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「日本カメラ」最後のコンテスト審査

 まさかその後、雑誌が休刊になるとは思っていなかった昨年の12月号月例コンテスト「組写真」の審査をさせていただきました。その総評全文を後半に載せさせていただきます。もし、読者の皆さんの中にこの号をお持ちの方がいらっしゃったら、ぜひページを開いてご覧ください。

 実はこの審査が行われたのは昨年9月下旬でしたが、審査後、この12月号組写真の部に応募したある方から編集部気付でお手紙をいただきました。その方はかつてアサヒカメラのファーストステップの部にご応募の方で、確か、年度賞にもなった方だったと覚えています。それから随分年月が経ちましたが、この日本カメラのコンテストで久しぶりに名前をお見かけしたものです。お手紙には、再び写真を応募してみようという気持ちになったこと。そしてその心情のようなのが綴られていました。私は当然、このお手紙を拝見しない審査時に、偶然にもこの方の作品を入賞作品の一つとして選んでいました。組写真には、かすかな物語が表現されていました。その細部を私が今記述できるわけもありませんし、個人の事情に触れるわけにもいきませんが、心打たれる美しい「写真」でした。そこに写っている以上の時間や空間や出来事や葛藤や声が写っているように思えたのです。お手紙はそれを裏付けるものでした。そして、その方の久しぶりのコンテスト参加と入賞に私こそが元気づけられたように思えました。

 思えば、日本カメラに限らず、アサヒカメラも含め、長い間この「月例写真コンテスト」の審査員を務めさせていただきました。若い頃には、読者の方から編集部に届く「なんでこんな写真が一位なんだよ!」という苦情に腹を立てたこともありますし、「文章」としての写真講評はとても未熟だったと思います。審査しながら、講評をしながら、なんとか勉強してきたと自分では思っています。だからこそ、先ほどのお手紙につい涙腺も緩んでしまいました。自分は何かしらの役に立てているということです。

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 アサヒカメラ、日本カメラだけが「コンテスト」を実施しているわけでもなく、他のカメラ雑誌にも同様のページがあり、昔から「写真雑誌の3本柱」のうちの一つがコンテストだったわけです。私もまだ他の雑誌からコンテスト審査員の声をかけていただけるかもしれませんが、若いYouTubeなどで人気のある写真家の方々が登場するような時代ですので、実質として日本カメラ2020年12月号の審査が、雑誌の月例コンテスト審査の最後かもしれないと思っています。カメラ雑誌自体、新たな設定や展開が余儀なくされているはずで、これまでと同じようにはいかないでしょう。そんな時、先ほどの「読者」のように、カメラ雑誌にささやかな夢を託す方もしっかりいるのだということも忘れないでいただきたいと思うのです。

以下、日本カメラ2020年12月号 より

   組写真総評      大西みつぐ

 最近、月例コンテストのみならず、様々なコンテストの場で鋭い組写真の作品が目立っています。鋭いといっても、特に激しいスナップであるとか、風刺でも批評でもなく、いわば日常的な光景であり、私たちの身近な時間や空間が写されているだけです。しかし「切実」なのです。その切実さが、今年さらに現実味を帯びたのが「コロナ」であるのは間違いないことで、誰もが自らの周辺に深く関わることになりました。今回の作品もそうした写真がいくつも挟まれていましたし、入賞作品のほとんどに「今」がイメージとして差し出されているように感じました。
 写真は結果として、やはり時代をどこかに反映させていくものです。しかしながら安易にその状況を説明するだけでは作品としての輝きは鈍いもので終わるかもしれません。コロナです、マスクです、自粛ですではなく、そこに拮抗する意思や葛藤などがあるか。どこにリアリティを見出すかに関わっています。そして組写真というセオリーにとらわれすぎてしまうことで、反対に窮屈で既視感しかない作品で終わっていくという作品もたくさん見かけます。「片隅の光景」だったり、「西日」だったり、「横丁」といった撮る前にすでに絵が出来上がっているものをそのままなぞって一丁上がりとしているものもあったりします。それはなんとも退屈な写真作業ではないかと思えます。
 切実さとは、そう簡単にお造りとして出来上がるものではないでしょう。感動の押し売りほど疲れるものはありません。流れるように、サラッと、残り香のように、粋に組んでいただきたい。
 他誌にも一度書きましたが、ちあきなおみの「喝采」という歌はまさに組写真そのものです。これを歌って、頭の中に浮かんだ光景や風景を突きつめてみてください。新たな組写真の楽しみがそこから広がるはず。ご健闘をお祈りします!

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古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。