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ニコンZ9を使ってわかったこと 2

 SNSを見ていると、Z9で撮影しているという友人のプロカメラマンたちがその撮影中の模様などをよくアップしている。もちろん装着しているズームレンズもしっかりしたニッコールレンズで、Z9と合わせると相当高価な機材ということになる。値段のことはともかく、そうした組み合わせはプロとしての「名刺」のようなものでもあり、これなら相応の写真を撮ってくれるだろうという保証といえよう。みなさんとても忙しそうだ。
 
  では同じニコンのZfc( DXフォーマット)はどうかというと、人気もあり、工夫もあり、楽しいし、よく写る。しかし、前述のプロカメラマンが気まぐれにZ9からこのZfcに持ち替えた途端、「軽い」ということよりも、玩具カメラほどではないにしろちょっと頼りなく見えてしまう。シャッターダイヤルも露出補正ダイヤルもよくできているし、これをカチャカチャ動かして露出を決めていくのはもちろんプロカメラマンはよく理解しているのだが、やはりZ9にカメラを持ち替えて、Fnボタンに登録した自分の現場での設定を中心としてシャッターを押すことに没頭するかもしれない。仕事は仕事、趣味は趣味という、いろいろな意味での割り切りもあり、そのようにカメラとしての性格が異なっているからだ。

 

 ちなみに私は D50とZfcの2台を日常的に使っている。ちょとした仕事もこれらで撮ったりする。特別「趣味のカメラ」という括りはしていない。しかし、 Z9はやはり仕事のカメラであるという区別ぐらいはある。仕事であるからもちろん作品撮影ということもその範疇に入るとしたら、そちらでも十二分にこのZ9は使えると思っている。私の場合、それは具体的にどんなところか。

 

 コロナ以前から、私は近所の臨海公園で「 NEWCOAST」という作品を撮ってきている。そのルーツは1980年代後半のマキナ670によるスナップショットだが、近年はもちろんデジタルカメラによる撮影だ。いつもは作品についての話がここから進んでいくのだが、今回は、機材の話とすると、臨海部の人工渚での撮影はやはりレンズ交換時に気を使う。Z9は「センサーシールド」が採用され、レンズ交換時にダストが付着しにくいという安心感が生まれた。センサー前の光学フィルターにも「ダフルコート」が施されていることもあり、それほど細かくレンズ交換をしない私でもありがたい構造となっている。

Z9 24-120mmf4
絞り優先AE f16 ISO400

 そうした「プロ仕様」の部分はたくさんある。例えば感心したのが「被写体検出」だ。人物、犬、猫、鳥、車、バイク、自転車、列車、飛行機 、9種類の被写体をアルゴリズムが検出してしまう。試しに望遠気味の風景の中に乱立する「人物」はどうかと思いファインダーをのぞいたら、小さなフォーカスエリアがあちこちの「人物」を検出している。これは凄いことなのだが、スナップを撮る立場としていえばうるさかった。「顔ぐらいたまに見失ってもいいじゃん」と思えた。人物以外の被写体を試せたわけではないが、よく考えると、この9種類の被写体というのは、やはり専門分野としてのプロカメラマンにとって嬉しい機能といえよう。そしてその通り、 Z9のカタログにはその分野の作例写真が圧倒的に並んでいる。この展開こそが今の時代のカメラと撮影シーンを代表する「象徴」となっていることを改めて確認できた。

 では、私のように都市や町中でのスナップショットを常としているものが、このZ9で撮ることの「恩恵」とは何か。それを撮影現場でリアルタイムのものとして考えてみたいと思った。

 またまたZfcと比較してしまうが、Zfcの軽快さはすでに実証済み(「遊びつくすNikonZfc」・ホビージャパン2月刊)で、ダイヤルをカチャカチャ回しながらの「決定」であっても、いざシャッターを押す段になるとカメラに羽が生えたようにスイスイ撮れる。「キャンデッドフォト」ではないが、あまりにも率直な撮り方となっていく。

 Zfc  28mmf2.8
1/500 f16 ISO400

 Z9ではどうか。カメラの設定はすでに済んでいるものとして、スナップショットの上ではいかにシャッターが押されていくか。

 そのシャッター。これまでのカメラと違い、メカシャッター非搭載。シャッターは無音であり、設定により電子シャッター音がつけられるが、慣れたミラーを跳ね上げるような大きな動作音はない。この「チャッ」という音が初めてでは頼りなく聞こえるが、だんだん慣れてくるとリズムが取れてくる。モデルさんの撮影などではなかなか撮り手とモデルさんとの調子やタイミングが取りづらいように思えるが、スナツプショットではなかなか都合がいい。「サイレントモード」の設定もできる。

 しかしやはりカメラとレンズの存在はとても大きい。すっぽりと片手で保持できるものでもない。であるとするなら、そのままカメラを見せればよいだけで、「私は、今、写真を撮っています」と宣言すればよいという実感が現場で出てくる。ある意味で開き直りともいえるが、堂々とカメラを構えてみることの正当を自分にいい聞かせてみた。そしてその時、私は「趣味のカメラマン」ではなく「プロカメラマン」であるように見えているだろうとも思えた。カメラが「名刺」なのだ。

Z9 24-120mm  f4
絞り優先AE f18 ISO400

 といっても、この群衆の中からある人がこちらに近づき「なんで写真を写すのだ」といわれたら、しっかり説明する責任はあるし(2年前そんな出来事もあった)、誠実に対応する準備はある。それらはカメラの種類がどうのこうのという問題でもない。しかしZ9はいい意味で絶対的な存在感を持ってその撮り手と共にそこにある。「社会」の一員としての存在が明らかになること。この厳しい時代だからこそ自覚していなければならないことでもある。楽しさ、面白さ、毎日の心地よさを実証するZfcを筆頭とする軽いミラーレスカメラで撮っているときも実は同じなのだが。

 だんだんいつもの堅苦しい話になってきたので閑話休題。
Z9を1週間借りて撮っただけなので、かつてカメラ雑誌に書いていたような正しい機材レポートにはなっていないが、次回は私には珍しい「高速連写」の印象などについて触れてみたい。カメラが今ここにないので、こうした記事もとても心もとないというのはつらいが。





古くから様々な読者に支持されてきた「アサヒカメラ」も2020年休刊となり、カメラ(機材)はともかくとして、写真にまつわる話を書ける媒体が少なくなっています。写真は面白いですし、いいものです。撮る側として、あるいは見る側にもまわり、写真を考えていきたいと思っています。