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西欧に発し、いまやすっかりグローバル化した宗教概念と宗教研究が、歴史のなかでどう構成されてきたか。そして、その構成ゆえにどのような注意がいま求められているか

かなりコンパクトにまとまった文章がありましたので、部分訳をしてみました。コンパクトすぎるぐらいで、専門外の方には、これだけ読んでもなかなか分かりづらいと思いますが、ご参考までに。

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Robert A. Orsi, "Introduction." In: Orsi (ed.), The Cambridge Companion to Religious Studies, Cambridge University Press, 2012, p. 1-13.

 [中世までの]こうした前史の刻印は根づよくのこっているが、批判的で比較をこころざす宗教研究の言葉が、今日あるような意味をもつようになったのは、まさにそれ独自の関心と局面をもった近代においてであった。四つの主たる契機が、ここでの歴史的概観を組み上げるための焦点となるだろう。すなわち、[第一に]15世紀と16世紀における地理的発見、およびそれにひきつづくヨーロッパ権力の拡張と世界全体における現前。[第二に]16世紀におけるキリスト教世界の解体、およびそれにつづく恐ろしく長引いた血なまぐさい宗教暴力。[第三に]17世紀と18世紀における認識論上の方向転換、および社会科学と自然科学の興隆。そして[第四に]、19世紀末から20世紀初頭における宗教科学と比較宗教の大学講座の初設置。これらの重大局面、移行、知的刷新のそれぞれにより、単数形の宗教と複数形の宗教が、西洋の文脈においてのみならず、地球全体にわたっても、いかに理解されるようになったか、そのことが根源的に形づくられたのである。(4頁)
 複数形の宗教と単数形の宗教についての関心を、学界の内外で示そうとするなら、必ず[宗教学という]専門分野の形成をめぐるこうした歴史を考慮にいれなければならない。「(単数形の)宗教」について語る場合、宗教研究者は三つのことに言及している、あるいは少なくとも百年以上にわたって言及しつづけてきた。すなわち、1)批判的で分析的なカテゴリー。これは学的探求の主題として、人間的経験のある特別かつ普遍的な次元を名指そうとする(この点について定義をめぐる論争こそあれ、そうした次元が実在することには根本的な合意がある)。2)単数形の宗教についての規範的な言説。これは、西洋諸国家の知的、政治的、軍事的な目的に深くからめとられている。その目的によって、人びとがいかに生き、国家がいかに組織化されるべきかが示され、また、北ヨーロッパとアメリカのプロテスタンティズムを良いもの、容認できるものの範例的なかたちとして、良い宗教が悪い宗教から、容認できるものが容認できないものから区別される。3)世界中の男女の生きられる実践。「単数形の宗教」と「複数形の宗教」、考究をみちびくこれらの用語は、つねに記述と処方両方の野心をともなう。宗教的である一つのあり方(16世紀と17世紀、地球規模の現実に生じた画期的な出来事、広範にわたる遷移から生じてきたもの)を「単数形の宗教」そのものとして刻み込み、これを標準として他の諸宗教を測定するのである。(6-7頁)

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宗教概念批判は、単に歴史構成主義の形式的な批判から出たのではなく ポスト植民地主義批判の中心テーマとしてなされたのでした(したがって、その担い手は必ずしも宗教学者ではなかったんですねー。

ポスト植民地主義は、正義のアイディアを中心にしています 歴史的不正が現代の窮状をそのまま作っちゃってるんだ、そこから掘り返していかないと苦しみは増すばかりなんだ、という関心…!

日本ではそこはなかなか反響してこないところで、残念です…(´・_・`)

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