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なぜ、コンプラバカはガン細胞のように増殖するのか?


いま日本中で増え続けている「コンプラバカ」って知ってるかい? それは・・

「あーっ、いけないんだー! いまこの3メートルの横断歩道をサッと渡ったの見たよ〜赤信号だったのに。わー、ルール違反だー」

みたいな小学生レベルの指摘を(そういう役割を期待されたお巡りさんでもコンプライアンス部門の社員でもないのに)わめき散らす、いい歳した大人のバカのことだ。

それは、大切な何かを守るためじゃなく「これは規則に反する」「あれは違反だ」「それはいかがなものか」などと、専ら他人を責める手段としてコンプライアンス(法令遵守の考え方)を使う・・ルールから逸脱したっぽい人を責めては俺は偉いんだぞ私は正しいのよーみたいな顔をしているバカのことだ。

あらゆるルールやガイドラインは目的ではなくて手段。みんなの安心や幸せのため、誰かを守るため、何かを効率的に運営するため・・といった価値ある目的のための手段だ。その大きな目的を忘れて、ただ逸脱した人を責めるためだけにそれらを使ってしまう人は「物事の理解力が足りない:頭がバカ」になってるだけでなく「他者への優しさが足りない:心がバカ」になってるんじゃないかって俺は思うぜ!

では、なぜコンプラバカは増殖しやすいのだろうか? それは、おつむの成長が小学生レベルで止まっている人間でも「ルールから逸脱したっぽい人を責める」という行動は単純でしやすくて、一見正しそうな人に見えるからだろう。そして他のバカが、一見正しそうな(しかし実際は自由闊達な活動を阻害して組織の活力を奪い続ける)コンプラバカを真似すると、恐ろしいことにその組織内におけるコンプラバカはガン細胞のように増殖し続けるのだ。

俺は「コンプラバカ=自信のない人」仮説を支持する。どんな組織やコミュニティの中でも、誰かの役に立ったり収益を上げたり価値を創り出したり何か前向きな貢献を実感している人は心の底に(他の人と比べる必要のない)静かな絶対的な自信があるので、他者を攻撃して自分の正しさを主張する必要性が低い。でも、心の底に静かな自信が育っていない人は「私はあの人よりも上」という相対的な自信を渇望しているので、他者を攻撃して自分の正しさを主張する必要性が高い。

しかし、様々な仕事の内容や価値や成果に関して他の人よりも卓越し続ける取り組みは決して容易ではなく抽象的で分かりにくくて時間もかかる。そこで、自信のない人は「あの人はルールから逸脱してるみたいだからダメ」というわかりやすいモノサシで他者を否定することにエネルギーを注ぐことによって「相対的な自信」を刹那に得ているのではないか・・と俺は勝手に想像したよ〜


ほんとはね、、いまを生きている1人ひとりの存在に絶対的な価値があるから、他の人と何かを比べてあなたが上だろうと下だろうと価値があるんだよ。あなたが正しいことも間違っていることも優れた点もダメな点も価値があるんだよ。どんなにバカになってもアホになっても構わない。もうあなたの正しさを証明する必要なんてないし、誰かを責める必要もないから、あなたがあなた自身の存在の素晴らしさを認めて、あなたを含めた多くの人の幸せを祈りながら生きていってね。











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