黒とハートの十字架-1

1018みなARTだね

ささあ、昨日の分を先ほど仕上げて、そんなまったりした時間の使い方で、でも今日も書きます、描きます。人はみなARTな存在だと思っている。

絵の中はいろいろ、素朴な田園風景描く人もバスキアのような、モネのような色々様々・・。物語のよう、絵を観るようなものだと人を表現出来るかも。

・・別な見方をすれば自分特有の万華鏡を持っているのだなって思う。それが個性として面白く(人によっては面白さは色々だ)も見える。

ミクロやマクロ的なレンズを持っている感性を巧みに使える場合もある。そのレンズは遠近法どころか多角的視点。でもどんなに目の前が移り変わっても自ら使えるよう自分なりだけど磨きつづけたーい。


自分の事は自らしかの発揚出来ない、きっかけは必要だけど、そこにばかり目を向けていると自分が疎かになる気がする。きっかけをくれる人はいつも全力だったりして、魅力も勢いもある。そこに任せ共鳴し期待して何か望みを叶えてくれそうに思う。コミュ作り、村作りが盛んです。一緒に、、って言葉はあまりわたしは使わない系の言葉だけど(ちょっと群れから離れ気味に居るタイプ)違うタイプも面白いから参考になる時代の違い、煽動する20、30代のモノの考え方。違って当たり前だし、違いを平気で見ていられる・・。


・・3月に退職してから環境が家の中。長年の物の多さを感じつつ断捨離を始め、メルカリもやり始めた。実は生活スタイルが変わった事である虚脱感をあまり感じないで済んだのはメルカリのおかげだと思っている。どうやって売れたはいいけど(大物箱探しで)梱包をどうやればいい?など発送も工夫しながら覚えた。

そんなことをしながらシェアも恥ずかしい!出来ない(-_-;)そんな自分がお店作りやTシャツなどのデザイン見様見真似で形にして、この会社退職してからの自分の変り方に、、これからもまだ変わり続けるのにびくびくドキドキしている。

わたしは一人者を通してきて、3年前に両親を3か月のうちに亡くした。で退職もして、もう誰も居ない事のプレッシャーもあったろうが必死だったのだろうな、こうやって書く時しか思い出さない・・。今!明日!くらいしか思えないからだ。

引っ込み思案(腰が弱い)という自分の隠れ蓑を剥がして行かないと生き終えられないなって身体で感じるが故の必死感なのかも・・。

長い事会社勤めとの二足の草鞋で多趣味?野口整体、山登り、写真、絵画、占星術、タロット、アロマ、鉱石、心理、スピリチュアル、瞑想(月一度)でいろいろやって来たのが今活きているのかも知れない。昔はよく一つの事をやり遂げる人といつも比較されて自分は多趣味だが何一つこれっていう者がない気がして、気が引けていた、人生の半分以上気が引けた生き方だった。自分の名前もイヤだったし、誕生日も操作されて1週間早くされて、、なんか生まれを弄られた感が重くあった、、(今それは無くなって自分の生が広告、看板と同じだと思えるようになった、近い内 atelierSORAもMITOKI に変更します)。


自分の生活のいろいろな面もちょいちょい入れながら、

今日の整体ネタは、野口整体は医療行為ではないので、治すとか言う言葉がないです会話に。健康というものは、人から貰うものでもなく、自分の身体の使い方で生み出すものだ。(月刊誌より)

野口整体の整体という事は、敏感に身体の異常を感じて、感じた異常に応じて素直に身体が動いてくる、、そういう身体を言う。薬の力で元気になるという考えはなく、自分の身体の使い方で丈夫にならなければならないのです。病気になったときには、自分の身体の使い方を反省しなければならない。欠伸もクシャミも大便、小便も、転びそうで転ばないのもみな同じ働きです。その働きを敏感にする運動が活元運動です。その働きが元々備わっている。・・全く身体の扱い方が違いますね。

そんな整体に属して運動をしているんです。わたしの軸であります。働きを鈍らせない!という思いでやっています。

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ふと感じるものを中心に書いています。よろしくお願い致します。