見出し画像

平和が崩れる時代を生きるということ

普段こういう話は全く書かないし、四六時中ほっこりした話題で笑っていたいのだが、とても大事なことだと思うので書いておこうと思う。

今朝6時すぎ、朝ごはんを食べていたら突然テレビ画面が真っ黒になった。

ミサイル発射。ミサイル発射。

穏やかな日常に、恐怖という非日常が入り込んできた瞬間。胃がヒュッとなり、背筋が凍る思いがした。結局今回は大事に至らなかったけど、その不気味さと恐怖感は続いている。

安全が脅かされる瞬間

私個人としては、この恐怖感を味わうのは2回目だ。

1回目は、去年インドネシアのジャカルタを観光していた時。何気なく立ち寄って、ゆっくりコーヒーを飲んでいたスタバが、3日後ISISのテロの標的になった。呆然としながら、レストランのテレビに映る恐ろしい光景を見ていた記憶がある。

私が座っていたのは入り口に最も近い席。
もし実行が3日早かったら。

私は単に、運が良かっただけ。

その日から、今この瞬間生きていることが当たり前ではなくなり、テロが他人事ではなくなった。

他人事と自分事の境目

日本で暮らしていると、海外で起こっているテロ事件や、Twitterで荒れ狂うアメリカ大統領の発言、隣国の強気すぎる挑発を、どこか他人事のように感じてしまうと思うし、そう思っても仕方がないと思う。

「海外は治安が悪いから。日本は大丈夫」「自分は大丈夫だろう」と、思い込んでしまっている人も多いのではないだろうか。

一応言っておくと、イスラム系の地域とは言っても、ジャカルタやクアラルンプールは、普段はとても平和だ。当時現場のひとつになったジャカルタのスタバだって、日本人がよく立ち寄るエリアだし、日本のスタバと大差ないごく普通のスタバだ。

最近まで東南アジアで働いていた身としては、確かにスリなどの犯罪は珍しくないし、日本より全体的な治安が悪いことは間違いないと思う。

その分日本人よりも有事に対する危機意識は高い。道を歩いている時も、家にいる時でさえも、彼らは100%の安全は存在しないと知っている。

一方で日本は、他の国よりも総じて安全かもしれないけど、大きな地震にいつ巻き込まれるか分からない。テロだって銃ではないかもしれないけど車や刃物を使った犯罪なら十分起こり得る。

危険な人が一人いるだけで、自分の命くらい簡単に脅かされてしまう。ただ、実際何かを脅かされる体験をしない限り、こういった危機感はどうしても湧きにくいのだろう。

今朝の北朝鮮のミサイル騒動は、「どうせ自分は大丈夫だろう」と感じていた人にも一抹の不安を感じさせるものだったのではないだろうか。

杞憂でも良いからとりあえず知っておく

「いやいや、大げさでしょ」と思う人もいるかもしれない。私自身、元々は避難訓練をサボったりするタイプだし、政治にも全く関心がない。

でも今日改めて思ったのは、杞憂でも良いから知っておくに越したことはないということ。そして、本当の有事が起こった時、私たちは政府からの情報に頼らざるを得ないこと。

この辺りは基本中の基本として、頭の片隅に入れておいたほうが良いと思う。

◇無差別銃発砲事件に巻き込まれた場合の対処法(海外旅行とかで銃社会に行くなら、良いところばっかり見てないで、嫌でも一応知っておいた方が良いと思う。)

◇PDF資料:武力攻撃やテロなどから身を守るために(内閣官房国民保護ポータル)


ザ・普通な人こそ真剣に警戒すること

平和な世の中は、信頼と一緒。
築き上げるのは時間がかかるのに、壊すのは一瞬。
私たちは今、平和が崩れる姿を目の当たりにしているのかもしれない。

いつどこで何が起こるか分からない世の中だからこそ、私たちみたいな「ザ・普通な人」が危機意識と情報感度を高めておくことが大切だと思う。

「どうせ来ない」「来たら諦めるしかない」じゃなくて、最低限何をすれば良いのかを知っておくこと。毎日楽しんで生きる中でも、頭の片隅に置いておくこと。

とりあえずめっちゃ警戒しておいて、結局何も起こらなかったら、その時は穏やかな日常を送れていることを喜べば良いんじゃないかな。

この心配が杞憂で終わりますように。

さ、今日も1日頑張ろう。


※トップ画は、沖縄のひめゆりの塔で撮った千羽鶴の写真。平和の大切さを知っている人の言葉は、いつも重みがある。

「応援してやっても良いな」「もっとコンテンツを読みたいな」という心優しい方は、投げ銭制でサポートいただけるとすごく嬉しいです。