました。詳細は分からないのですが、原作マンガが実写化されたとき、作者本人の意向に沿わずに内容の改変が行われたようで。それを悩んでいたという事情が報道されています。
もちろん当事者に聞いてみないと分からない内容ですし、外部の人間である私が実際に何があったのかは確かめられないので、推測からあまり意見はいえないのですが。このような大変な結末は考えさせられます。

すた:私もショックでした。

Mi代:カウンセラーという仕事をしていると、著名な方が亡くなったというニュースを聞くと考えさせられます。ただし「私にも何かできたのでは」というのは、専門家としては不遜だと思っていて。そのような意見が言えるのは他人だからです。亡くなった本人と深いかかわりがあった人は、それどころの気持ちではありませんから。全くの他人が「私が助けられたかも」というと、近い立場の人たちは「関係ない人がいまさら何を」と思うのではないでしょうか。
ただし専門家として何も考えないというのではありません。どうしても事後的になってしまうのですが、悩んでいる人がアクセスしやすいメンタルケアを社会に広げていかなくてはという思いはあります。それは私の仕事であるので。
すたさんのようにアニメ好きの立場から見ると、今回のような事件はどう思うのでしょうか。

すた:私も大変ショックでしたが、マンガ原作の実写って失敗作品が多いので、そういうレベルのものだと考えてしまっています。藤原竜也が出ている実写作品は、良い作品が多いって情報が流れていましたけれども。上手くいかないことが多いかなって。私は実写化って、翻訳だと思ってまして。

Mi代:翻訳?

すた:はい。作品をどう理解して、どの程度実写に落とし込むかという話で。アニメをそのまま実写に落とし込もうとしても簡単じゃない。どのように実写にするかを考えないといけないので、難しいですよね。予算もあると思うので。どこを切り取るかも大切になる。だから結局は、作品へのリスペクトが大切ですよね。

Mi代:たしかにリスペクトですね。

すた:作品に対するリスペクトもそうですし、作者に対するリスペクトも大切です。どれほどその作品が好きかというのが、実写化のときに出てくると思います。それが大事です。どれだけ大切にするかという思いが。

Mi代:原作へのリスペクトと翻訳というテーマは、たしかに考えさせられますね。たとえば私が以前にここで書評として取り上げた翻訳本でも、タイトル名が原題の持つ意味と離れた、センセーショナルな邦題に変えられていました。本を売るためには仕方ないのでしょうが。ゲームデザイナーの小島監督も書店を紹介する動画で、翻訳の本を買うときは原題をチェックしましょう、みたいに言っています。このあたりは出版業界では普通のことして思われているんだろうなと思いました。私が取り上げた本でも、著者の意向であろう本のテーマとかなり離れた邦題なので、もしそれを著者が知ったらあまり良い気分ではないかもしれないなと、勝手に推測していました。もちろん私が違和感を抱くだけで、その本の著者は「別にいいよ」というかもしれませんが。
原作者の意図をどれほど汲み取るかって、翻訳者の力がものすごく求められるんですね。違うパターンで言うと、私の敬愛する亡くなられた精神科医の中井久夫先生は翻訳者としても有名です。中井先生は、ネイティブの人でも理解が難しいといわれた、アメリカの精神科医H.S. サリヴァンの著作を翻訳しました。サリヴァンを訳すためには、サリヴァンの理論的根拠や考え方を文章から理解するだけでなく、サリヴァン一家がどのような歴史をたどってアメリカに住むことになったのか、サリヴァンはどのような人物であったのか、どのような人生を送っていたのか、関係者にどのような人がいたか、そしてサリヴァンが活躍した時代に流行ったものや、社会背景としてどのようなことがあったのか。そういった膨大な背景知識を持って、そのうえで中井久夫先生の精神科医としての臨床経験をふまえながら翻訳しているんですね。それだけサリヴァンへのリスペクトがあり、しっかりと訳そうという決意が伝わってきます。評判としては名訳とされています。本当かはわかりませんが、サリヴァンを原著で読めないネイティブの人が、日本の翻訳を英語に翻訳して、そこから理解するという人もいたという噂さえあります。

