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それを「コーチング」と呼んでいい

今日、娘の習い事の教室から「重要なお知らせ」という始まりのLINEが届きました。
「何かな?」と思って見てみると、担当の先生が一身上の都合により急に退職したとの事。
「そうなんだな」という気持ちに驚きも含まれてはいるんですが、「まぁそういう事もあるよね」くらいに受け止めていました。
娘に聞くと「前回のレッスンで報告は受けてたよ」と。
先生の退職よりも、知ってたのに私に何も言わない娘にびっくりでした。

彼女に「どう思ったの?」と聞くと「そうなんだな、と思った」と。
「寂しい気持ちはないの?」と聞いても「別に」と言っていましたが、彼女の本心はその言葉に全て詰まっている訳ではないと思っています。
わからない事を想像すると決めつけが増えるだけな気がして止めました。

そのLINEを読んでいくと「子どもと保護者に説明したいのでお時間下さい」と書かれていて、読み終わったあとにとてもネガティブな気持ちになりました。モヤモヤして、次のレッスンに行くのが億劫でため息も出ます。
「なんでこんな気持ちになるんだろう」
と考えて
「きっと担当の先生が辞めて悲しいんだ。その現実を更に突きつけられるのが苦しいのかな」
と思いました。
私の目から見て先生はとても素敵な先生でした。

ただ少しだけ「辞めて悲しい」という答えに違和感もありました。
でもネガティブな感情に向き合うのってちょっと気力がいります。
でも一度気付いてしまうと「ちゃんと紐解こう」という気持ちが強くなり、ちょうど一人時間があったのでしっかりとこのネガティブな感情に向き合ってみた所「時間を取られたくない」という自分の気持ちに気付けました。

ここで思ったのは「今自分がやった、ネガティブな感情に向き合って深ぼる事」は「コーチングの1つ」と呼んでいいだろう、という事。
最近「占い」って割とゲーム感覚でカジュアルにみんな体験するのになんで「コーチング」ってそうなってないんだろう、と思っていた所で、今回この
「自分の気持ちを深ぼった」何気ない行動にメジャーな名前がついていないなら、もうコーチングって呼んでいいんじゃないかと思いました。

自分の気持ちを深ぼる事はコーチングの中でもやる事です。
全然関係ないわけじゃありません。
普段何気なくやってる事を「コーチング」とフランクに呼ぶ事で、コーチングが身近になればいいなと思っています。


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