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ありありと 人が そこに ある

7月の古事記の傳へ 稽古日。

怒涛のように、「ことば」を放ちつづけました。


やっている本人は、必死かもしれません。いや、そうとう必死です。。笑

でも、ことばを紡ぎ、放ち、動いている、その人をみると、

「生きている喜び」がにじみ出ています。


それぞれが、与えられた役と向き合いながら、今何を感じているのかをいつもシェアします。


「ことば」とは何なのか、

今回は「ことば」そのものへの問いも感じた人が多かったように思います。


自分の思っていることと、それを「ことば」に出した時の「違和感」。

そこからくる「苦しみ」。

自分の話す「ことば」は本当に自分のことばなのかという「問い」。

ことばは わたしの中だけでなく、世界からの「響」。


わたしたちは、この「古事記の傳へ」を通して、何をこれからつかんでいくのだろう。


このわたしたちの体を通して、ことばの造形に取り組むことが、
ただ、日本の古事記を演劇するということを超えて、

わたしたちに訴えてくるものは何なのか。


全身でことばを造形した後に、残っているのは

真っ白な、空っぽの自分。

「無」であるわたし。

今は、それしかわからない。 

ただ、「人」そのものが そこに ある。





興味のある方は、いつでもご参加ください。見学、体験も随時行っています。

次回の練習は

8月8日(木)13:00〜15:30 

和歌山市北コミュニティセンター 和室にて。

お問い合わせは、  kotobanoizumi.engeki@gmail.com まで。

親子えんげき塾 ことばの泉 ホームページhttps://peraichi.com/landing_pages/view/kotobanoizumi



文:momo

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