見出し画像

あの海を選ぶ


雑誌記者として駆け出しの頃、
旅行雑誌の取材で
初めて沖縄に行った。

私の担当エリアは、
沖縄北部のやんばると呼ばれる地域と与論島。

ポジフィルム約80本と一眼レフカメラを持って
飛行機に乗った。
空港でレンタカーを借り、
10日間の取材旅行が始まる。


ナビもない時代。
地図を片手にミッション付きの車で
道なき道を移動していく。

パイナップル畑の主人や陶芸家、
日ハムの選手が良く来るステーキハウスのオーナー
(ここで鍵を中に入れたまま車をロックしてしまった)
つる植物でかごを編むおばあさんにも会った。
米軍基地では銃を持った兵士に
カメラを向けるなといわれたっけ。
空が撮りたかっただけなのに。

自分で立てた取材スケジュールに振り回され、
1日があっという間に過ぎていく。
麻のジャケットが汗でびっしょり濡れると
海に入って洗濯した。
もう、かまってなんかいられない。

5日目のオクマリゾートで
案の定、熱が出た。
フロントから運ばれてきた氷で
頭と目の周囲を冷やしながら
明日のルートを反芻する

それから数日、がむしゃらにスケジュールをこなし
最終地の与論島にたどり着く。


画像5

画像4

飛行機から下を眺めたとき、
なぜだかわからないけど
涙がこぼれた。

次々に涙腺から溢れ出てくる涙が
飛行機の窓枠にぽたぽた落ちた。

水道水のような透明の海。
どこまでも続く星の砂浜、
青紫色のサンゴ、エメラルドの海底。
それらが高度を落としていく飛行機の翼の下で
ゆらゆら揺れていた。

めざすは与論随一のプリシアリゾート
この取材が終われば、東京に帰れる。
そう思いながら、
自分の焼けた肩を眺めた。


支配人は、元新聞記者だった。
何を求めているかがわかるから
案内も説明も冗談も手際がいい。
そのまま書ける内容で話してくれたのが
これほどありがたかったことはない。

出される料理も豪勢そのもの。
オードブルからデザートまでのフルコースが
バイキング形式でずらりと並ぶ
海の見える白亜のリゾートは連日大盛況だった。


でも私にはもう、限界だった。
元来、貧乏性なのか、ごちそうが続くと
体調が悪くなる。

支配人に無理を言って
村の安い民宿を紹介していただいた。

普通の家に暮らし、普通のご飯が食べたい。


案内されたところは、小さな入り江に面した古い民宿。
言われるままに窮屈な部屋に入り、荷物を置く。
冷たくて硬い木の床に寝転び、
手足を猫みたいに伸ばす。

体が嘘のように安らいでいくのがわかる。
初めての深呼吸。
田舎に帰って来たような、この安堵感。
自分がこんなに普通を居心地よく思っていることを
このとき初めて知った。


知らないうちに眠ってしまい、
目が覚めると、キッチンで
宿の娘さんが友人と晩御飯を作っていた。

その日の夕飯は、ピーマンの肉詰めとお味噌汁、
ポテトサラダとか、そんな感じだったと思う。
それが、本当に、ものすごく美味しかった。
もうこの娘さんと結婚したいぐらい、美味しかった。

それから同年代の女性三人でいろんな話をした。
娘さんはさっきと打って変わって
少し暗い目で
ずっと島にいるから、一刻も早くここから出たい、といった。
東京に行きたい、都会に行きたいと。
何をするわけでもないけど、
もう煮詰まっていたのかな。

私は都会育ちで、ずっと田舎がなかった。

だから、
どうしてそんなことをいうのか不思議なくらい
ここに住んでることが心底羨ましかったのだけど。


翌朝、娘さんとお父さんに連れられて
グラスボートで沖まで行った。

干潮の時だけ現れる、幻の島があるというのだ。
海の真ん中に、ぽっかり浮かぶ、白砂の百合ケ浜。
砂は一粒一粒が星の形をしていた。

星の砂

不思議だな、どうしてこんな形になるんだろう。

そんなことを考えて砂を見つめていると、
娘さんは、ボートの上から言った。

足元のサンゴを踏まないように気を付けて、と。

立ち泳ぎをしている私の足の下には、
なんと無数のサンゴが森の木のように生えていた。
あちこちに手足を伸ばし、色とりどりの魚たちを
腕の中で遊ばせていた。


紫サンゴ



寄せる波が目に入り、
また泣きそうになる。
こんな美しい海が、まだあったなんて。

都会周辺には、
ゴミが浮いたグレーの海しかない。
グレーの空、グレーの町。
そんな色のない世界が都会では普通だったから。

子どもの頃から
こんな透き通った海で泳ぐ人たちは
きっと瞳の色も深くなるにちがいない。

海からボートの上の娘さんを仰ぎ見る。

同年代だから
華やかな都会に憧れる気持ちがわからないわけではない。
叶えたい夢もあるだろうし
行ってみたい流行りの場所もあるだろう。
ショッピングや映画、華やかな街並み、おしゃれなカフェ。

それでも、と私は思う。

それでも、私は都会より
あの海を選ぶ。

あの、意味もなく私を泣かせた、

あの海を選ぶ。



海



ありがとうございます。サポートいただいた資金は、地球環境保護・保全のために大切に使わせていただきます。ご協力感謝致します。