すた:それはスゴイですね。

Mi代:そこまでいくと、ちょっと次元が違う話だと思いますが。でも一般的にも翻訳を生業としている人たちは、かなり博学と言われます。たとえば海外の小説を翻訳しようとしたら、当然ながらその文化を知っておかないと訳せませんから。たとえば日本の小説で「画面の前で太鼓をたたいていたら…」という描写があったとすると、それを英語に翻訳する人が「日本には家で太鼓をたたく習慣があるのか」という勘違いをするかもしれません。「太鼓の達人が流行った年」という知識があれば、すぐに分かるかと思うのですが。この逆をアメリカ文化に住む人の小説を日本語に訳すときにするのです。そこに書かれていることへのリスペクトがなければ、そこまでできません。

すた:リスペクトは大事だと思います。

Mi代:それに、すたさんの話を聴いていて、私が取り組むカウンセリングや、こういった心理臨床に関する話も結局は翻訳や通訳の仕事なのではと考えました。
臨床の現場で会うような方々は、自分の想いや体験を言葉にするのが苦手な人が多いです。そのために周囲の人からは「変なことを言っている」「訳の分からない考え方をする」という評価をされてしまうことがあります。しかしながら、クライエントの話を聴いていると、まわりの人が気付いていないだけで、こころの病気と言われている人たちの方が正しいことを言っていることは良くあるんですね。でもそれが理解されにくい。クライエントが気づいた内容を、どうにか言葉にして伝えることができないだろうか、というのが私が文章を書くモチベーションの一つです。でもどれだけ書いていても、「こちらの勝手な解釈だよな」「カウンセラーの独りよがりになってないかな」と反省続きですが。象徴的な言い方になりますが、実際にカウンセリングのなかでクライエントとかかわりながら、自分の翻訳があっていたのかを確認するという毎日ですね。
クライエントへのある意味でリスペクトが無いと、この仕事はできません。リスペクトの在る無しによって、人の命を奪ってしまうことがある。今回の事件についてはそのあたりも深く考えさせられます。

すた:結局、カウンセラーも突き詰めれば、オタクということですね。

Mi代:どういうことですか?

すた:オタクにとって大切なのは、どれほど作品をリスペクトするかなんです。そして、その作品を生み出した原作者は、その作品世界を作り上げた創造主であり、神なんです。つまり、今回の事件は神殺しという大罪を犯したといえるのです! でも作品は残ります。私たちは作品を通じて、神がそこにいたことを感じられます。神は不滅なんですよ。
クライエントをリスペクトして、その創造性を大切にする。まさにカウンセラーもオタクと同じ心理傾向を持っているといえます。

Mi代:実際に人が亡くなっているので、私も慎重に言葉を選びたいですが。おっしゃることを部分的に考えると、文化を翻訳して伝えていくはずの人たちが、自ら創造の源泉を破壊してしまったという事実については、しっかりと考えておきたいです。
私もクライエントを傷つけてしまっただろうかと考えることは、しばしばあります。今回、すたさんが取り上げて下さったリスペクトという言葉は大切な観点だと思います。すたさんが仰る背景には、原作者を大切にしたいというリスペクトがあると思いますので。

すた:もちろんです。ところでMi代表、それで終わろうとしていませんか? 先ほどの発言を私は見落としていませんよ。カウンセラーはオタクである、という私の仮説について結論を保留にしていますが、私はMi代表という「臨床的事実」を元に仮説を立てたのです。今日の例え話のなかに、「太鼓の達人」が出てきましたが、Mi代表、今、太鼓の達人にハマっているでしょう!

Mi代:いえいえ、ちょっと研究をしているだけです。太鼓の達人の超絶技巧曲である「彁」の全良動画を観ていると、ゲームクリエーターとプレイヤーとの間で繰り広げられるケタ違いの闘争を感じて、日本のゲーム界隈の深遠さを知ったというだけです。

すた:それがオタク発想なんですって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?