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あれこれ雑記のe

…料理が美味し?って、食べて比べて選んでなんてないのよ。お客は結局は保守的で知名度で誰かの推薦で、それでそれを食べて満足して帰る。お客様は情報を食べている!と、、ラーメン🍜のドラマだった…。


なるほどだし、これ食べ物だけではないぁ´д` ; 体の事をやっているのに感じないままやっている?感がいい・的な、毎日食べてて味わかる?・的な。

いつも誰か??信頼?出来る人、有名な人の話を聴いて食べたり飲んだり買ったりして、信頼ってやはり好みだ‥好き好き。

それを選べる力?は頼る力と同じくらいか、無意識に頼れるかどうかを見極めているのだから(;´∀`超大事な部分‥。
それを見極めるなら自分の感覚を信頼すればいいのにと😅

時々日本って島国だから海の向こう側を夢見ているのか?と思うことがある、常に外を向いている感‥。海の向こうはきっと、、と。
自分より他人の方が信頼できるかのよう。この人が言ったから大丈夫だ!と身近でも、整体の中でもそれが多かった。あの人が言ったら信頼出来る、あの人のは信頼できないとか。

内容は同じで同じ先生に習って学んだ者同士なのに、視点や角度が違うとその情報の真意まで変わっていく。
正しいことなんて無いようなもの。で片方は信頼にまでに一気に進む。
わたしの好みはマニアックな狭い道。道は広くない、みんなで渡れば怖くない!という標語を好まない。

老子の道でも読み直そうか…。

誰か忘れたが、
『地獄への道は善意で舗装されている』と。
肝に銘じている。



集団意識とはいい意味でもそうでないことでも、両極の流れを作り出すから余計慎重な。後で違った!なんてよくあるけど信頼を得る為に殆どの時間を費やして、それが出来るとその人の自由を全面的に認めるかのようにそれはあったりしている。
まるでスターにするようなファン心理みたい。

そこまでいくと離れる癖がある、席は明け渡さないと、、と思うわたし。いつも離れることを意識してくっ付くみたいだ、欲の無いことだと我ながら思う、何事も。


…こんな事を書いていくと自分は信用出来ないヤツ、当てにならない、ダメ👎と思っている側だなぁと書いてて思ったよ。
だから書いているのだろうと下手な割には書きたいし^^。
ここにあるものを別様式にしてこちらに移動するみたいな作業。移動すると面白い展開になったりするからやめられなかったりする。


繋がりの元ってこれかも知れないけど、が そればっかりのようにも

自分の感覚の未知数なところを自ら磨く代りに他人に明け渡しているかのよう居住ませる。

食でも作る人・宣伝する人・アイディアする人それぞれ分担し携われば、味が分かろうがなかろうが全く構わない。大きな一つのことをそれぞれ位置から関わって成し遂げる。

‥も一方では個人で全部やりたい人も同じようにいる。(微力ながらも出来ればそれかもと思っているようだ)

弱点って何だ? 

今までの弱点意識を思い返す。
…何処から思い込んで来たのか長い歴史がある、時に人類の歴史のようにこの個人にも現れる。
常に他人につけ込まれ、つけ込む為にあるものとして、イヤな言い方なら脅し脅されてその関係は存在する。
たくさん弱点?個人的に多々ある。
経験値の少ない経験してない領域を含めてここに生まれて来た。体験・経験して自分の情報するのだから、それこそ味が分からなくても食べているような感じです。がそれもその人の個人情報として吸収される。

弱味はたくさんあるし、逆の弱点を知ることが出来るから、
わたしの存在はそれでいいのです。
自分の未知を探すきっかけには他人がいると。

…地球にあまり経験がない、例えば立場が上ばかりだと実際性の貯蔵庫スペースが空欄!(物質界では弱点的に変わるー)
経験ってそれに似ていると。


そう思いつくと、なんの問題もなかったみたいな気持ちになる。昔のその思いは何処から来て、いったい何だったんだろうと大汗だ💦それに時間を使ってダメな自分を生きてきた感は否めない。それを自分で知れて良かった良かったと今ほっとする。今、確かにそのような話は沢山の専門家の方々が話される内容だろう。けどきっと私ならいい話を聞けた!で頭の中で終わるかも。今これほどの時間を要して、自分の人生を歩いて来た中で湧いて来て知ったんだから機は熟して落ちたというタイミングでしかない。なればその瞬間終わる話に変り、開放される感じに浸る。そこに居座っていたものが自ら瞬間移動するみたいだ。


後ろの正面は自分だし。
かごめかごめの話(写真はネットよりお借りしました)

一回りして自分になる。後ろだと思ったら表だ。あなただと思ったら自分だったというような、物質社会はそれを見えなくさせているように思うが、全て目に見えてくるのだと思う時、この世は騙し絵のようだ思った。そんなところに生きている。

この実際目に見ているものが騙し絵なら、たくさんの隠れた仕組みや仕掛けがあるだろう。自分自身の中にも政治の世界にも身内との関係の中にも‥。自分の一部しか使ってこないからそれが見えないだけで、、特に頭は一部しか使えてない(脳活してみて分かったことでもあるけど)。使わないで生きてこれたということは機能を退化させる。例えば便利(不便)を追求したのも一つの要因かもetcetc、、

この自粛生活をきっけに意識に変化が現れはじめると、それをもう無きものに出来ない。それを感じ始めたらそれ迄のような意識でいることは出来ない。


自分の不足(弱み)には他人のヒントや援助を貰うかも知れないけど一時的。それきっかけにして自分のバランスを取り戻していけば自分のものになる=双六の上がり状態で→更に次の扉が開く→

…矢印の方向性いろいろだけど…層の中を入っていくかのよう、自分の軸を仮止めしているような感覚で、上下も左右も前後も斜め、全方向とその奥行も含め感じる切る、、そんな意識は通常というより拡大という方が合っている。


弱みに頂いた他人の一部でも、こちらに移動する途端変るんだけど、時々私があげたものだ!とずっと言い続けられたりする。そんな移動もあるのですけど、そんなあげ方はしない方がいいです。貰っても邪気を貰い、きっと後で吐き出す事になったり捨てることになるから。もらったはいいけど置きっぱなしで使えない事もある。その人にはいいものでも自分には使えないってことは大いにあるんです。だから当然良かれ行為もいけませんね💦。

いつでも外せる外付けでいっぱいですね、それって‥。


他人のそれはいつも自分を知る、経験のきっかけやヒントになる、でそれだけでいいのだ、それ以上は追わない。


人は無意識に助け助けられるけど、何もしないでいてくれて有り難いという事もあったけど、それは稀な関係。まあ身内でもないかも。中々それを感じ合えることは少ないだけではなく時に競いや弱みを握り・握られたい関係を成立させたりするのは、誰かのせいにする繋がり方。

自分軸という時、誰のせいにもしない!

という事だとすれば、

他人はわたしの別面であり、同時に生きているわたしになる。それを責めるということは自分を責めつづける流れを作る。だからずっと責める。

こんなカラクリから中々理屈などでは脱出出来ない。自ら拡大意識を持つことが必要になる。わたしにはそれが瞑想であり、katugen_undoになる。

籠は六芒星(写真はネットよりお借りしました) かごめかごめの繋がりで🙇‍♀️


ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。