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#7「任されている」と「担当している」

先日、社内の会議内で気になった言葉があったので少し考えてみました。

「任されている」と「担当している」

この二つの言葉はどんな意味を表すのでしょうか。

仕事を任されている:業務を依頼された時点で、裁量権や決定権が譲渡された状態。進捗の報告は行うものの、進め方や結果は任された人が裁量を持って行うことが許されている。

仕事を担当している:業務を実際に行うが、裁量権や決定権は上司に帰属している状態。結果や進捗は逐一報告する必要があるでしょう。

なんとなく同じような意味と思っていましたが、このように文章にしてみると、全然違いました。

「任される」と「担当する」の大きな違いは裁量権。

裁量権とは、自分の意思で物事を判断して行動することができる権利。上司や周囲の指示や命令に従うのではなく、自分の中で考えて判断する状態。

「裁量権がある」ということ、イコール「決定権がある」ということ。

私は事務職という職種柄、仕事中に大事な決定権を必要とすることがないので、裁量権がほしいというのであれば職種を変えなければいけません。

ただ、あまり重要性を感じない。

安易に裁量権を求めてしまうとプレッシャーを感じたり、自分を追い込んでしまうというのとも度々耳にします。

一方、私は会社の方針やチームの売り上げに関する裁量権はありませんが、事務職の領域での裁量はあると思っています。

タスクの期日は営業担当の行動に左右されることはあるものの、受けた仕事をどうやるのか、なにを優先させるのか考えるのは私自身です。

業務を受ける・受けない、仕事をする・しないを選択するのは自分自身で行っています。

それって自分の仕事に対して裁量がある、ということだと最近気づきました。

その状態が非常に心地がいい。

これからも裁量権はなくとも、裁量ある働き方ができるように仕事をしていけるように、引き続き転職活動頑張っていきたいと思っています。


事の発端は、社長からのお言葉で、「君はこの案件を任されているのではなく、担当しているだけだから」という言葉でした。

前後の文脈は割愛しますが、担当者だから勝手に案件を進めるな、報連相が足りていないということでした。

私は、このような指摘を受けることに、違和感を覚えました。

まずは、事務職の私から見て、現職の総合職の人たちの働き方は、多数の案件を「任されている」と感じられました。

しかし、そうではなく、多数の案件を「担当している」だけだった。

コミュニケーションって改めて難しいものだと感じます。

職場が一緒の人と言葉を交わすとき、相手のバックグラウンドやこれまでの経験を知る機会は少なく、前提条件や当たり前の基準が違うことに気が付くのにも時間がかかります。

慣れあう環境がいいとは言えないけど、若手と会話をする機会が仕事の場だけというのも、良いことばかりではないと思いました。

もう一つは、報連相をする際の環境が悪いこと問題であるということ。

現職の総合職の人は週のほどんどが出張で地方にいるため、顔を合わせて話をする時間が週に1日あるかないか、ということが多いです。

そして、私の職場は、コミュニケーションツールも基本的に電話orメールのため、いつでも気軽に連絡が取れるというわけではありません。

間違った報告や、内容のない報告をするとこっぴどく叱られます。

だから、報告する側も小さいことだったら担当者ベースで引き受けて何とか怒られる回数を減らそうとする。

結果的に的確な報連相が行われず、君はこの案件を任されているのではなく、担当しているだけだからと指摘を受けてしまった。というのが現状だと思います。

私にも数名の後輩がいるので、伝え方や言葉の選び方は日々学習していこうと思っています。


新卒の就職活動をしているときや、1度目の転職活動中に「責任のある仕事をして会社で活躍したい」「裁量権がある会社に入りたい」とか考えることもありました。

そんなの社会人としての経験が浅い人が使う言葉であって、すでに5年間の社会人経験を終えようとしている人が選ぶ言葉ではない。

「任せてください」も簡単に使わないようにする。

これからも言葉を少しずつ覚えていきたいと思います。



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