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自分の目で見るということ 

冷たい冷気が窓を開ける前から伝わって、霜のつくひんやりした空気は雪の匂いがする。
ガラガラと開けると、とたんに待ってましたと広がる冷たさに鼻の中がツンと痛くなる。
不自由な足をかばって、身体をなるべく前に出してようやく見える富士山。

裾野の青さと、視界に迫ってくる白の雪の静かな気配。
見てる大きさと、写真に撮った大きさが全然違う。
せまってくるその姿は、凛々しくて清々しくて、やっぱり自分の目で見るから伝わるものがあるんだなぁ、と見惚れる。

ふと、凛とした冬の匂いで、高校の小論文のことを思い出した。
冬の空気の中で、冷たい制服に手を通す凛とした気持ちを書いた。
クローゼットの茶色の扉が、ぎっと開く音。
小さな鏡に映る真っ黒な髪の私。毎日同じ時刻に職員室に現れて出席簿を持って出ていく3年間だった。
そんな冬の朝の儀式のように制服を着ることは、私をシャンとさせた。そんな感覚が好きだった。

「文章がうますぎて、読まされてしまうが、内容をきちんと書きなさい」と言われた。
がっかりした。
私は空気を書きたかったのだ。わかってもらえないことにがっかりしつつ、嫌いな先生に合わせて小論文を書き、好きでもない古文を好きだという大学合格用の嘘の面接の練習をさせられた。他者からの評価のために、自分の意思を曲げることを強いられた。

その後、嘘で固めて入った大学の先生は、真反対でビックリした。
「いうにいわれぬあるものを表現しようとして、相手の批判精神さえも陶酔させる時、文章が芸術になる」
モヤモヤとしていたことが、するするとき解されていった。
わかってくれる人に出会えた喜びで胸がふるえた。
そして、その先生から「君の書くものはいいね。散文詩のようだね」とカテゴリーをもらった。
空気を書くことに名前がついたことで、ようやく深く息が吸える感覚になったこと。その時の先生の机の茶色の濃い色と、自分が着ていた洋服の色まで覚えている。

私の作品が日の目を浴びたのは、大学でたった一人選ばれる文藝科賞をいただいた時だった。あの時の「記憶」という作品が私の鎖を解き放ったんだ。
自分の深い闇から生まれたものが世界に認められる時、あれだけ嫌だった日々がギフトに変わっていく。

富士山を見ながら思った。

自分の目で見ないとわからない
見てもいないことは人には伝わらない
ましてや、自分の言葉にならないものだ。
借り物の言葉はかっこよくても
人には響かない
私の中を伝わって出た言葉だけが
世界に響く

山梨から帰って、博士ちゃんという番組の特番を見る。
北斎が好きで、4歳の時に出会ってそれからのめりこんでいる中学2年生。
全然友だちと話が合わなくて、60歳ぐらいの人たちと北斎の構図のデザインの話をするぐらいだと言っていた。
その彼が、夢は大英博物館でシーボルトが密輸した北斎の絵を見たいと海を渡っていく。

街で絵を描いていると声をかけられて、北斎を知ってるか?と聞くとオランダでもイギリスでも知ってる、と言われてうれしそうだった。
のびのびと話が通じることに喜ぶ姿に心が動く。

日本の研究をしている学芸員と北斎の作品について話す姿は、国を超えて、ようやくわかってくれる人に出会えたようで、話が弾むことがどれほどうれしいのか、と思う。
特別にと、倉庫で見せてもらう作品に大喜びする博士ちゃん。
紙の質や表現、考察に、大人たちもビックリしてたが、大切に保管されてきた色あせていない保存に対して、博士ちゃんもシーボルトに感謝の気持ちが湧き上がってくる。
そのまま日本にあったら紙屑同然の扱いで残ってなかったかもしれない。
日本の素晴らしさを密輸しても、伝えたいと大量に運んできたシーボルトへのリスペクト。視点が変わると価値が逆転する。さっきまで国賊と思ってたシーボルトが急に感謝の対象になるということ。

それにしても、ずーっと行きたかったという大英博物館を目の前にした時にうれしくて、ぴょんぴょん飛び跳ねる博士ちゃんのよろこびはすごかった。見てる人をしあわせにしたんじゃないか、と思う。

心からうれしい、というのは周りの人をこんなにもうれしくさせるものなんだなぁと
その純粋な気持ちのエネルギーに圧倒される。
好き、という気持ち
見たい、という気持ち
ただそれだけの気持ちが与える強さ。

好きだから、没頭できる
好きだから、どんどんと深めていくこと

私も、あの大学の短い時間芸術にどっぷりと浸かった。文学はもちろん、古い映画や音楽、絵画やさまざまな展覧会。おりしもバブルだったから、海外からすごい作品がやってきた。世紀末展とかやってて、アール・ヌーヴォーやアール・デコがたくさんやってきた。
クリムトの「接吻」を池袋で見て、身動きが出来なくなった。ミュシャやデルボーや、ビアズレーや、日常の中がそういう世界観で満たされていた。

あの時、どうしてもフランスに行きたかった。ヨーロッパに行きたかった。
自分の目で見たかった。

卒業した年に、短期留学でグルノーブルに行って、その前後や滞在中にたくさんの国を周り、美術館とカフェで過ごしたこと。
この目で見て、耳で、全身で感じたことは自分の人生を変えていったのだった。

上っ面じゃなくて、知ったかぶりじゃなくて、自分をその場に放り込まないと見えないものがある。

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