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空へ

「お母さん。じゃ、病院行ってくるね」

「由貴ちゃん、良くない結果が出ても一人で考え込まないですぐに電話するのよ」

 返事をせずに私はドアを閉めた。検査の結果が悪かったら冷静ではいられないと思うし、母にすぐ電話をかけられるかどうかも分からない。胃カメラで見て、血液や尿を検査し、二週間経っても答えが出ないので腸壁を削り取って再検査して三週間、やっと結果が出たので病院へ来るようにと昨日、連絡があった。
 私の体はどうなってしまっているのだろう。
お腹の中では何が起こっているのだろうか。これといった痛みも無く、見た目の変化も無いのに体の中心部で大変なことが起きているのは日々の生活で実感する。そしてそれは私だけではなくて、私の廻りの人たちも気づき初めている。なによりそれがとっても辛い。
 命に関わることではないと思いたいのだけど分からない。
 電車を乗り継いだ記憶も、駅から歩いて来た記憶も無いのに気がついたら病院の前にいた。時計を見たら家を出て一時間三十分が経っているので道を迷わずにちゃんと来たようだ。受付をすませ順番を待つ間、悪いことばかり想像して涙が止まらない。
 診察室に入るとドクターが私の顔を見て笑った。

「少し時間がかかってしまったのはですね、かなり変わった症例だったからで、世界でも三例目だということが分かりました。でも、命には全く関わることじゃないので安心して下さい」

 一瞬ドキッとしたが、全身の力が抜け母の笑う顔が浮かんだ。

「ただね、この症状を抑える方法は今のところありません」

 ホッとしたのもつかの間、息が詰まり絶望感で涙があふれてきた。

「木下さん、泣くことはありませんよ。あなたの場合、おならではなくて炭酸ガスなのですから。世界で三例目と言いましたがメカニズムは不明ですが腸の内壁から炭酸ガスが発生しているのです。それが溜まって出ているだけです。一般の方よりは多いでしょうが、それでも普通の生活をしていればたいした変わりはありませんから」

 にこにこ話すドクターの顔を見て、この人は私の職業を知らないから笑えているんだと気づいた。

「先生、普通の生活とおっしゃいましたが私の職業をご存知ですか?」

「カルテによると、ダンサーですよね?」

「そうです。でも、私はフラダンスの講師、プロなのです」

 ドクターの顔がゆがんだ。

「フラダンスって、あの、腰を激しく振る、あれですか?」

「そうです。それです」

ドクターの顔が一気に青ざめた。

「ダメです、ダメです。それは絶対にダメです。いいですか木下さん、想像してみて下さい。コーラのような炭酸飲料が入った瓶を激しく振っていることを想像して下さい。あれと同じことがあなたのお腹の中で起こるんです。ダメです。絶対にダメです」

 ドクターはやっと私の苦悩を共有できたようだ。

「放屁を出し続けながら踊ることは女性としてとても辛いことで耐えられません。ですから、ステージが終わるまでは歯を食いしばってでも出さないつもりですが、どれくらい耐えられるものなのでしょうか?」

 一滴の冷や汗を垂らしてドクターは答えた。

「それはあなたの肛門の括約筋の力によります。仮に三十分持ちこたえることができたと仮定した場合、激しく腰を振ったあなたの腸にはとてつもない炭酸ガスが充満します。その力はあなたを……」

「私を?……」

少しの沈黙の後。

「発射させます」

「え?」

「風船ロケットや水鉄砲はご存知ですよね。あれは空気や水を圧縮させて発射させるのですが、あなたのお腹に充満した炭酸ガスは、あなたを発射させるでしょう」

「私は空を舞うのですね」

 悲しさを通り越し、私は美しさをイメージしてしまった。

「舞いません。飛ばされるのです。肛門から激しい音を立てて」

 ドクターは私の希望のイメージを叩きつぶした。それでも今度のステージは私にとっても、この国のフラダンスの未来にとっても大事なステージだ。その後ならフラダンスをやめてもいいが今度だけは絶対に成功させたいのだ。

