アイちゃん(仮名)と私③ ◆アメブロからのお引越し記事◆
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1月末の病院へのお見舞いは空振りで、
私はアイちゃん(仮名)が留守電に折り返してくれるのを、待つともなく待っていた。
そして2月に入ったある日、
彼女のmessengerから着信があった。
アイちゃんだ!
急いで通話ボタンを押すと、
知らない女性の声がした。
その人はアイちゃんのお母さまで、
彼女が1月に亡くなっていたことを教えてくれた。
私が堡塁岩からメッセージを送った、
3日前のことだったそうだ。
はじめ呆然としてしまったけど、
焼香をあげさせてもらう約束だけ取り付け、
住所を聞いて、私はなんとか電話を切った。
しばらく立ち上がれなかった。
***
初めてお会いしたアイちゃんのお母さまは、
とてもピュアで可愛らしい方で、
そんなところがアイちゃんによく似ていた。
主語がないような、
聞いている方がちょっと困る、
でも一生懸命な話し方もそっくりで、
懐かしかった。
たくさんの花やお菓子に囲まれたアイちゃんの遺影の前で、いろいろなことを聞いた。
知らない間にアイちゃんは荷物をどんどん
片付けていて、ほとんどものが残っていなかったこと。
残ったのは友達との写真が多くて、
アイちゃんがいろんな人に支えられ
好かれていたとお母さんにも伝わったこと。
亡くなる直前まで意識はしっかりしていて、
元気な様子だったこと。
2時間ほどおうちでお話しして、
お母さまが近くにあるアイちゃんのお墓に
案内してくださることになった。
おうちを辞する直前、私は玄関前の廊下で、
遺影のあるお部屋を振り返った。
お母さまは線香を取りに、席を外されていた。
今日、初めてアイちゃんと2人になった気がした。
友だちにお別れを言うなら、今しかない、
と思った。
「アイちゃん! バイバーイ!」
いつも遊んだあと駅で別れる時みたいにしたくて、私は笑顔で大きく手を振った。
その時、
空気が揺れたのをたしかに感じたんだ。
人がキャッキャッて笑った時みたいな、
空気の波。
そう思いたい私がいただけなのかも知れない。
後からそう打ち消そうとしたけど、
やっぱりそんなことはないと思う。
あの時たしかに、
彼女がそこに居てくれたと思う。
***
彼女のお墓まで、
お母さまとゆっくり歩いて行った。
農家が多い彼女のおうちの周りは、
田んぼがどこまでも続いていた。
遮るものがない、大きく広がった空から、
夕方の光がやわらかく届いていた。
その光景は、私が育った新潟の町にも
よく似ていた。
アイちゃんは、
ここで育ったんだなと思った。
続きます。次で、最後かな。
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