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アイちゃん(仮名)と私③ ◆アメブロからのお引越し記事◆

2019年1月11日~2023年11月末までのアメブロを閉鎖するにあたって、noteにいくつかの記事をお引越しすることにしました。
今回は2019年9月9日に書いた過去記事です。

この記事↓の続きです

1月末の病院へのお見舞いは空振りで、
私はアイちゃん(仮名)が留守電に折り返してくれるのを、待つともなく待っていた。

そして2月に入ったある日、
彼女のmessengerから着信があった。

アイちゃんだ!

急いで通話ボタンを押すと、
知らない女性の声がした。

その人はアイちゃんのお母さまで、
彼女が1月に亡くなっていたことを教えてくれた。

私が堡塁岩からメッセージを送った、
3日前のことだったそうだ。

はじめ呆然としてしまったけど、
焼香をあげさせてもらう約束だけ取り付け、
住所を聞いて、私はなんとか電話を切った。

しばらく立ち上がれなかった。

***

初めてお会いしたアイちゃんのお母さまは、
とてもピュアで可愛らしい方で、
そんなところがアイちゃんによく似ていた。

主語がないような、
聞いている方がちょっと困る、
でも一生懸命な話し方もそっくりで、
懐かしかった。

たくさんの花やお菓子に囲まれたアイちゃんの遺影の前で、いろいろなことを聞いた。

知らない間にアイちゃんは荷物をどんどん
片付けていて、ほとんどものが残っていなかったこと。

残ったのは友達との写真が多くて、
アイちゃんがいろんな人に支えられ
好かれていたとお母さんにも伝わったこと。

亡くなる直前まで意識はしっかりしていて、
元気な様子だったこと。

2時間ほどおうちでお話しして、
お母さまが近くにあるアイちゃんのお墓に
案内してくださることになった。

おうちを辞する直前、私は玄関前の廊下で、
遺影のあるお部屋を振り返った。
お母さまは線香を取りに、席を外されていた。

今日、初めてアイちゃんと2人になった気がした。

友だちにお別れを言うなら、今しかない、
と思った。

「アイちゃん! バイバーイ!」

いつも遊んだあと駅で別れる時みたいにしたくて、私は笑顔で大きく手を振った。

その時、

空気が揺れたのをたしかに感じたんだ。

人がキャッキャッて笑った時みたいな、
空気の波。

そう思いたい私がいただけなのかも知れない。

後からそう打ち消そうとしたけど、
やっぱりそんなことはないと思う。

あの時たしかに、
彼女がそこに居てくれたと思う。

***

彼女のお墓まで、
お母さまとゆっくり歩いて行った。

農家が多い彼女のおうちの周りは、
田んぼがどこまでも続いていた。

遮るものがない、大きく広がった空から、
夕方の光がやわらかく届いていた。

その光景は、私が育った新潟の町にも
よく似ていた。

アイちゃんは、
ここで育ったんだなと思った。


これは帰省した時の新潟の写真。
(あの日は写真を撮らなかった)

続きます。次で、最後かな。

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