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両親の問診時間 家庭、仕事の日々を賄う、からだ、こころ、精神の力の源はどこにあるでしょうか①

6月の読書会レポート。

わたしたちは、普段、家族や友人たちと会話を楽しむことはあっても、最後まで自分の大切なことを話す機会というのはなかなかないのではないでしょうか? そして、それをじっくりと最後まで聴いてもらうことも。

この会では、毎回シェアリングを大切にしてます。今回の読書会で、このシェアリング、人の話を「聴く」ということについて改めてその本当の意味を考えさせられました。

本当に自分の聞いてほしいことを、横槍をいれず、最後まで聴いてもらうことが、人にとってどれだけ大切なことであるのか。また、反対に静かにその人に耳を傾けて最後まで聴くということが、どれほど難しいことであるか。

今回はそんな「聴く」ということがキーワードになった読書会でした。

両親の問診時間も今回で最後の章になります。

わたしたちの家庭、仕事の日々を賄う力の源はどこにあるのか?という大きな「問い」。それを3つの次元から紐解いてゆきます。

1つ目はからだの力の源。私たちのからだは、無意識の領域で働き続けていると思われる心臓や肺でさえ、一瞬の静止という休みをもって動き続けられます。
また胃や腸などでは労働と休息(食べる時間や量)を人の意志で多少コントロールできますが、規則的な食事、眠りと目覚め、仕事と休養のバランスがわたしたちのからだを健やかに育みます。
からだにとって健康であるとは、労働と休息がリズミカルにバランス良く行われるということでした。

2つ目の次元は、こころの力の源。

からだとこころはお互い影響し合っているということは、いうまでもないと思います。特に現代社会においてはからだの不調がこころの不安定から来ていたりすることも多々あります。
こころの次元においてもアクティビティと静けさの関係性がこころの力の源と深く関係しているようです。

ここでは目と耳という感覚器官を例に話が進められました。
目は「アクティブ」な器官です。
反対に耳は「静める」ことで「聴く」という働きをします。

「真に聴く」ということはどういうことか。
他者がアクティブに話していることをともに生きつつ、自分の内が動くのを静めることができたとき、他者に対してこころの耳を開くというのです。

これ、めちゃくちゃ難しいです。
私自身、シュタイナー教育に出会って、「聴く」ことの大切さは機会があるごとに考えさせられてきましたが、未だかつてできたことがあったかわかりません。
それは理想ではないか。とさえ思います。

でも、読み進めていく内に、健康なこころの織りなしは、こころがアクティビティと内なる安らかさを同じように得ようとするにおいてであると書いてあります。

また、他者を受け取り自分を静める力を生み出す、内なる力が使われない時にどうなるかというと、自分を黙らすことができない力は他者を黙らそうとする力に変わるといいます。つまりは他者を批判する、排除する向きへと力が向いてしまうのです。これがこころの力の法則だというのです。

こころの健康は「聴く」こととこんなにも関係が深いとは。
聴くことは静けさを保つこと。
静けさは休息。

では、人が黙るにはどのような気分が必要なのか。その答えは好きであること、愛していることに考えを向けることだといいます。その情が安らかさをもたらすからです。

普段何気なく人の話を聞いて、あれやこれや思うのは普通だと思っていましたし、真に聴くと言われてもそれは理想で片付けてきたように思います。

自分を黙らせることは自分にしかできません。
でも自分ならできるのです。
自分が自分を統べることができれば、他者の話を本当の意味で「聴く」ことができる。
その自分を統べるために、「練習」をするのです。
繰り返し繰り返し人は練習して、そうありたいと願う人間に近づいていくのだと思います。

私たちの会のシェアリングはまさしく「聴く」練習です。
これからは、もっとアクティブに「聴く」ことを参加者はしていくだろうと思います。

3つ目の次元、精神の力の源は、時間がなくなり次回へ持ち越しとなりました。来月は引き続き、両親の問診時間の最後の章を読み進みます。



次回は、

mitteの読書会  「両親の問診時間を読む会」
日時:7月8日火曜日  10:00〜12:30 
場所:和歌山県岩出市 個人宅
講師:諏訪耕志氏
参加費:3500円 

お問い合わせは mitteno20@gmail.com までお気軽にどうぞ。



文:momo


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