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宮城県女川町を体感!

会社の研修です!!貴重な平日2日間を行かせてもらいました。
僕が行った理由は、震災から7年、想いが続いている理由はどこにあるのか?あとは単純に興味があったから。2年前まで名取市にいて女川の特集とかを目にしていました。その街づくりや意思決定を体感したかった。

女川町ってどんな町?

ちょっと前提お話しします。

女川町は宮城県の仙台から北に車で1時間30分ぐらい行った所にある町で、面積の8分の1が平地であとは山です。漁業が盛んで水産業が経済の中心。

2011年3月11日の東日本大震災では約20mの津波が町を襲い、
被災率はワーストの犠牲者827名、2/3の建物(4,316棟)が全壊。

その後の人口減少率もワーストで、
震災前10,014名→震災後約9,000名→現状6,508名 35%減少している
よって町は瓦礫の山となり、復興はほぼ都市建設をしてきたと言っても過言ではない。

ただ町を元通りにするだけだと、町に元々あった課題は解決できない。
合わせて復興するには相応の時間がかかる。だからこそ、復興に当たり決まったことは60歳以上は復興に口出さず、若い人たちがメインで推進する。

女川町は、沢山の『奇跡を起こしている町』。
H30年には国土交通省の都市景観大賞を受賞する。
それは目の前の危機とこれから先の危機を受け容れたからこそ、官と民の協力し、一人一人が女川町で生きていく覚悟をし、今ここで何をするのか全力で考えているからだと思う。

復興とは?

まちづくりしている人たちの共通認識は、その道のりを通じて新たな価値や地方の可能性を生み出す事。その上で女川町大切にしてきた価値観の一部。

・少子高齢化による人口減少を受け容れる
→日本全体で減っていくのであれば女川町も人口が減っていく前提でまちづくりをする

・復興に当たり町民とワークショップを実施『どんな町にしたいか?』という問いの答え(10代~70代ぐらいの人たちが参加)
→『口説ける水辺のあるまち女川町』

・面白いまちは面白いやつにしか作れない
→町に来た一人一人が楽しみを作り出せる場所を作る

・街づくりのテーマ
女川のメインストリートである駅前をシャッター街にしない
→歩行者に優しく、人の賑わいの設計、身の丈に合わせ派手にやり過ぎない

体感したこと

うちの会社と同じように言葉で表現しない方がいい気がする笑

伝えるとしたら、『面白さ、ワクワク感』
計画段階から自分たちの町をどうしていくのか考えを擦り合わせたからベクトルがあっている感じと、その方向性であれば何でも実現できるという自信が漲っている。
その源泉は『復興ビジョンの共有』と『誰しも一町民として発言できる場がある』の2点。
何よりクリエイティブに意見が交わされるのが『飲み会』。
この場は町長や企業の社長などという肩書は一切関係ない。町のために一町民として発言をし、想いを確かめる。そうして面白い発想が生まれ、そこに惹きつけられるように面白い人が集まり、計画的偶発性という偶然の元、東京では出会わないような人たちが女川で出会うことができる。

街みたいな会社を作りたい

今回女川に行ってみて『街みたいな会社作り』ができたらいいなって本気で思った。

それは会社との関わり方を決めることなく、自由に関わってもらう中で強味を活かし、パフォーマンス高くやりたい事をやってもらう。

街に来てやりたくないことをする人って居ないからこそ人が集まるし、各々の目的が達成されるからこそ、また来ようと思ってくれる。
そんな関わり方ができる会社になれたら素晴らしいし、増えたら幸せに働ける人って増えるんじゃないかな。

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