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はじめの一歩



#今年のふり返り

5月に自分でやりたいと思っていた仕事からのオファーがきた
4月までは、介護士だった
だか、そこから私は祖父がペリリュー島の戦いの生還者である命をもらい、その恩を返そうと必死に茨城から東京まで通勤をした
が、Excel、Word、PowerPointを多少は出来たが、それ以上を上司は求めてきた
が、しかしどこまでができてどこまでが、出来ない範囲に値するのか
直属上司は、上層部の考えには何も言えない
そして、面接時に引っ越しはしないの?とも、質問されたが私は、私の祖父の上司=軍曹と私は最後に約束をした
『俺が置いた一輪挿しに草でもなんでもいいから、花を入れてくれる人がいればと願いをこめて置いたんだ』と
その話を聞いた私は私が1ヶ月に一度、必ず花を手向けに行きますねと、約束をしたから
その約束を私には破る事ができないから
最終的には、交通費が高いから辞めさせたんだと横からの本音が聞こえてきたのだ
それでも、まわりの上司達は、必死に私を励ましてくれ、最後まで私を見送ってくれたのだから
まさしく、戦友と同じだと
この経験を生かし、これから私は私なりに戦争の悲惨さ、体験、色々な事を伝えていこうと、仕事を失って病んでる場合ではないんだと
ここからが私のスタートラインなんだと
私は負けない、後ろには沢山の仲間がいるとわかったから
あっという間の一年、いや半年だったが、いい上司に出会え、一番楽しく自分なりにいられたんだと
ありがとうをどんなに言ったとしても返せない
上司ともっと仕事がしたかった
もっと役に立てる、力になってあげたかった

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