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両親の問診時間 課題としての結婚

5月の読書会のレポートです。

前回も結婚がテーマでしたが、今回もまた結婚、「課題としての結婚」というテーマでした。

私たちが生きていく上でのさまざまな人間関係のなかで、とりわけ夫婦関係というところに、この読書会では数ヶ月にわたり、意識的に視点を向けてきました。

夫婦の話というと、つい相手方の愚痴を言い合ってしまったり、妻や夫の片方だけがもう片方をおいて学びに行っていたり、相手がいない中で話をしている、そんなところがあるのではなでしょうか。しかし、この両親の問診時間の読書会では、すぐ近くに夫や妻の存在があり、帰ってすぐに自分自身が夫婦関係において取り組んでみようと思える学びがある、夫や妻を抜きにして学ぶのではなく、夫を、妻を通して学んでいきます。


結婚は夫婦の共同作業の営み。これを続けていく意味とはなんでしょうか。

前回も大きな気づきとしてもたらされた、分けて考える、分別するということも、この本を読み進めるにあたって大切なことです。

結婚を からだ、こころ、精神 という3つの点について分けて考えていく試み。

人間はからだとこころと精神が、必ずしも同じ時期に仕上がるわけではありません。まず、からだが大人としてはじめに仕上がります。そのあとにこころ、精神と続きます。全てが完全に仕上がってからの結婚であれば、もっと困難も少ないような気がするのですが、そうはいかないようになっているのが人間です。

なんのために?

人は一人では成長できないからです。人と人とが関わりを持つことでお互いが成長する可能性が生じます。もっともお互いの成長を生み出せるのが結婚、夫婦の関わりなのだということ。

結婚することは二人にとって共にに育ちゆく可能性を生きるということです。

さらに、その二人だけでなく、その周りにいる人たちにも関わりを生み出していきます。生まれた子ども、親族、子どもの友達の親、、、といった新しい世界が広がる。さまざまな人との関わりが生まれる。周りの人々にも共に育ちゆく可能性を祝福と共にわけ与えているような気さえします。


結婚のシンボルは「知る」ということだそうです。

男の人を知る、女の人を知る、あなたという人を知る、そしてわたし自身を知る、わたしが知らない「わたし」を知る道。

結婚を通してこそ、神の世、精神の世に開かれる。


結婚の理想と現実は一致させようとすればするほど、苦しみを生み出します。二人は違う人間なのだから、当たり前のことです。二人が同じになることはできない。でも「知る」という点において、相手を理解することはできる。そして、そのとき、共に成長することができるのだと思いました。


大げさかもしれませんが、社会や日本、世界に平和をもたらす、愛の育み、根本的な営み、それが今ある夫婦生活であり、家庭生活から始まるものなのだと改めて思います。

自分の家庭を置き去りには、何事もなし得ることはできない。子どもについては意識的であっても、夫婦について考えることを置き去りにしていたり。。。夫婦、家庭が幸福であることが、なによりも未来をつくる大切な営みだということを考えさせられました。


「夫婦とは周りに光を及ぼす光源である」


諏訪先生の、この最後の言葉が、心に深く沁み入りました。



次回のお知らせです。

mitteの読書会  「両親の問診時間を読む会」
日時:6月10日火曜日  10:00〜12:00 
場所:個人宅
講師:諏訪耕志氏
参加費:3500円 

お問い合わせは mitteno20@gmail.com までお気軽にどうぞ。


文:momo

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