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今まで残業が担っていた育成機能がなくなるのではないか?

人材育成の時間的な限界

業務時間中に人材育成をやりきるのは、きっと無理だ。まぁ、そもそも「人材育成をやりきる」ということ自体誰がどんな時間をかけても無理なんだけど。業務時間は8時間(うちは7時間20分)、業務をやりながら育成の時間をとるのはきつい。

今までの日本は、その育成時間を、残業で補填してきた気がする。量が質に転化するのは事実としてあると思っている。会社に残業代を払える余裕があったり、サービス残業として、従業員が時間をつかっていることで成り立っていた。社会的な評価も残業があることがそれほどマイナスとしては捉えられていなかった。

「働き方改革」ということで、残業は少なくなる方向であって、そうなると今まで残業が(副産物的に)担ってきた教育機能をこれからどう補填していくのかということになる。3年でものになったのに、それが4年とか5年とかかかってしまうのかもしれない。そんな余裕はあるのか、、、

自習。

補填できる可能性があるとしたら自習しかない。自分で能動的にスクールにいくとか、さまざまな外部の人に会うとか、自分で自分に課題を課してなんかやるとか。残業がないからといって、漫然と時間を過ごしていたら、漫然と過ごしていない人と過ごしている人に、めちゃくちゃ差が出てくるような気がして恐い。

会社としたら、能力のある人に大いなる権利と責任を、相対的に小さい人には裁量権のない仕事を依頼することになる。(これはしょうがないことだ)さらに給与規定を改訂していくことで支払う額もコントロールできる。(それをするかしないかはともかく、なんらかの形でやろうと思えばできる)

残業がないのは残酷だ。

能力がつくっていうのは、今までやってないことにチャレンジした結果だ。残業が許されたので、新しいことにチャレンジする時間を設けられた。残業がない業務時間のなかで、チャレンジングな仕事にどれだけ時間を割けるのだろうか。確実にできる仕事が大半のはずだ(←そうでないと会社が困る)。それでは自分の新しい�能力は開発できない。

社会は広い。

小さい会社では社員が少ないので自分の仕事が確実にあるかもしれない。が、社会は広い。その小さい会社は、経済が小さくなっていく社会でいつも仕事があるのだろうか。小さい会社自体の仕事がなくなったら、その会社の従業員の仕事はあるはずがない。今の業務が、社会に出た時に通用するのかっていうのは常に意識したい。

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