そもそも準備しすぎなのだと思う。

準備しすぎだと思う。

東京で5年もサラリーマンをやれば、地元に戻って仕事をする力はついている。というか、3〜5年でその力がついていないとしたら、それ以降何年やっていても特に力はつかない。ならばさっさと戻って、挫折して東京に戻って来ればいい。東京で3〜5年働いた実績はある。

いつまで準備すれば気が済むんだって感じだ。なんか世の中準備しすぎな気がする。そして何より自分の力を信じてなさすぎな気がする。はたから見れば相当な実力を持っていながら、まだまだという人もいる。逆に客観的に自分の力をみる能力が欠けているのかもしれない。盲目的に謙遜すればいいってもんじゃないと思うんだよな。

準備はもういいよ。十分。自分の人生において、経験を積むといって積める経験なんてあるのだろうか。受験じゃあるまいし。もっと自分の力を信じたっていいんじゃないのか。仕事ができるから自信がつくんじゃなくて、自信があるから仕事がうまくいくのだと思う。事実や実績が先ではない。いつでも気持ちが先だ。

分析をすれば、これは学校教育システムの弊害だ。もっと細かく言えば、準備や経験をするのは間違ってはいないと思うが、そこに時間の概念がないのがやばい。学校だと勝手に時間の概念がついてくる。卒業や受験日など。しかし、社会人になると、お尻の日時を自分で決めないといけないのに、お尻の日時を決めずに、やれ準備だやれ経験だと言っているからたちが悪いのだ。限られた時間の中では最高の準備をしたいけど、時間が決まってない中で最高の準備とかやり始めたら本番にいけない。

小学校は6年、中学は3年、高校は3年、大学は4年、修士は2年と決まっている。この状況を当たり前に過ごすことが自分の人生をスケジューリングできないことになるのではないか。ぶっちゃけ大学などは、自分で卒業のタイミングを選ぶ方が良いんじゃないか。

時間は何よりも貴重だ。地元に戻ったら1ヶ月〜3ヶ月ぐらいでだいたいこんなもんかってわかる。東京にいたらそんな感覚はもちろん養われない。にもかかわらず、準備や経験とか言っていて、何を準備したらいいか、何を経験したらいいかわかっているんだろうか。facebookで誰かの投稿見て、あーこれも大事だ、これもやってみたいとか思っているのは準備でも経験でもなくて暇つぶしだ。

帰納法だ。人生は。

学校の授業は演繹法すぎる。数学で帰納法をやるのはちょっとだけだ。演繹的に答え見つけるのは大事だけど、それは先人たちが帰納的にいろいろチャレンジした結果を効率良く舐めているだけだ。自分の人生を誰かが事前にやってくれているのか。他人の人生と自分の人生は似てもいないし、まったく違う唯一無二だ。

断言してもいい。なんとかなる。そのくらいの力はついている。そしてけっこう早く何とかなる。そして地元に戻ろうか悩んでいた時間をもったいなかったと思う。さっさと自分の人生をスタートさせた方が良い。

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あ、ありがたい、、、(TへT)
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児玉光史|地元カンパニー

地元カンパニーやってます。事業をどんどん成長させたい。東京大学(野球部)→新卒大手SIer→実家のアスパラを都内で手売り→地元カンパニー設立@渋谷→長野県上田市にUターン(会社も移転)
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