「先生。次を私のラストステージにします。ですので、どんなに苦しくてもステージが終わるまでガスを漏らしません。その後にどんなことが起ころうとも」

「そうですか。どのようなことになるのか不安ですが、そこまでおっしゃるなら悔いの無いように演じて下さい」

 ドクターに礼を言って私は病院を出た。
発射されるって、どれほどの高さだろうか。ほんのジャンプ程度ではないような説明だったからもしかしてホールの天井に衝突ということもあり得るのだろうか。とにかくフラが終わっても気を抜かず、すぐに外へ出るようにしよう。そうすれば音を聞かれることもなく会場を立ち去れる。いや、会場を飛び立つことになるかも知れない。立つ鳥後を濁さず。誰にも見られることなく消えてしまいたい。
 
 そして当日、フラダンススクールの子供たちや主婦グループの演舞のあと、最後に私のソロステージの時が来た。
 その日の朝は母と一緒に軽い朝食を済ませた後、試しにダイニングで三分ほど激しく腰を振ってみたのだが私の体内の炭酸ガスの威力は凄かった。
 ふっと力を抜いたその瞬間、開け放していた濡れ縁を抜けて庭にまで一気に押し出されてしまった。大きな排気量のオートバイのような音を立てて。
 母は、何が起こったのかという顔をしていたが、

「お母さん、これが今の私の体なの。でも、今日で終わりよ」

そう言って私は家を出た。
 名前を呼ばれ会場いっぱい大きな拍手が起こる中、今朝のことを思い出したが大きく息を吐いて“今日が私のラストステージ。全てを踊りに込めよう”と決意してスージに上がった。

・・・・・・・・
私のフラは鬼気迫るものがあったのだろう。途中で拍手も歓声も消え会場は静まりかえっていた。予定の三十分を十分オーバーして私はステージを降りたがお腹のうごめきはとてつもないものだった。針をお腹にチクッと刺すだけで破裂するのではないかと思うほどで、鼻からは絶えずフガフガ、耳からはシューシューというガスが漏れる音が頭に響いていた。
 急いで会場の外へ出ようとする私を子供たちが「木下せんせーい」と追いかけてきたが「お願い、みんな来ないで」と心の中で叫びながら走った。
 会場の外に出た私は子供たちを振り払うように建物の裏に回り込み一本の外灯に背中をもたれさせ一気に緊張を解き放した。
 その瞬間、ドクターの言ったように私は発射した。追いかけて来た子供たちは飛び立つ私を眩しそうに見上げながら、

「木下せんせーい、さようならー」

と、涙を流しながら手を振っていた。

「みんなー、木下せんせいはお星様になったって言ってねー。さようならー。これからもフラを頑張ってねー」

・ ・・・・・・・・

 あの日、上空から見た子供たちの無垢な泣き顔は今でも私の胸の中に鮮やかにある。
 そう、あれは今から丁度六十年前のことだった。日本という国が若くて何もかもが瑞々しく、フラダンスをただの腰振り踊りという認識しかなかったが誰もが純真だった。
 日本初のフラダンサーとして自伝を書いて下さいと出版社から依頼され久しぶりに思い出すあの頃。
 あの日、私が空高く飛ぶ姿を偶然に見かけた少年がその十年後に「ウルトラマン」の脚本を書いた金城哲夫少年だった。
 第一作が放送される前日に彼は私の自宅に来て、

「先生、間に合いました。やっと、お会いすることが出来ました。僕はあの日、先生が空へ飛ぶ姿を見てからずっとあの光景が頭から離れませんでした。ロケットなどの機械や道具を一切使わず、宇宙へ飛ぶ。身一つで空へ飛ぶ。なんて素晴らしいのでしょうか。先生が僕に教えてくれた夢が明日の夕方六時、ブラウン管の中で実現します。是非ごらん下さい。僕たちに宇宙への夢を見させて下さってありがとうございました」

 彼はそう言って当時はまだ高価なシャンパンを置いて帰っていった。
 そして翌日、ウルトラマンの第一回を見た私はドラマの最後に怪獣を倒したウルトラマンが宇宙へ帰っていくシーンを見てお腹を抱えて爆笑した。

 空を見上げたウルトラマンは「シュワッ」っと言って宇宙へ帰って行ったがあれは、私が空へ飛ばされたとき私の肛門から出た炭酸ガスの音だったのだ。 完


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